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過去と未来の“瓦礫”のあいだで

新原道信

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第8回 宮古・石垣の「声」が聴こえるか(1)

     他の人、他の生き物、大地の「声」が聴こえるか。

     “端/果て”の“ひとごと”だと思っていたことが、ある日突然、“わがこと”となる。「些細なこと」として見過ごしていた。しかし、後になって、「ああ、そういうことだったのか!」という「舞台の転換(ペリペティア)」が起こる。

     自らの眼前に立ち現れている“生身の現実”への無関心が“瓦礫”を生み出すことなど想像することもなく、時代を揺るがす出来事をただ傍観するだけなのか。

     

    1.ずっとこころにのこっている

     

     わたしのなかで、「ずっとこころにのこっている」ことがらがある。それは、2018年の宮古、2017年の石垣への旅で出会った「声」だ【注1】。サルデーニャと沖縄の比較研究から調査研究者の道を歩み始めたわたしにとって、宮古・石垣などの先島諸島(宮古列島と八重山列島)は、琉球弧のなかでもとりわけ「気になる」場所であった。その「先島」に、2016年1月の与那国駐屯地につづいて、宮古島駐屯地が2019年3月、石垣島駐屯地が2023年3月に開設された。「南西諸島の奄美大島、宮古島、石垣島にミサイル部隊が配備され、これで軍事的『空白』がなくなった」のだという。

     「南(西諸)島」はいま、日本の「生命線」を守るための「前線基地(橋頭堡)」として「発見」されている。厚木基地から岩国基地への戦闘機の移転、佐世保の強襲揚陸艦と水陸機動団、馬毛島への空母艦載機離着陸訓練の移転、宮古・石垣でのミサイル基地建設、北大東島へのレーダー配備――基地は、地域に急速な変化をもたらしている。

     〈基地(base, camp, installation)〉とは、国際関係や国策によってもたらされる巨大な施設(拠点)のメタファーだ。軍事施設のみならず、核施設、空港、清掃工場・最終処分場、下水処理場、石油備蓄基地など、「迷惑施設(NIMBY)」と称されるものが多い。ある日、ある土地は、大きな力によって「発見」され、翻弄される。気がついたときには、限られた「選択肢」の枠内でしか考えることが出来ない状況に追い込まれていく。

     いったい誰の「生命線」なのか。かつては、東南アジアや南洋を「生命線」とした。いまではホルムズ海峡が「生命線」だと言われる。「日本を守らないといけない」「南西諸島はミサイルがあるなしにかかわらず標的になる場所なんだから、なんで配備に反対するのか」といった意見が報道される。「標的」の役割は、「守る」べき「自分」の「外部」に割り振られる。

     しかし、前線の「標的」として「発見」された土地にも、ごくふつうの人々の暮らしがある。土地を切り開き、農地を耕し続けた人々がいる。静かな暮らしのために移住してきた人々がいる。大きな力にただ翻弄されるだけなく、はめ込まれた「枠」からぶれてはみ出し、声を発し、想いを伝えようとする人々の「声」と想いが在る。

     いまあらためて、土地と人の奥深く、発せられていた聴かれるべき「声」、その背後の想いの重さを受けとめたい。少しだけでも、宮古と石垣で出会った人々の「草の根のどよめき」【注2】の一端を伝えられれば幸いである。

     

    2.2018年の伊良部・下地・宮古島への旅

     

     「辺境」とされる島々は、いまを生きる人間や社会の内なる「ひずみ」や「ゆがみ」、“痛み/傷み/悼み”を引き受けている――そう考え、島々を歩いてきた。2018年3月には、ドキュメンタリー制作者や市民活動家の人たちを手助けしているSさんのご助力により、「宮古の現在」を訪ね歩いた。

     このときは、二日にわたって、伊良部島、下地島、宮古島を一周する機会をいただいた。久松地区から久貝を抜け、2015年1月に開通した巨大な建造物である伊良部大橋を渡った。段差のない「珍しい橋(軍用車両向けか?)」をわたり、伊良部島に入ると、海岸部の開発が進んでいる。

     伊良部島の長山港は、海上保安庁の新たな拠点港となり、「尖閣対応のため」、12隻の艦船の配備が予定されていた。渡口の浜は、米軍の水陸機動団が訓練をした海岸である。宮古の地図を踏みながら作戦の立案をしている写真が注目を集めたが、それはSさんたちが海兵隊員のSNSから発見したものだった。[写真①][写真②][写真③][写真④][写真⑤]

     

    [写真①:伊良部大橋]

     

    [写真②:伊良部島・下地島の地図]

     

    [写真③:長山港]

     

    [写真④:渡口の浜]

     

    [写真⑤:下地島空港管制塔]

     

