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過去と未来の“瓦礫”のあいだで

新原道信

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第4回 “廃棄物の反逆”(1)

    いかなる事実にも、いかなる出来事の新しさにも、あたかも絶縁体でしかないようなファナティシズムを別とすれば、八・六と八・一五は目本のファシスト的戦争劇における最大のペリペティアであった。主人公たちの頭と心のなかで「無知から知への急転」がそこで生じねばならないはずの「認識の場」であり、ドラマの窮極の意味が「そうであったのか!」というかたちで了解されるべきラスト・シーンであった。もとギリシャ語のペリペテイアは、ことに、悪しき状態への、人間的災禍への急変という意味をもつものであるが、八・六と八・一五のパニック、自己をも含めてこの国民の最大の災禍をかかるものとして率直にみとめ、つづいて、「最後に」このような「結果としてあらわれ」たものが「客観的現実のなかにすでにとっくに存在」していたことを承認し、この確認にもとづいてあの「本質」をたぐりだし、その「本質」への自己のかかわり合いを明らかにしようとすること、このことが責任性の問題一般が生じうる必須の条件なのである。

    (真下信一「思想者とファシズム」『真下信一著作集 第2巻』青木書店, 1979年,165ページより)

     

    1.2023年8月「8.24」の「処理水放出」と「3.11」のペリペティア

     

     「そうであったのか!」――いまこの原稿を書いている2023年8月24日、東京電力福島第一原発からの「処理水の放出」が始まったとのニュースが流れている。8月25日には、海水のトリチウム濃度を調べた結果、「放出に伴う異常な値は出ていない」との説明がなされた。これから少なくとも「30年程度は続ける」とされる「放出」の瞬間を、「身が切られる」思いでただ見つめるひとがいることに、想いを寄せざるを得ない。

     「わたしたちは、いま、そしてずっと、“未発の瓦礫(rovine nascenti)”“破局へと至る瓦礫(andare in rovina)”のなかにいるのだ。この“瓦礫や廃墟の切れっ端(rovinaccio)”、“瓦礫の出現(rovine emergenti, emerging ruins)”を“感知/感応”し、身体とこころを揺りうごかしているのか?」――そう問われている気がして、いてもたってもいられない気持ちでいる。

     わたしの生涯の師である真下信一先生は、太平洋戦争での日本人と日本社会の体験を、「ペリペティア(悪しき状態、人間的災禍への急変)」という言葉で表し出した。太平洋戦争の「ペリペティア」から78年、「3.11」から12年半、この間にわたしたちの眼前には、いくつもの「ペリペティア」が立ち現れ、呆然と、あるいは身をよじり、目を背けようとしてきた。真下先生はさらに、こう述べる。

     

    「八・一五」をわれわれは見た。それは事柄の事実的経過のなかで「うわべのまやかし」が一枚一枚と剥ぎとられてゆくそのとどのつまりに、むき出しの「本質」としてあらがいがたく目前に横たわったものであった。それを各自が見たと思ったそのイメージを保ちながら、あの歴史的経過を逆にたどれば、数々の「うわべのまやかし」が、あたかもフィルムの逆回転のなかでのように、一枚一枚と各自のもつ「本質」のイメージの上へ戻されてゆく。

    (同書, 166ページより)

     

     「ついに始まったか!」――相馬や浪江で、海とともに暮らしてきたひとたちには、「放出」への“予感/予見(doomed premonition, premonizione dell’apocalisse)”があった。人生のほとんどの日々を海で過ごしていた。津波で船を失い、避難生活を送ったが、それでも借金をして船を買い直した。試験操業がやっとのことで解除され、さあこれからというときに、「処理水の放出」が決まった。「関係者の理解なしには」行わないはずだったが、その「約束」は果たされず、「ついに始まった」ということなのか。しかしこの「転回」は、福島第一原発に汚染水を蓄えるタンクが造られたときから実は始まり蓄積され、臨界量に達した。つまりは、これこそが「とどのつまり」の「本質」だったのだ!

     「3.11」は、「8.6」や「8.15」と同じく「悪しき状態」「受難」への「ペリペティア(悲劇的急転)」であったが、「8.24」は、「3.11」の「むき出しの『本質』」として「ついに」立ち現れた。その「本質」とは、「棄民」「廃棄(された民や生き物や土地)」、「3.11」以前にも、実は「客観的現実のなかにすでにとっくに存在」していた問題である。

     石牟礼道子は、『苦海浄土』の「あとがき」で、「今日この国の棄民政策の刻印を受けて潜在スクラップ化している部分を持たない都市、農漁村があるであろうか」と問いかけた。日本列島には、「自分の背骨が折られていく」思いで、そこから/そこで「出郷」したひとたちが、こころの声を押し殺しつつ暮らしている。地域社会は根こそぎに破壊され、ひとや生き物、自然とのつながり、過去の記憶や遺産(レガシー)、生業や暮らしからの「出郷」を余儀なくされ、切り離されていく。「被災地」や「基地」や「廃棄物処分場」では、「保障」をめぐって境界線が引かれ、分断され、除外される。

