権力と暴力
物理的暴力と非物理的暴力(たとえば象徴暴力)の上記のような特徴を考えると、暴力のふたつの異なるベクトルがみえてくる。酒井隆史が『暴力の哲学』のなかで、ヴァルター・ベンヤミンを参照しながら、明示したポイントである(注1)。
ドイツ語の「暴力Gewalt」には、制御し、制限をかける「権力」に近い意味合いがあると酒井は指摘する。すなわち、暴力という概念には、法や規律、ルール、慣習などを通じて、制御・統合する力(force)と、それらの法や慣習などを侵犯し、壊し、「外」へと逸脱する力(violation)とのふたつが内包されている。酒井が参照するのは、ヴァルター・ベンヤミンの有名な「神話的暴力」の概念で、それは暴力によって法を措定したうえで、その「最初の」暴力を覆い隠し、次に暴力によって法を維持するはたらきをもつとされる(注2)。
まとめると、暴力にはふたつの異なるベクトルがある。第一には、暴力をつかって「以前の法」を侵犯・破壊し、「はじまり」をつくり、打ち立てるベクトル。第二に、打ち立てた法を正統のもの(authority)とし、それを侵犯し破壊しようとするものを罰するベクトル。
現代社会に暮らす者の多くにとっては、あるいは、革命などによって政権や憲法が劇的に変化するという局面を目撃したことがない現代の日本語圏の生活者にとっては、この第二の法のベクトルのほうがなじみがあるだろう。
哲学や現代思想の世界に慣れ親しんできた者にとってはおなじみの考えかもしれないが、法が単なる文章によって成立している原理・原則集なのではなく、現実に人間の身体に作用する力であることは、この第二の法のベクトルを観察するとわかりやすい。
あなたが法を犯すとき、たとえば人のものを盗んだり、人を傷つけたりした場合、法はあなたの身体を拘束し、罰金を課したり、身体の自由を一定期間制限したりすることができる。法の執行機関は、警察と呼ばれている(law enforcement agency)。
近代以降の国民国家では、国家のみが暴力を独占する。主権者である国民が、個人に対してであれ組織に対してであれ暴力をふるう場合には、被害者によってではなく、公法によって裁き(報復的・懲罰的措置)をうけることになる。
ハンナ・アレントは、政治的概念としての権力と暴力とを切断して論じ、暴力をつねに正当化を必要とする道具として定義する。「権力は実際あらゆる政府の本質に属するが、暴力はそうではない。暴力はその本性からいって道具的なもの(インストルメンタル〔原文ルビ〕)である。暴力は、あらゆる手段がそうであるように、追求する目的による導きと正当化をつねに必要とする」(注3)。
それにたいし、「権力は政治的共同体の存在そのものにほんらい備わっているものであるから、いささかの正当化(justification)も必要としない。権力が必要とするのは正統性(legitimacy)である」(注4)。
アレントは、権力と暴力とを、単に異なるというだけでなく、対立するものととらえており、暴力は権力を破壊できるが、しかし、暴力が権力を創造することはないと述べている。つまり、アレントによると、権力と暴力とが正面から対立した場合、暴力はその本質が道具であるがゆえに、その戦いに勝利する。そして、暴力の矛盾は、その矛先を完全に破壊し尽くしたのちに、自身をも破壊してしまうことであるという。
ベンヤミンが「暴力Gewalt」の批判をおこなった際には、「神話的」である法の暴力(権力)をくつがえすものとして、対抗暴力(神的暴力)が想定されていた。念頭には、「暴力批判論」が執筆された1910-20年代の労働者階級によるゼネラル・ストライキがあった。それは、神話的な起源をもつ法措定の暴力と、それに仕え、維持する暴力との両者を否定し、停止させ、機能不全にする。
アレントが、「暴力について」の論考を書いていたのは1960年代後半のアメリカで、公民権運動やベトナム反戦運動、学生運動が念頭にあったことだろう。もちろん、自身がもっと若い頃にまのあたりにしたナチスによる大量虐殺も。
暴力のうちに潜むふたつのベクトルをとらえることも、暴力と権力の差異を分析し、きめ細やかに両者をとりまく複雑な現象をとらえることも、暴力の縮減に役立つのかもしれない。しかし、21世紀を生きる私たちは、権力が暴力と一体になる瞬間を、頻繁にどころか、日常的に眼にしてきた。
権力の維持には暴力が欠かせない、というよりはむしろ、権力そのものの成立条件、権力に正統性を付与する私たち民衆の生存基盤そのもののうちに、暴力が備わっていると言ってもよいのではないだろうか。あるいは、暴力の質や量はちがえど、権力の成立要件には、不可避的に暴力がかかわっているのではないだろうか。非暴力的な権力、暴力を行使しない権力などないのではないか。そして、暴力の認定じたい、つまりなにを暴力とし、なにを非暴力とするのか、なにを残虐な行為と認定し、なにを許容しうる行為とするのかの基準設定に、権力がおおきく関与しているのではないだろうか。
