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 「雨晴」と書いて「あまはらし」と読みます。編集人の故郷、富山県高岡市にある海岸の名前です。源義経が奥州へ落ち延びる途中、供の弁慶が持ち上げた岩の陰で、にわか雨の晴れるのを待ったという伝説に由来します。
 奈良時代、越中国守としてこの地に赴任した大伴家持は、次のような歌を『万葉集』に残しています。「馬並(な)めていざ打ち行かな渋谿(しぶたに)の清き礒廻(いそま)に寄する波見に」(巻17・3954)「渋谿の崎の荒磯に寄する波いやいやしくに古(いにしえ)思ほゆ」(巻19・3986)。
 渋谿は現在の雨晴海岸のこと。岩礁多く白砂青松の景勝地、天候に恵まれれば富山湾越しに壮麗な立山連峰を望むことができます。江戸時代には、『おくのほそ道』で知られる俳人・松尾芭蕉もこの地を歩きました。
 わたしは物心がつくころから、進学のために18歳で富山を離れるまで、この景色に親しみ、またこの海に遊びました。〈原風景〉というべきものがあるならば、自分にとってのそれは、雨晴海岸だろうと思います。
 戦後日本の文学を代表する作家のひとり、堀田善衞が作詞をし、同じく音楽分野を代表する団伊玖磨が作曲をした、わたしの母校「伏木(ふしき)中学校の歌」は、卒業後20年以上を経ても、いまに忘れません。

  風はどこから吹いてくる
  丘を吹く風 海の風
  風はどこから吹いてくる
  丘を吹く風 海の風
  一、港の町に育つ仕合わせは
    風の故郷と行く先を
    マストのかもめとともに知る
    みんな行く手を知っている
     広い世界で働こう
     広い世界を知りぬこう
  二、たとえわれらの町の長い冬
    空は暗くて海重くとも
    未来明るい羅針盤
    さあ船出しようエンジンかけて
     広い世界で働こう
     広い世界を知りぬこう

 

 長い冬。空は暗い。海は重い。しかし、風は吹いている。広い世界へと背中を押してくれる風が——。
 『雨晴』の目指すところは、だれかの「雨」を「晴らす」こと。雨が必要なときも、あるけれど。

編集室 水平線

西 浩孝