     橋をわたり、下地島に入ると島の半分近くを占める巨大な滑走路をもつ下地島空港滑走路と下地島空港管制塔が視野に入ってくる。ここには、高性能の管制塔がある。現在はほとんど使われていないが、それでも、地元資本の大米(だいよね)建設(平良市の元市長の下地米一が創業し、長男が会長兼社長、弟が衆議院議員)が工事を続けており、米軍の輸送機とヘリコプターが来て給油をしていく。伊良部島にある高校は、統廃合で揺れている。下地敏彦市長は学校の統廃合で生まれる工事を推進しようとしている。

     伊良部島の東海岸を通って帰路に着く。佐良浜漁港では、伊良部大橋建設以前にはフェリーが着岸し追い込み漁もやられていたが、大橋の開通後は「開発」から取り残されている。

     宮古島は、以前にも〈基地〉の島とされていた。陸上自衛隊の駐屯地建設現場に近い野原(のばる)岳周辺には3万人規模の将兵を抱える第28師団の司令部、1400mと1700mの滑走路をもつ陸軍中飛行場などの軍事施設があった。その場所がそのままに、 航空自衛隊宮古島分屯基地となっている。分屯基地の正門の前に立つと、通信を傍受するため設置された巨大な施設の電磁波が身体に突き刺さるような感覚を覚える(ヨーロッパでは0.1µW/c㎡[平方センチメートルあたりのマイクロワット数]だが、ここでは200µW/c㎡以上となっている )。電磁波の影響は、頭痛やめまい、動悸など、個々人の「ちょっとした不具合(minor ailments)」として「処理」される。[写真⑥]

     

    [写真⑥:航空自衛隊宮古島分屯基地]

     

     日本陸軍は、中飛行場以外にも西飛行場をもっていて、これら以外に海軍にも飛行場があった(現在の宮古島空港である)。1944年7月のサイパン陥落後、急速に進められた三つの飛行場の建設にあたっては、女性子ども老人も借り出され、土地を強制的に接収された人々の多くは、移住先で飢餓とマラリアに苦しんだ。将兵の食糧確保のため、女性子ども老人の台湾への「疎開」が国策として行われたが、敗戦後の「引き揚げ」も米軍占領下で進まなかった。

     基地は、地域の住民そして「外地」から連行された人々の「生」に大きな影響を与えた。旧陸軍飛行場跡地のほぼ真ん中に位置するアリランの碑は、2007年に建立にされたものだった。Sさんによれば、与那覇さんという地元の方は、子どもの頃に出会った「慰安所」の女性たちの存在が何を意味するかを後からしることとなった。与那覇さんとSさんたちは、「慰安婦問題を考える宮古の会」を立ちあげ、韓国・日本・沖縄の調査団が来て、島内各地に多くの慰安所があったことが判明した。朝鮮半島などの「外地」から連れてこられた女性たちだった。[写真⑦]

     

    [写真⑦:アリランの碑]

     

     この碑の隣には、衛生兵として招集され宮古に移駐した高澤義人さんによる「補充兵われも飢えつつ餓死兵の骸焼きし宮古(しま)よ八月は地獄」(2005年8月15日建立)という歌碑があった。[写真⑧]

     

    [写真⑧:高澤義人さんの歌碑]

     

     野原から島を南下すると、衛星システムの追跡管制局(準天頂衛星システム宮古島追跡管制局)を見ることが出来る。種子島、久米島、宮古島、石垣島、神戸、常陸太田に同様の施設があり、米軍のステルス機に位置情報を送るためにも活用されているという。[写真⑨]

     

    [写真⑨:衛星システムの追跡管制局]

     

     その少し先の海沿いには、ドイツの城を模した「うえのドイツぶんか村」の建物が並んでいる。リゾートマンション群がつづくが、丘の上の高級ホテルからビーチに行くためのリフトがつくられている、これだけの施設を維持するのは、並大抵のことではないだろう。それでも、この地域では、建設ラッシュがつづく。

     宮古島の東端の透明度の高い海を眺望できる東平安名崎(ひがしへんなざき)の近くに保良(ぼら)という集落がある。この集落から見下ろすと、窪地となっている場所に、採石場の「保良鉱山」がある。住宅地からわずか200メートルほどの至近距離のこの場所が、陸上自衛隊の弾薬庫と射撃訓練場建設予定地となっており、そのすぐ近くには、海上保安庁の射撃訓練場の建設が予定されている。[写真⑩][写真⑪]

     

    [写真⑩:保良鉱山から保良の集落を遠望する]

     

    [写真⑪:海上保安庁の射撃訓練場建設予定地]

     

     島東岸の高野漁港は、佐世保相浦の水陸機動団と米軍合同の上陸訓練の予定地となっている。北部に位置するハンセン病患者療養所の南静園は、空襲により壊滅的な被害を被った。1945年の9月頃まで洞窟にかくれていて、饑餓と伝染病で多くの人が亡くなったという。

