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	<title>上野　朱 &#8211; 編集室水平線のオンラインマガジン　雨晴（あまはらし）</title>
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	<title>上野　朱 &#8211; 編集室水平線のオンラインマガジン　雨晴（あまはらし）</title>
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	<item>
		<title>第1回　さよならの風景</title>
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		<dc:creator><![CDATA[水平線編集室]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 11 Nov 2022 00:44:05 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[上野　朱]]></category>
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					<description><![CDATA[　ある日のこと、そこにあったはずの建物は影もなく、アスファルト舗装の駐車場の一画に、そこだけ砂利を敷き固めた四角いスペースが取り残されていた。そばには小型ダンプが停められ、その脇の日陰で2人の作業員が休憩中だった。 　こ&#8230;&#160;<a href="https://suiheisen2017.com/ueno-akashi/1477/" class="" rel="bookmark">続きを読む &#187;<span class="screen-reader-text">第1回　さよならの風景</span></a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><em>　</em>ある日のこと、そこにあったはずの建物は影もなく、アスファルト舗装の駐車場の一画に、そこだけ砂利を敷き固めた四角いスペースが取り残されていた。そばには小型ダンプが停められ、その脇の日陰で2人の作業員が休憩中だった。</p>
<p><em>　</em>ここにあった店で商売してた者だけど、と声をかけると「あっ、そうなんだ」と驚いたような顔を見せる2人。おととい通った時はまだ建物があったけど、きのう一日で壊したの？ と尋ねると若いほうの男性が「10分！」と威勢良く答え、年かさのほうもつられて笑った。こういう展開では私も笑わないといけないじゃないか。</p>
<p><em>　</em>借りていた店舗から退去するにあたって、本棚もカウンターもすべて撤去しておいたので、残っていたのは壁と屋根と窓とドアというほとんど空き箱のような建物だった。構造も木造にモルタル吹きつけで、床もベタ打ちのコンクリートにフロア材を敷いただけという造りだったので、いくらなんでも10分は誇張だが、重機の力をもってすれば朝飯前の取り壊しだったことだろう。</p>
<p><em>　</em>ほぼ20年間、この場所で古本屋を営み多くの人を迎えてきたが、壊す時はあっという間かと、滑稽なような淋しいような複雑な気分で初夏の陽に白く映える砂利敷きを眺めていた。楽しかったことや悲しかったこと、新しい発見や出会いのすべては、この場所に古本があり、お客さんが来てくれたことによってもたらされたものだ。これからしばらくの間、薄暗い古本屋の帳場から見た人と本の行き交いを記してみたい。</p>
<p><em>　</em>薄暗いと書いたが、蛍光灯の光で本が焼けるのを防ぐためといった立派な理由で照明を抑えていたのではなかった。天井には全部で10台ほどの蛍光灯が取り付けられていたのだがそれが順に切れてゆき、放っておいたら自然に薄暗くなっていっただけのことである。しかしお客さんによってはその暗さを「古本屋らしくて懐かしい」と喜んでくれる人もあったので、これ幸いとそのまま横着を決め込んでいただけのことだ。</p>
<p><em>　</em>しかしこんないい加減な古本屋でも仕入れがなくては成り立たない。仕入れの方法としてはお客さんによる持ち込み、買い取り依頼を受けて自宅に出向く、業者だけの市で入札や競りで落とす、古紙回収業者の集積所に積み上げられた紙の山から掘り出す、といったところだ。古書組合に入っていない私は市には出入りできなかったけれど。</p>
<p><em>　</em>古本屋に蔵書を持ち込んだものの予想外の買い取り値の低さに落胆したという人も多いだろう。しかし少々弁明するなら、たとえば持ち込まれた100冊のうち、5冊か10冊が商品になればいいほうなのだ。それを10年寝かせるうちに売れれば上出来という商売なので、おのずと買い取り値は抑えめになる。もっとも流行り物のコミックなどは回転もよくほどなく現金に化けるので、それなりの値段で買い取ることができるのだけれど。</p>
<p><em>　</em>買い取り値、ことに査定ゼロを告げるのが気の毒になるのは、若い頃から大切にしてきたという本（しかも今ではまず売れる見込みのない）を前にした時だ。本の状態や発行年に目を通す私のそばでお客さんはしみじみと語る。「初任給が1万いくらだった頃に何ヶ月もかかって月賦で」とか「幾度も引っ越したけれど、これだけは手放さずに」あるいは「亡くなった父がずっと大事にしていたもので」などなど。</p>
<p><em>　</em>こんな時「申し訳ない。本の評価はしますが、あなたの思い出は査定に入りません」と言いたいけれど口には出さず、「いい本なのに値段がつかなくてすみません。でもなんとか次に活かせるようにしましょう」と答えていた。これはただの方便や商人口ではなく、書籍という「知」に対する敬意だった（他者や他民族を罵るだけの、知の欠片も感じられない書籍も多くなってしまったが）。1冊100円をつけても売れず、10円に下げても動かず、いずれは前述の古紙集積所に持ち込むことになったとしても、本に込められた知と、その本と共に過ごしてきた人の記憶をぞんざいに扱ってはならぬと心に刻んできたが、ふと、この仕事は一種の「おくりびと」のようなものかもしれないと思った。</p>