     すでにつくりだされ循環し滞留してしまっている放射性物質や各種の化合物などの「発明品」は、「廃棄物」となった後も、大気圏に、大地に、水系に、“異物(corpi estranei, foreign bodies)”として居残り続ける。生態系の循環のもとで、風に運ばれ、雨や雪に付着して、わたしたちのもと、大地のもとにやって来る。天然の鮎やヤマメ、日本の農山村を豊かな恵みで満たした川や土は、別物の「受け皿」へと姿を変え、“異物”はわたしたちの身体にも蓄積されていき、予測困難な「劇的な収支決算」(メルッチ)を、これから生まれ来る世代にもたらしつづける(注1)。

     伊豆の祖父母の田舎で育った身の上から、里山と里海がつながり、つらなり、循環し、そのなかに人間や他の生き物も生き、生かされているという身体感覚がある。そこでは、山の上には入会地と共同墓地があり、山から水が流れ、田畑と民家、集落の境には神社がある。家の近くの坂を下ると川が水をたたえ、魚や水生昆虫が暮らしている。川の水で果物や野菜を洗い、魚をとる。流れた米粒は、魚が食べる。狩野川水系の水は駿河湾へと流れ行き、海から生まれた雲が天城山に雨を降らせる(祖母から学んだ「エコロジー」だ)。その生態系、閉じない循環のなかに、「処理水」という人間の「発明」による“異物”が闖入し、生態系が断裂していく。

     「汚染水を蓄え」続けるには、廃棄物の「置き場」となるべき「外部」が必要となる。しかし、グローバリゼーションによって「外部」(あるいは(「植民」の対象となるはずの)「荒野」)は消失し、いまやわたしたちは、思っていたほど広くも無限でもない「惑星地球」に暮らしている。ひとたびこの土地の許容範囲を超えた汚染や環境破壊が起これば、たやすく社会そのものが「自家中毒」を起こし、“生存”の基盤が脅かされる。こうして惑星地球規模となった現代社会は、すべてがローカルな運命共同体、逃げていく場所のない地域(テリトリー)として存立している。

     2001年に白血病で夭逝したメルッチが、もし「3.11以降の惑星社会」に居合わせたとしたら、いかなる着眼と問題への応答をしていくのだろうかと考えた。おそらく彼なら、以下のような問いかけをするのではないかと思った(注2)。

     

    いまもなお、これからもずっと、放射能を含んだ水が流されつづけているこの時代に、

    なぜわたしたちは、自分の身体の問題でもある“惑星社会の諸問題”を意識できないのか?

    受難、死、喪失、社会的痛苦を「おわったこと、なかったこと」にする力に取り囲まれ、

    一般市民同士の、風水土や他の生物との、未来とのはてしなき相克、闘争が予感されるなかで、

    “見知らぬ明日”に対して、人間には、学問には、いかなる使命があるのか?

     

    2.「棄てるゴミ」のむこうにひとが居る、生物がいのちをつなぎ、風水土、地域、惑星が在る

     

     「汚染水」は「処理された」後に「廃棄」される。しかし、ここでの「廃棄物(rifiuti)」そして“廃棄(dump[ing])” とはどういうことなのだろうか。

     わたしが暮らしていた地中海第二の島サルデーニャは、四国よりも大きく、北海道程度の人口密度で、イタリア本土から見れば、広大な「荒野」が拡がっていた。その「荒野」は、フェニキア・カルタゴ、ローマ帝国から近代イタリアまで、都市への食料や資源の供給基地であり、第二次大戦後のイタリアの全国総合開発計画による「拠点開発」では、巨大な石油化学プラントが建設され、牧夫や漁民の生活に大きな影響を与えた。

     サルデーニャ島北東沖のラ・マッダレーナ群島にあるサント・ステファノ島に米軍直轄の原潜基地が建設され、2003年には、アメリカ海軍のロサンゼルス級原子力潜水艦のハートフォードが座礁し、放射能汚染が問題となった。放射性廃棄物のみならず、サルデーニャの巨大石油化学プラントには、膨大な汚染物質と廃棄物が放置されたままであり、それに加えて、いまでは外部の産業廃棄物の処分場となり、シチリアのタラントから廃棄物が陸揚げされている(注3)。