     宮古島を一周した後、寄宿先の近くの松原公園へと向かった。日本海軍の機関銃壕近くの松原公園では、公園の整備事業の看板が出ていたが、あと二日で終了する事業であるのに、その場の状況から作業の遅れが確認された。[写真⑫][写真⑬]

     

    [写真⑫:機関銃壕跡]

     

    [写真⑬:松原公園]

     

     宮古島(伊良部島、下地島)もまた、国家の力に翻弄される他の島々と同様、「基地と観光と土建」の渦中に在る。しかしそれでも、丹念に手が入った畑地もまた生命力を保っている。駐屯地の近くで農業を営むNさんの表情やしぐさ、「おかしいじゃないですか」という言葉を想い出す。[写真⑭]

     

    [写真⑭:耕作地とレーダー]

     

    3.御嶽の森はどうなっていくのか

     

     宮古島への旅で、もっとも「こころにのこる」瞬間があった。それは、Sさんの案内で、自衛隊駐屯地の建設現場である千代田カントリークラブ・ゴルフ場へとやって来たときのことだ。

     トラックが出入りする入口近くで、基地建設に反対するプラカードなどを掲げて立つ人たちと、騒音と粉塵のなかでの時間をともにした。出入りするトラックを運転する人たちにも声をかける。目を背ける人、挨拶する人、手を振る人――様々な応答がなされている。地元採用の作業員と本土から来た人たちの間でかなりの賃金格差があることも耳にした。ここでの話は、日々の暮らしから政治の状況まで、縦横無尽で多岐にわたった。粉塵防止のマスクと日焼け止めについての話もまた、大切な話題となっている。「基地反対」も農業も祈りも、突然持ち込まれた非日常とは異なる「日々の営み」として、慎み深く、思慮深く行われている。

     フェンス沿いにすすんでいくと、金網の向こう側、剥き出しとなった岩や石から舞い上がる粉塵の少し先に、かろうじて少しばかりの木々が残っていた。[写真⑮]その森は、沖縄の祈りの場である御嶽(うたき)の森(おそらく宮古では「すく」と呼ばれているのであろう)である。しかし、その森には、祭祀のためにつくられた道や階段がすでになかった。陸上自衛隊駐屯地の建設工事が始まってしばらくは、石屑が散乱する道路上に、天然記念物のウシガエルの大量の死骸が折り重なっていたという。森で暮らしていた他の生き物たち、天然記念物のリュウキュウキンバトなど、森の生き物たちは、いまはもう、影も形もない。「すごいことになっている(!!)」――Sさんは、変貌した姿に声をあげ、すぐさま森にむかって駆け出した。

     

    [写真⑮:削り取られた御嶽の森]

     

     ゴルフ場の敷地内には、貴重な戦争遺跡である飛行場跡や地下壕があったが、それらもすべて、破砕された。戦跡の近くに昔の風習であった風葬の墓地もあったが、その上に宿舎が建設されつつある。負債を抱えたゴルフ場のクラブハウスでは、レストランの営業が続けられている(「宮古そば・カツ丼・牛丼各600円」の看板があった)。[写真⑯]

     

    [写真⑯:食堂の看板]

     

     広大な土地がくりぬかれ、掘り出された石がその場で破砕され、断層がくっきりと見えている。粉塵対策はほとんどなされていない。いま見ているのは「わずか140日間の変化だ(!!)」。御嶽の森の営みは、これからどうなっていくのだろうか。[写真⑰]

     

    [写真⑰:駐屯地建設工事現場]

     

     2018年の宮古は、ずっと「こころにのこって」いる。「景観」の背後に在る構造と情動(汗や想い)を掬い/救いとることを旨として旅をしてきた。「遠く」からだとしても、時折ニュースで伝えられる野原の駐屯地や保良の弾薬庫の変貌した情景を、2021年1月の選挙で敗北し5月に自衛隊駐屯地をめぐる収賄の容疑で逮捕された下地敏彦市長の表情に、生々しさを感じる。2023年4月6日に伊良部島付近で墜落した陸上自衛隊第8師団のヘリコプターのニュースが目に飛び込んだ。呼ぶ声が聞こえるような気がする。建設現場での口や鼻のざらついた感覚とともに。

     

     

    【注】

     1)いずれも、東洋大学教員の鈴木鉄忠さんと宮古・石垣の方たちとの信頼関係により実現し、鈴木さんに同道いただいた旅であった。

     2)この言葉は、恩師・古在由重先生(1901-1990)の著書『草の根はどよめく』(築地書館、1982年)からいただいている。

     

     

     

    [© Michinobu Niihara]

     

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