<p><em>　</em>映画化もされたおくりびと――納棺師は、老いや病や事故で世を去った人の遺体を生前の姿に近付けるのが仕事だが、それは故人のためというよりも、むしろこれから火葬場へと送り出す遺族の心を癒やす役割のほうが大きいのではなかろうか。</p>
<p><em>　</em>私事だが、義父の納棺にあたって遺体を整えてくれたのは、まだ若い2人の女性だった。僧侶のように遺族一同から恭しく頭を下げられるわけでもなし、お布施を包まれるわけでもないその2人は、硬直した遺体を器用に着替えさせ、長患いで乱れた髪を梳き、血の気の失せた顔に薄化粧を施して自然な色に戻すと、深々と一礼して去って行った。</p>
<p><em>　</em>古本屋も同じだ。そこが店のカウンターであっても、お客さんの家の書棚の前であっても、その人にとっては馴染んだ書物との別れの場なのだ。そして古本屋が去った後の棚には当然空きスペースが残される。人との死別とは違って、本は後日再び同じものを買うことができるかもしれないが、ヤケやシミや開き癖はその1冊だけのものだ。いつか、あの本はどこに置いた？ と無意識のうちに背文字を探してしまう日がくるかもしれない。そして手放したことを思い出してから、「きっと次の人に大切に読まれているだろう」と思ってもらえるような別れを提供すること。「本のいのち、引き継がせてもらいます」――合掌・礼拝まではしないが、それが「本のおくりびと」が果たすべき役割であろう、と。</p>
<p><em>　</em>そんな古本のすきまに暮らしてきた私の、店で出会った本と人の話はいずれまた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>［© Akashi Ueno］</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※アプリ「編集室 水平線」をインストールすると、更新情報をプッシュ通知で受けとることができます。</p>
<p><a href="https://suiheisen2017.jp/appli/">https://suiheisen2017.jp/appli/</a></p>
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			</item>
		<item>
		<title>第2回　ページの間の物語</title>
		<link>https://suiheisen2017.com/ueno-akashi/1676/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[水平線編集室]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 13 Jan 2023 02:03:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[上野　朱]]></category>
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					<description><![CDATA[　「本、買い取ってもらえますか？」と、紙袋や段ボール箱を抱えたお客さんが入ってくる。持ち込まれた本をカウンターに積み上げ、まずはタイトルで仕分け。私の店ではビジネス書や自己啓発本は扱わなかったのでそれらはここで脱落する。&#8230;&#160;<a href="https://suiheisen2017.com/ueno-akashi/1676/" class="" rel="bookmark">続きを読む &#187;<span class="screen-reader-text">第2回　ページの間の物語</span></a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><em>　</em>「本、買い取ってもらえますか？」と、紙袋や段ボール箱を抱えたお客さんが入ってくる。持ち込まれた本をカウンターに積み上げ、まずはタイトルで仕分け。私の店ではビジネス書や自己啓発本は扱わなかったのでそれらはここで脱落する。次いで私が嫌いな著者の本は、たとえ新しくても脱落の山に加わる。持ち込まれたということは一度は買われたということであり、並べておけばまた売れるのかもしれないが、見たくない背文字の本を棚に置く必要もない。このあたりの専横、良く言えば自由さが古本屋の特権だ。だがそう言ってしまうとお客さんもいい気はしないだろうから、「うちでは扱いきれないジャンルなので」と逃げる。ものは言いよう、わざわざ角を立てることもあるまい。</p>
<p><em>　</em>残った本の状態――ヤケや汚れを点検し、パラパラとページをめくって線引きや書き込みの有無を確かめてから買い取り価格を決定する、というのが店頭での流れである。だがお客さんを待たせて1ページずつじっくりと確認するわけにもいかず、さっと目を通すだけなので、薄いマーカーや鉛筆の書き込みを見逃すこともあるがそこはもう仕方がない。</p>
<p><em>　</em>ある日のお客さんは「お金はいらない。引き取ってくれるだけでいいから」と言い残し、本を詰めた手提げ袋を置くと足早に去って行った。こういう買い取り（金を払っていないので買い取りと呼ぶのは正確ではないが）はゆっくり点検できるし接客の気遣いも不要でありがたい。が、袋から出した本の中からぱたりと落ちたのは、出入金や残高の数字も生々しいまだ使用中の預金通帳だった。お客さんは住所も告げずに帰ってしまったので、通帳に印字されたカタカナの名前だけでは連絡もできず、仕方なくその銀行に電話をして引き取りに来てもらったが、持ち主はさぞ探し回っていたことだろう。みなさん、たとえ家族に秘密の隠し口座であっても、本に通帳を挟むのはやめましょう。</p>
<p><em>　</em>通帳が出てきたのはこの一度だけだが名刺やレシートはよくあることで、鉄道の切符が挟まれていることも幾度かあった。列車内で読んでいて栞代わりに挟んだのかもしれないが、どうやって改札を出たのかと余計な心配をする。</p>