ミシェル・フーコーは、『監獄の誕生』から『性の歴史Ⅰ 知への意志』にいたるまでの論考のなかで、古典時代と彼がよぶ前近代から近代にかけての期間、権力のエコノミーがどのように変化したかを分析している(注5)。彼によれば、18世紀には、公開処刑をふくむ「はなばなしい身体刑」は、公衆の面前で、なんの臆面もなく、おこなわれた。身体刑を公開でおこなううえで、正当化がとくに必要とされなかったのは、それが暴力ではなく、権力の行使だと考えられたからである。
もっともそこでいう権力は、古典時代のそれであって、現代社会での権力とは違っている、とフーコーはいう。それは、王権のもとでの権力であって、臣民を生かしたままにしておくか殺す(王の)権利を意味していた。王はその正統性を担保するべく、権力を演出しなくてはいけない。したがって、王の権利の発露である身体刑は、公開で、はなばなしく演出されなければいけなかった。
近代にはいるとそれに代わって、ブルジョワジーが台頭し、国民国家が誕生する。それにともなって、王の殺す権利は、(国家による)生かしておく権力、生をよりよく促進していく権力にとってかわる。権力維持装置としてのはなばなしい身体刑は、もはや不要になった。死刑をむやみにおこなうのも、採算があわなくなった。それより、工場で生産活動に従事したり、戦場で命をかけて国家の主権者をまもったりする道具=身体が必要だった。個々の身体が主権者であると同時に、権力にとって重要な資産になるとわかれば、目に見える暴力の使用は、正当化を必要とするにようになった。
多少単純化しすぎだが、以上がフーコーが展開した論から読み取れることである。
フーコーの猫写と分析があきらかにしてくれることは、以下の点である。
1.古典的権力は、現代からみると、いとも容易に、凄惨な暴力をもちいる。
2.その際に、正当化の必要はない。それは、権力の発動であり、制度のなかで許容された暴力だったから。
3.権力が発動しているとき、人はそのもとにあらわれる「暴力」を「残虐」だとはみない。痛みを最大化し、長引かせる創意工夫がなされたとしても。
4.近代以降、権力のエコノミーが変化してから、それを「残虐な行為」と認定する。
5.近代以降の権力は、新しい科学・技術・デザインをつうじて、市民の、国民の、主権者の、個々の身体のうちに内面化される。
6.権力が内面化されていくと、もはやその発動は、個々の身体の「自由意志」のうちに隠れていき、そのもとにあらわれる暴力も、見えにくくなっていく。
権力と暴力との関係が制度のうちでどのように生成するかを、みごとに分析している、と私は思う。さらに付言すれば、上記のプロセスのなかで、そもそも個々の身体を主権者として主体化した暴力は、ほぼきれいに忘れ去られることになる。
たとえば人権を例にとろう。すべての人間が、生まれながらにして、誰にも侵されることのない権利を有する、と宣言がうたうとする。現代社会に生きる私たちは、そのことを自明のものとしてとらえる傾向がつよい。しかし、それを保証するのは近代国家が独占する法の暴力である。主権者である市民の人権を侵す何者かを、監視し、捕まえ、裁き、罰することは、法の暴力を使用しないとできない。
もちろん、法の暴力によって守られるどころか、「二級市民」として不当逮捕されたり殺されたりする対象になりやすく、法の暴力によって攻撃にさらされやすい「アフリカ系アメリカ人」や「アメリカ先住民」たち、あるいは「障がい者」や「ハンセン病患者」、「在日外国人」たちは、このことの虚偽性や矛盾に気がつきやすい位置にいる。権力が暴力と一体化する瞬間に、何度も立ち会っているのだから。
【注】
1) 酒井隆史『暴力の哲学』河出書房新社、2016.
2) ヴァルター・ベンヤミン(野村修訳)「暴力批判論」『ベンヤミン著作集1 暴力批判論』晶文社、1969=1921.
3) ハンナ・アーレント(山田正行訳)『暴力について――共和国の危機』みすず書房、1972=2000, p.140.
4) 同上、p.141.
5) ミシェル・フーコー(田村俶訳)『監獄の誕生――監視と処罰』新潮社、1975=2020[1977].
ミシェル・フーコー(渡辺守章訳)『性の歴史I――知への意志』新潮社、1976=1986.
[© Yutaka Nakamura]
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