<p><em>　</em>発行年の古い本に手紙が挟み込まれていたこともある。それは恋文だったが封筒はなく便箋のみ。経年感に満ちた本にふさわしく文面も古風で格調高かったが、さてこの手紙は受け取った人が挟んだものか、あるいは書いた人が渡すのをためらっているうちに恋も破れてしまったのか。いずれにしても別のパートナーに見つかっていなければいいが、などいろいろ考えるがこれもいらぬお世話だ。ともあれ本に恋文を挟むのもやめましょう。</p>
<p><em>　</em>古本屋としての矜恃を問われている気がしたのは、知り合いの父君が遺した蔵書を引き取りに行った時のこと。大正生まれのその方は長く筑豊に暮らし、閉山が相次ぐ産炭地の首切りや鉱害問題で、会社や行政を相手に闘った活動家のリーダー格だった。私の父が食うや食わずの独身貧乏暮らしだった頃、この方の家で食事や風呂をいただくことも一度や二度ではなかったようだ。しかし夫がそんな活動に没頭していたため家計は常に火の車で、妻が必死に働いて生活を支えながら2人の息子を育てたと聞く。</p>
<p><em>　</em>2人の息子の兄曰く「ぼくが五右衛門風呂の火の番をしていると、風呂の中から英信さんが『○○君、この日本の社会を変えなきゃいけない。労働者が団結して革命を起こさなきゃいかんのだよ』と話しかけてきて、ぼくはそれを拝聴しながら薪をくべてたんだ」。</p>
<p><em>　</em>弟のほうは「母は疲れ果てて、風呂に浸かったまま眠りよったよ。そんな苦労をさせる親父の活動が嫌いだった」と。ちなみに英信とは私の父だが、この兄弟には返す言葉もない。まずは風呂で眠り込む疲れた女をなくすこと、それが革命の第一歩かもしれない。</p>
<p><em>　</em>そんな他家の風呂荒らし、食卓荒らしを親に持つ私に蔵書整理の声をかけてもらうなんてもったいないことだと思いつつ、主をなくして久しい書斎に入ってみれば、ドアと窓以外の壁面には本棚や書類棚が立ち並び、炭鉱や郷土史、労働運動や鉱害問題といった書籍や資料で埋まっていた。もちろん普通の小説や商品にならない週刊誌･月刊誌なども相当数含まれてはいたが、全部で軽ワゴン車5～6台分くらいあっただろうか。2日かけて持ち帰り、まずはいつものように分類と点検である。</p>
<p><em>　</em>と、やや箱が膨らんで中身を出すのも窮屈な1冊が目にとまった。本の中に何か挟んであるに違いないがこういうものは要注意。下手をすると箱が壊れてしまうので慎重に抜き出せば、小口からなにやら緑がかった紙の端がのぞいている。どうせメモかパンフレットの類いだろうと開けばなんとそこには、聖徳太子の1万円札が何枚も挟まれていた。この旧札から福沢諭吉の新札に変わってすでに久しい。そのうえ昔も今も万札とは縁の薄い私はその色合いなどすっかり忘れていたのだが、そうかこんな色と大きさだったんだ。</p>
<p><em>　</em>折り目ひとつない聖徳太子を数えると27枚。これだけあればしばらくは家賃の心配をしなくてすむと耳の底で誰かが囁いたが、私が引き取ったのは本であって金ではないのだから、夾雑物は返却するのが道理だ。なにより、私の父らと共に革命を目指した故人の遺産を着服するなんてそれこそ反革命の所業だ！ と階級的痩せ我慢。すでに夜も更けていたが、かつて私の父のために風呂を焚いてくれた人のところへそのお金を届けに行った。</p>
<p><em>　</em>「君、正直者やなあ」――いえ、こういうのをネコババできるようなら蔵が建ってます。</p>
<p><em>　</em>「せめて1割だけでも君に」――滅相もない！ そんなやりとりの後、その人は呟いた。</p>
<p><em>　</em>「ぼくは親父から金をもらったのは生まれて初めてだ…」――ちょっと嬉しい夜だった。</p>
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<p>［© Akashi Ueno］</p>
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		<item>
		<title>第3回　記憶の細道</title>
		<link>https://suiheisen2017.com/ueno-akashi/1817/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[水平線編集室]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 09 Mar 2023 02:09:05 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[上野　朱]]></category>
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					<description><![CDATA[「探しものはなんですか　見つけにくいものですか」と始まるのは、井上陽水の初期の曲『夢の中へ』だ。 　人はなぜ古本屋へ行くのか、ごく大雑把に言うなら（1）中古でいいから安価で読みたい、（2）絶版や版元品切れのため古本で探す&#8230;&#160;<a href="https://suiheisen2017.com/ueno-akashi/1817/" class="" rel="bookmark">続きを読む &#187;<span class="screen-reader-text">第3回　記憶の細道</span></a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>「探しものはなんですか　見つけにくいものですか」と始まるのは、井上陽水の初期の曲『夢の中へ』だ。</p>
<p><em>　</em>人はなぜ古本屋へ行くのか、ごく大雑把に言うなら（1）中古でいいから安価で読みたい、（2）絶版や版元品切れのため古本で探すしかない、ということになろうか。しかし、探している本に限って古本屋の棚にない、という経験をした人も多いことだろう。例えば続き物で、自分が持っていない巻を手に入れようと棚を辿ってもなぜかそれだけがなく、そのくせ前後の巻は2、3冊ずつこれ見よがしに並んでいるという皮肉。さらによくないのが、やっと見つけた推理小説の下巻しか棚にない、という場合だ。謎が解明される下巻だけ先に押さえておき、いつか上巻を手に入れるまで犯人ごと封印しておくというのも難しいとみえて、とりあえず下巻だけ確保しておこうという人は余り見かけなかった。</p>
<p><em>　</em>もっとも近年はたいていの本はインターネット上に出品されているので、何軒もの古本屋を巡り歩く必要もなく、パソコンやスマホで注文して送られてくるのを待つだけ。古本探しや欠番の穴埋めもずいぶん楽になったものだ。だがネットのデータだけではなかなか辿り着くことができないもの、それが（3）記憶の糸繋ぎ、ではなかろうか。</p>
<p><em>　</em>ある日届いたメールは、「祖父は戦前、九州帝国大学の学生でしたが、早く亡くなったため直接会ったことがなく顔も知りません。おたくが出品している学部の記念写真帖に祖父が写っていないでしょうか？」という、孫娘さんからの問い合わせだった。こういう依頼を面倒くさがる古本屋もあるが、依頼者と一緒に過ぎ去った時間の路地を訪ね歩くような楽しさがあって、私にとってはなかなか好きな作業なのである。</p>
<p><em>　</em>まずはおじいさんの名前を名簿に探すとなんと一発でストライク！　出品していた写真帖がたまたまその人の卒業年度だったようで、血縁でもないこちらの心まで弾んでくる。</p>
<p><em>　</em>集合写真でその顔を確認しておいてからスナップ写真のページに移り、学生ひとりずつの顔を虫眼鏡で確かめてゆけば、白衣で実験中の姿や部活動など数ヶ所にその人を見つけることができた。早速「若く凜々しい姿で写っておられますよ」と連絡すると即座に「買います」の返信があり、到着後には「初めて祖父に会うことができて涙が出た」という声が届いた。祖父と孫娘との時を越えた初対面――赤の他人の古本屋まで嬉しくなってしまう。</p>
<p><em>　</em>そういえば以前、私も編集に加わった山口勲写真集『ボタ山のあるぼくの町』（海鳥社、2006年）が出版されたときにも、撮影者の山口さんの元へ「手元に1枚もなかった亡き母の顔をこの写真集の中で見つけた！」という声が寄せられた。同じ炭坑の仲間の姿を写真集として出版したことに後ろめたささえ感じ、「なんか、昔の仲間を売り物にしとるような気がしてですなあ」と落ち込んでいた山口さんだったが、この時は「いやぁ、僕も嬉しいですばい、撮っといてよかったですばい！」と顔を真っ赤にして喜んでいたものだ。</p>
<p><em>　</em>いつの間にか多くの人がスマホを持ち、なにかにつけ液晶を頭上にかざして撮影しまくる時代になった。同じ方向に向けて何本もの腕が伸ばされている光景は、海底の巣穴から身を伸ばして餌をとるチンアナゴの群れを思い浮かべてしまうが、電子データ化されて個人のポケットにしまい込まれたその画像は、いつか誰かを喜ばせることがあるだろうか。</p>
<p><em>　</em>ところで、1984年から86年にかけて刊行された『写真万葉録･筑豊』（全10巻・葦書房）という本を見た人があるかもしれない。編・監修は私の父･上野英信と、ハンセン病療養者を撮り続けた写真家･趙根在さんのふたり。「撮影者の有名無名を問わず、筑豊を記録した写真をすべて集める」という方針の下に、アルバムや抽斗に眠っていた写真まで借り集めて複写し、生活・労働・事故・朝鮮人・子どもたち・海外移民などのテーマ別に編んだものだが、実は刊行中そして刊行後にもちょっとした不満が寄せられていた。</p>
<p><em>　</em>それは、撮影者や提供者の名前は巻末にリストがあるのに、それぞれの写真が撮られた場所や時期が載っていないこと。それがあればたとえば孫に「ここがじいちゃんが働いていたヤマだ」と話してやることができるし、知り合いの顔も探しやすいのに、という声である。読者の立場からすればもっともな意見であろう。</p>
<p><em>　</em>それに対して英信は次のように語っていた。「筑豊には大ヤマも小ヤマもそれ以下もある。大手の労働者だった人にも零細ヤマの仕事や暮らしを知ってほしいし、知らないヤマだからと素通りすることなく、ここに収めたすべてが『筑豊』だと思って見てもらいたい。だからあえて場所は載せない」と。たとえば大手炭坑の労働組合が、零細炭坑労働者の窮状には目もくれない、いやそんな現実があることを知りもしないということを批判してきた英信らしいやり方ではある。なので全10巻のページをめくりながら、かつての自分の姿や二度と会えない人の顔を探す楽しみがある写真集、と思ってもらうほかない。</p>
<p><em>　</em>ところで先述の山口勲さん撮影の写真群の中に印象深い1枚があった。といっても事故や労働争議など報道性の高いものではなく、とりたてて芸術的でもない。それは七五三の祝いで着物をまとった姉妹の、いわばありふれた記念写真で、その子たちの親に頼まれて撮ったものだという。だがこの写真を手に山口さんは言った。「あの頃の炭坑夫の給料で子どもに着物を買ってやるなんて、なまやさしいことじゃないですばい。この子たちの親も相当苦労しとりますよ。写真代？　とてもじゃないがそんなもの受け取られんですばい」</p>
<p><em>　</em>互いの生活を知り尽くした上で撮影された1枚の裏にも、小さな物語が眠っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p>【お知らせ】</p>
<p>2023年2月4日～5月7日まで、埼玉県東村山市の「原爆の図 丸木美術館」に於いて、趙根在写真展『地底の闇、地上の光 －炭鉱､朝鮮人､ハンセン病－』が開かれています。未公開写真を含めた約180点の写真を展示。この機会に是非！　（月曜休館）</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p>［© Akashi Ueno］</p>
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<p>※アプリ「編集室 水平線」をインストールすると、更新情報をプッシュ通知で受けとることができます。</p>
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			</item>
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		<title>第4回　17歳の春に</title>
		<link>https://suiheisen2017.com/ueno-akashi/2097/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[水平線編集室]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 11 May 2023 23:37:44 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[上野　朱]]></category>
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					<description><![CDATA[　長いこと古本を扱ってきて、この出版社はどうしてここを改善してくれないのだろうと感じることがあった。その筆頭が保育社のカラーブックスだ。調べてみると刊行が始まったのは1962年、そして最終巻・No.909の発行が1999&#8230;&#160;<a href="https://suiheisen2017.com/ueno-akashi/2097/" class="" rel="bookmark">続きを読む &#187;<span class="screen-reader-text">第4回　17歳の春に</span></a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><em>　</em>長いこと古本を扱ってきて、この出版社はどうしてここを改善してくれないのだろうと感じることがあった。その筆頭が保育社のカラーブックスだ。調べてみると刊行が始まったのは1962年、そして最終巻・No.909の発行が1999年というから、平均すれば1年あたり20冊以上もの新刊が出版されたことになる。</p>
<p><em>　</em>内容も鉄道や建造物、動植物から民俗芸能、趣味や観光地案内など多岐にわたり、その名の通りカラー写真も豊富に収録され、文庫本サイズなので旅のガイドブックとして持ち歩くにも好適だ。価格も手頃だし長いこと読者に支持されてきただけのことはある。</p>
<p><em>　</em>しかしながらこの本を覆っているビニールカバーはどうにかならなかったのかと思うのは、経年劣化したものばかり扱う古本屋だけだろうか。フィールドワークや旅行に持ち歩いても汚れないようにかぶせられた（のだろう）このビニールカバーがとにかくよく縮むのである。それも紙製のカバーのように端を折り返してあるだけならよいが、このカバーは前後の表紙をぴっちりと差し込むポケット状だから、ビニールが縮むにつれて表紙も曲がり、甚だしいのはスルメをあぶったかの如く反り返ってしまう。保育社さんよ、お願いだからなんとかしてくれと思っていたところ、1990年を過ぎたあたりから紙のカバーに変更されたので表紙が曲がる心配もなくなった。しかしこうなると今度はあのあぶったスルメが懐かしく思えてくるのだから、我ながら勝手なものである。</p>
<p><em>　</em>いまひとつは、以前の岩波新書にかけられていたパラフィン紙だ。これが年を重ねるごとに褐色化が進み、さらに年月を重ねると脆くなってハラハラと散り果ててしまう。ただこの褐変の度合いは、保管場所への日光の当たり方とはあまり関係はなさそうで、岩波新書にもともと備わっている味わいのひとつかもしれないと思ったりもする。</p>
<p><em>　</em>写真家・映画監督である本橋成一さんの生家は東京･東中野の書店だったが、棚に並べた岩波新書のパラフィンが傷むと、成一少年が自転車で神田の岩波書店までパラフィン紙を貰いに行かされ、新しいものに掛け替えていたという。しかし私のような田舎の古本屋ではそうはいかず「現状ママ」だ。ネットに掲載するデータに前もって「元パラ欠」や「パラヤケ、傷み」という字句を入れておけばいいのだがつい忘れたり、店頭でお客さんが手に取っているうちに破れてしまうことも多く、そういった本を狙ったように通販での注文が入るのであった。この皮肉な現象は「古本屋あるある」のひとつかもしれない。</p>
<p><em>　</em>こういった経年劣化は仕方のないものと諦めもつくが、線引きや書込み、そして蔵書印は古本屋泣かせだ。親が物書きである私の家では、教科書や参考書以外の書物に線を引くことなど考えもしなかったが、線を引きつつ読むほうが頭に入るという人も多いのだろう。またわざわざ蔵書印を誂えた人はつい押したくなるようで、前後の表紙の内側や天腹地、箱付きなら箱の各所にも押しまくり、1冊の本に7～8ヶ所の蔵印ということもあった。通販で注文の際に蔵印や線引き、書き込みの有無の再確認を求められることも多く、旧蔵者の影が濃いものは敬遠されがちなので古本屋としてはありがたくない。</p>
<p><em>　</em>というのが古本屋の日常なのだが、なかには持っていた人の足跡が透け、思わず抱きしめたくなるような書き込みもあった。状態を古書目録ふうに書くなら以下のようになる。</p>
<p><em>　</em>『古事記』　岩波文庫、昭和16年、改訂七版、全体にヤケ･シミ･汚れ多、角折れ、開き癖あり、表紙と本体外れ、扉にペンによる書き込みあり</p>
<p><em>　</em>――ということは本の状態としては相当悪く、しかも文庫の重版とくれば、普通ならもう役割を終えた本とみなして古紙集積所行きになるところだが、この本だけは別だ。なぜなら旧蔵者が詩人･作家である森崎和江さんで、扉の書き込みも森崎さん本人の筆跡なのだ。</p>
<p><em>　</em>著名な作家の書き込みだから貴重だというのではない。青色の万年筆で扉に書かれているのは「古事記はくりかえし求めた。帰国して求めた古本」という文字。書き込まれた時期は不明だが、ここが森崎和江という書き手の思索の始まりではないかと思えるからだ。</p>
<p><em>　</em>1927年、日本統治下の朝鮮・大邱に生まれた森崎さんは、福岡県女子専門学校（現福岡女子大学）に進学するため、敗戦直前に単身対馬海峡を渡る。17歳にして初めて踏む祖国の土だったが、彼女を迎えたのは家父長制に凝り固まった「にほん」の男と女だった。当時の男としては珍しく開明的な父の庫次さんから「女も三度の火をおこすだけではだめだよ」と教えられてきた森崎さんが感じた違和感はどれほど大きかったことだろうか。</p>
<p><em>　</em>さらに生地朝鮮に於いてはあくまでも「朝鮮人の仕事」とされていた生活の下支えに欠かせない労働を、この国では日本人自らがやっていると知った時の驚き。それが「朝鮮の人々から見れば、私は支配者の二世に過ぎなかった」という自己認識と、「自分が他民族の乳房を奪っていたことに気付きもしなかった ～ 私がいなかったなら、朝鮮民族の子どもがひとり生きられたかもしれなかった」という悔恨につながってゆく。詩人・丸山豊さんからかけられた言葉「和江さんは原罪意識が強いね。ぼくも・・・」の原点であろう。</p>
<p><em>　</em>古来より彼の地にあった祀りや祈りの場をつぶし、「朝鮮神社」など建立していわれなき神への平伏を強要した日本という国はいったい何なのか、自身も含めた「日本人」とは何者なのか。それを知る手がかりとして、まだ二十歳前後の森崎さんは『古事記』や『日本書紀』といった侵略者のテキストを買い求め、文中をさ迷っていたのではないか。21字の書き込みでにわかに厚みと重みを増した、100グラムにも満たない文庫本だった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※付記</p>
<p><em>　</em>森崎和江さんの誕生日は1927年4月20日とされている。ということは福岡女専へ入学した1945年4月初めの時点でもまだ18歳にはなっていない、ということになる。これは一体どうしたことか。</p>
<p><em>　</em>考えられる可能性としては</p>
<p><em>　</em>1）成績優秀だった和江さんは朝鮮在住時に1年飛び級をしていた</p>
<p><em>　</em>2）朝鮮での転校の際、間違えて1学年上の教室に入り、そのまま過ごしていた</p>
<p><em>　</em>3）本当は1926年生まれだったが1歳サバを読んだまま生涯を貫き、皆それを信じてきた</p>
<p><em>　</em>――あたりになろうか。ご本人に尋ねたところで「あらぁ、そういうことになるの？　あたし計算は苦手なのよぉ～」と、どこかとぼけた春風のような答えが返ってくるだけだろうから、年齢については永遠の謎。これもまた、森崎和江なのである。</p>
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<p>［© Akashi Ueno］</p>
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<p>※アプリ「編集室 水平線」をインストールすると、更新情報をプッシュ通知で受けとることができます。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>第5回　校正病のココロ</title>
		<link>https://suiheisen2017.com/ueno-akashi/2184/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[水平線編集室]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 14 Jul 2023 02:43:28 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[上野　朱]]></category>
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					<description><![CDATA[　親が物書き、私の職業が古本屋ということで、活字を見慣れていると思われてのことだろうか、時折急ぎの校正を頼まれることがあり、古本の片付けも後回しにして赤入れをしていたものだ。書籍は勿論のこと、論文、台本、自分史、近年はウ&#8230;&#160;<a href="https://suiheisen2017.com/ueno-akashi/2184/" class="" rel="bookmark">続きを読む &#187;<span class="screen-reader-text">第5回　校正病のココロ</span></a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><em>　</em>親が物書き、私の職業が古本屋ということで、活字を見慣れていると思われてのことだろうか、時折急ぎの校正を頼まれることがあり、古本の片付けも後回しにして赤入れをしていたものだ。書籍は勿論のこと、論文、台本、自分史、近年はウェブページまで。</p>
<p><em>　</em>振り返れば校正は昔から身近な存在ではあった。父が書き上げた原稿の最初の読者は母。まずは漢字や送り仮名に間違いがないかをチェックするが、内容に口を挟むことはほぼなかったし、そもそも女房子どもが口出しできるような内容の文章でもない。せいぜい「ここは、どちらの表現が適当と思うか？」という問いに意見を述べるくらいだ。そうして一応妻の目を通し「大変結構でございます」という言葉を受け取ってから、丈夫な封筒に入れるか防水紙に包んで出版社宛てに郵送することになる。</p>
<p><em>　</em>ドラマなどでは書斎の隣の部屋で編集者が待っていて、書き上がった原稿を受け取るやいなや駆けだしてゆくというシーンを目にすることもあるが、私は「あんなのウソやん」と小さい頃から思っていた。なぜなら執筆中の父は徹底した静寂を求め、母や私の話し声や足音から台所の水音まで厳しく咎める人だったから、同じ屋根の下に誰かを待たせながらではひと文字だって書けるはずもなかったのだ。</p>
<p><em>　</em>我が身を刻むような父の執筆と、戒厳令下の如く息を潜める妻子の暮らしを経てなんとか原稿が出来上がれば、数週間後にはゲラ（校正刷り）となって戻ってくるが、そこからはまだ10代前半の私にも校正係の役目が回ってきた。まず父が目を通して加筆や訂正をした後、さらに母と私で誤植を探してゆくのだが、コンピュータも普及していなかった当時は同音異義語の変換ミスは稀で、字画の似た活字の拾い間違いや文字の横転逆転、並びのずれなどが主であった。そして〈誤植1ヶ所につき5円〉なんて報酬につられて、欲と二人連れでゲラの文字を追っていた私だった。まあ中高生のやることなので、1冊分のゲラから50円か100円分の訂正箇所を見つけ出すことができれば上出来だったけれど。</p>
<p><em>　</em>そんな環境で育ったからか、書籍はもちろん新聞や雑誌から街角の看板、テレビ画面を流れるテロップなどの誤字まで気になるようになってしまった。わざわざ見つけようとしているわけではないのだが、文字を追っているうちに「おっと」と躓いてしまうのだ。絶対音感のある人の中には、お知らせのチャイムも音階として聴こえたり、音程の外れた歌を聴くと頭痛が起きたりという人もあるらしいが、こういう人の頭の中にはきっと五線紙があって、耳に入る音を即座に音符として記しているのではなかろうか。同様に私の中には原稿用紙の断片のようなものがあって、目にした文字を書き込んでいるのかもしれないが、これは家業によって生じた、そして治りがたい病気かもしれないと思ったりする。</p>
<p><em>　</em>ここ10年余りの間に最も多く目を通したのは、小・中・高校の教科書や便覧に載せるための、炭坑記録画家・山本作兵衛翁についての文章である。私が原画展示や著作権利用を扱う「作兵衛（作たん）事務所」の手伝いをしているため、版元からの確認と校正の依頼が、田川市石炭・歴史博物館の担当窓口を経て古本屋のカウンターまで流れ着く。</p>
<p><em>　</em>それはいずれも「明治期の炭鉱の様子」といった見出しで、男のサキヤマと女のアトヤマが半裸で採炭している絵などに短い解説文を付けたものであり、翁の生年や没年等基本的なところにはまず間違いはないのでそれほど手間のかかる校正ではない。ただ、しばしば見かける誤字が「抗夫」「抗内」だ。わざわざ手偏の「抗」を入力する方が手間ではないかと思うが、事故の危険にさらされながら働いていた坑夫たちは、坑内からだけでなく文字の中からも追われていったのかと思ってしまう。坑夫を「炭鉱員」と言い換える（この頃よくある）ことで差別意識のないことを装うよりはまだましかもしれないが。</p>
<p><em>　</em>そんな私が校正の際に心がけていたのは、誤字脱字や語法の間違いを訂正するのは勿論だが、可能な限り元の文章を改変することなく、より正確でわかりやすくするという至極当たり前のことだけだった。国による教科書検定みたいなことをやってたまるものか。</p>
<p><em>　</em>だがある時、偶然山本作兵衛炭坑画と同じページに掲載されていた原爆ドーム（旧広島県産業奨励館）についての記述だけは見過ごすことができなかった。</p>
<p>「この建物の上空600メートルで原子爆弾が爆発し、<ruby>中<rt>・</rt></ruby><ruby>に<rt>・</rt></ruby><ruby>い<rt>・</rt></ruby><ruby>た<rt>・</rt></ruby><ruby>人<rt>・</rt></ruby><ruby>は<rt>・</rt></ruby>即死した」（傍点筆者）</p>
<p><em>　</em>学校で使う便覧にこんな馬鹿げた文章を載せようというのかと呆れ果て、頼まれた箇所以外には手を出さない、原文の大幅な改変はしないという自分なりの原則も蹴り倒して「書き直し！」と指示を入れたが、その後版元はどうしただろうかと思う。</p>
<p><em>　</em>戦争や侵略の歴史と同様に、原発事故やその被害などもいずれは都合良く書き換えられ、矮小化されてゆくことだろう。しかし文字や言葉に表れないものも見落としてはならぬ、国家が吐き続ける嘘に対しては容赦なく赤を入れてゆかねばならぬと、心を引き締める。</p>
<p><em>　</em>ところである日、馴染みの精肉店に行った時のこと。店長オススメの肉に添えられた「味に自心あり！」という手書き文字を目にした途端、私の校正病が発症してしまった。</p>
<p><em>　</em>――この肉ほしいんだけど、ちょっと字が違ってるみたいだわ。</p>
<p>「あ、ほんとだ！　ゴメン、間違えとった」と、飛び出してきた店長が頭を掻く。</p>
<p><em>　</em>――ま、こちらのお肉には心がこもってる、と受け取っておきましょうかね。</p>
<p>「おっ、嬉しいこと言うてくれるねえ。よっしゃ、ちょっとおまけしときましょ！」</p>
<p><em>　</em>いちいちうるさいと煙たがられる我が病も、たまには人に喜ばれることもある。</p>
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		<title>第6回　婆ちゃんたちが待っている</title>
		<link>https://suiheisen2017.com/ueno-akashi/2433/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[水平線編集室]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 14 Sep 2023 20:43:40 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[上野　朱]]></category>
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					<description><![CDATA[　「郷土史のお客さんにうかつに相づちを打つと大変なことになる。話し始めたら止まらない」――地道に郷土の歴史を発掘したり、研究成果をまとめたりしている方にはなんとも失礼な言い草だが、これも「古本屋あるある」のひとつと言って&#8230;&#160;<a href="https://suiheisen2017.com/ueno-akashi/2433/" class="" rel="bookmark">続きを読む &#187;<span class="screen-reader-text">第6回　婆ちゃんたちが待っている</span></a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><em>　</em>「郷土史のお客さんにうかつに相づちを打つと大変なことになる。話し始めたら止まらない」――地道に郷土の歴史を発掘したり、研究成果をまとめたりしている方にはなんとも失礼な言い草だが、これも「古本屋あるある」のひとつと言ってもいいかもしれない。</p>
<p><em>　</em>郷土史研究家（なぜかほぼ男性）は古文書や郷土史誌に目を通し、記念碑や寺社などを訪ね歩いて蓄積した知識や自分なりの歴史観を熱く語ってくれるのだが、中には自分のところの家系自慢に横滑りしてしまう人もあって、そうなるともう相づちも打てない。先祖が何様であるかより、今のあなたがどういう人物かのほうが重要なのだ。それよりも、裸足や草履ばきで土の道を歩いてきたような人の、訥々とした昔語りのほうが具体的で興味深い。そしてそんな話をしてくれる人のほとんどが高齢の女性だった。そういう人には椅子をすすめる、お茶を淹れるといった露骨な差別的接待をするのが私の店の流儀だった。</p>
<p><em>　</em>Oさんが初めて店に寄ってくれたのは、通院の帰り道だったか。好きな本の話からいつしか家族の話になり、私とほぼ同年齢の息子があるとのこと。さらに聞けばOさん自身も私の母と同じ歳で、女学校時代には勤労動員も経験したという話だった。</p>
<p><em>　</em>「敗戦後すぐの頃は、着る物も食べる物もないでしょうが。それで仕方なしに警察に入ったんですよ。ただで制服をくれるというもんだから」――そんなわけで勤務中はもちろん行きも帰りも制服で通し、家にいる時だけは質素な着物で過ごしていたという。</p>
<p><em>　</em>「あの頃はよくパンパンを見かけたけど、その女の人たちを取り締まるのが一番つらかったですよ。捕まえるのがかわいそうでねえ……」――今、「パンパン」など文字や言葉にすれば差別語として糾弾の対象になるかもしれない。しかし生きる糧を得るため好きでもない相手に身体を売るよりすべがない女性たちと、それを買う男たちがいた、という事実は否定しようもない。そんな女性の摘発に向かいながら、まだ若い彼女の心はどれほどの痛みや悲しみにさいなまれていたことだろう。語りながら目に涙を滲ませるOさんだった。</p>
<p><em>　</em>そういうお話を息子さん達にされましたか？　と聞くと「ほとんど話したことがない」という返事だったので、そんな大事なことは是非聞かせてあげてくださいと勧めていたが、いつの間にか姿を見なくなった。存命なら90代後半のはずなのだが。</p>
<p><em>　</em>文学、俳句好きのFさんは、常連の女王と言っていい。ひと月に2、3度「Fの婆ちゃん来ましたよ～」とやってきて、「一緒におやつを食べようと思って」と、手提げからバナナや饅頭なんかを取り出す人だった。最初の頃に「来年で90歳になりますねん」と言われていたが、それから時を経ても「来年で90歳」は変わらなかった。</p>
<p><em>　</em>筑豊の農村に生まれ育ち、結婚してからは大阪で暮らし、夫を亡くした後に娘夫婦の住む福岡県宗像市に移ってきたF婆ちゃんの言葉は筑豊弁と関西弁のミックスで、ともすれば喧嘩しているようで怖いと言われる筑豊言葉がいい具合に和らげられていた。</p>
<p><em>　</em>生家は遠賀川上流の小さな村にある農家で、小さい頃から毎日畑仕事の手伝いをしていたというFさん。畑の周りには何本もの柿の木が植えられていて、自らをお転婆娘だったという彼女は、親の目を盗んで木に登っては柿の実をもいで食べていたという。</p>
<p><em>　</em>「とても美味しかった」と舌が記憶するその柿は、業者が木ごと買い付けに来ていた。といっても伐採するわけではなく、「この木になった実を一括で買い取る」という契約で、時季になると何人もの手伝い人が来て収穫してゆく様子も見ていて楽しかったと。</p>
<p><em>　</em>敗戦後の一時期は地元の小学校で代用教員を務めたが、まだ教員免許も持たず「なんとか教えられるのは体操だけ。こんな私が先生だなんて、子どもたちがかわいそうだった」。</p>
<p><em>　</em>そんなFさんが嫁ぐ日が来る。</p>
<p><em>　</em>「私んとこの村では、嫁にゆく人はひとりで村の氏神様に行って――」神前に結婚の報告をするのかと思えばさにあらず、拝殿の裏に回って板壁に石を投げつけるのだという。それは「このような無礼をはたらいたからには、二度とここには戻ってきません」という決意表明、産土との別れの儀式であった。供は連れずあくまでもひとり、ひそやかに。</p>
<p><em>　</em>「それなのに私はどうしても石を投げることができなくて、せっかく拾い上げた小石をまたそこに戻して帰ってきましてん」ということだが、夫となった男性がとても優しい人であったし、彼女自身も大阪で正式に教員となって定年まで勤め上げることができた。そして夫婦一緒に好きな寺社や句碑巡りなどで退職後の歳月を楽しみながら、みごとに添い遂げたのだった。嫁入りにあたってのローカルルールにも例外はあるのだろう。</p>
<p><em>　</em>「本はええですなあ。人間、本を読まないとあきまへん。本を読むといろんな考え方を知ることができて、それが今の私の心の財産になってます」と話していたFさんはその後、近くの介護施設での生活を経て、大好きな夫が待つ彼岸へと引っ越していった。</p>
<p><em>　</em>いまひとり、ピンクのスニーカーを履きザックを背負った、童女のような後ろ姿のお婆ちゃんは渡辺淳一ファンで『失楽園』が愛読書。娘たちから「そんないやらしいの読みなさんなよ」と言われてもめげずに同著者の本を求め続け、「あたしが死んだら、本は全部おたくにあげるように言うとくけんね」と言ってくれたが、ピンクの足音も絶えて久しい。</p>
<p><em>　</em>「お婆ちゃんの原宿」といわれる巣鴨のとげ抜き地蔵ならぬ「お婆ちゃんの神田神保町」化していったわが店。いずれ私が賽の河原に「古本アノヨ」でも開いたら、婆ちゃんたちがまた寄ってくれるかもしれない。「近日開店」の張り紙と、お茶の用意をしておこう。</p>
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<p>［© Akashi Ueno］</p>
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