     サルデーニャの境遇は、1985年から1987年にかけて広島での調査でお世話になった木原省治さんから教えていただいた山口県上関町の状況と重なってみえる。上関町では、「3.11」で原子力発電所建設準備工事が中断された後、使用済み核燃料の「中間処理施設」を建設するための調査をする方針が、この8月に固められた。飯舘村などではすでに、除染廃棄物の「仮設焼却施設」が造られている。「廃棄物」は、特定の土地とひとのもとへと集められ、遺棄される。

     前出の「棄民」「廃棄(された民や生き物や土地)」とのかかわりで、特定のひとや土地に身の上に起こっている“廃棄(dump[ing])” の意味を考えてみよう。

     中期オランダ語dompenの「沈める」「埋める」、スウェーデン放言dompaの「ドスンと落とす」などに由来するdump[ing]は、ゴミを捨てる・投棄する、人を見捨てる・見限る・放り出す・首にする、ひとに押しつける、移民を外国に送り出す、責任を投げ出す・転嫁する、考え・政策などを棄てる・やめる、過剰商品を投げ売りする、汚物や核廃棄物を海や陸に棄てる、ひとをだます・弱みにつけこむ・けなす・こきおろす・やつあたりする・破滅させる・殺す、吐く・もどす、患者をたらい回しにする、などの意味を持つ。患者の廃棄、外国人の廃棄、地方の廃棄、不採算部門の廃棄、価値の廃棄(民主主義とか、内面の自由とか、平和とか平等とか思想とか、そのような人間的価値の廃棄など)、自然、地域、願望、大切な記憶、“良心(の呵責)/罪責の感覚”、何よりも人間そのものの“廃棄” の問題が含まれている。

     こうした「ゴミ」「瓦礫」「廃棄物」と「役に立たないもの/ひと」「不要品/有用な人材でないひと」、「毒物/(社会の)害虫(とされるひと)」「廃材/廃人」なども含めた “廃棄物の発明(invention of refuse)”は、めぐりめぐって“廃棄物の反逆(rivolta dei rifiuti, revolt of refuse)”を、社会に/環境に/生命に/人間に引き起こす。

     存在を拒否(refuse)されたものとしての廃棄物は、同時に生命体を拒絶(refuse)する。海深くもぐる鯨や南の島のウミガメやアホウドリが、子どもたちのために命をかけて必死に集めてきたエサにはプラスチックを始めとした“異物”が混入している。いのちをつなぐ必死の努力が子どもの命を奪うことになる。山野河海に暮らす生物の問題と、生まれ来る人間の子どもたちの脳や生殖器官、精子などへの影響は、「網の目」状につながった惑星規模の(切れ目のない)ひとつの問題を形成している。「大洋」の奥深く、遠き果てに暮らす生物と、わたしたち人間の子育てが、ひとしく、偏差をもって、“廃棄物の反逆”に曝されている。

     “廃棄物の反逆”は、わたしたちの「日常生活」さらには“生存の在り方”が厳しく問いただす。「超(スーパー)システム」(多田富雄)としての巨大都市(メガシティ)の「日常生活」は、〈生産のための資源調達-加工-流通-利用-利用後(フロントエンドとバックエンド)〉の全過程で、膨大な「廃棄物」を生み出し続けている。惑星の隅々まで及ぶ開発の力によって、人や物資のみならず、資本も情報も含めた巨大なシステム・ネットワークとなった惑星規模の都市社会は、惑星地球という小船に乗っている。都市住民がゴミを捨てるための「荒野」はもはや存在しない。自分(たち)の「外部」に捨て去ることはできず、“反逆”に直面し続けることになる。

     エネルギー資源が確実に枯渇していく一方で、“造り出された廃棄物(invented refuse)”からは逃れられない。つらなるいのちの行方に決定的な影響を与える“異物”は、「処理」も「解毒」も「除染」も出来ず、満杯になれば、なし崩し的に「遺棄」や「投棄」をするしかない。すでに人類によって“造り出された廃棄物”に対して、NIMBY(「迷惑施設」を遠ざけたい)は成立しない。それがどんなに「遠方」であっても、確実にその影響は自分のところに(不条理な「偏差」をともないつつ)やって来る。「処分」できないもの/してこなかったものは、放射性物質だけではない。プラスチック、合成化学物質、様々な化合物、フロンガス、二酸化炭素・窒素・・・・・すでに造られてしまった“廃棄物”は、この先もずっと、人類滅亡後も確実に地球上に残っていく。

     もはや、小さな地球の「物理的限界」を無視した対処法――「放水」はもちろんこと、廃棄物処理場が満杯になったからといって新たな候補地を探したり、オイルシェールやメタンハイドレートといった新たな地下資源を採掘したりといったやり方――では、ただ“問題を先送りにする(rimandare i problemi al futuro, procrastinating problems)”だけだ。

     「我がなき後に洪水は来たれ(Après moi le déluge!)」と言い放って「仕方がない(思考停止)」としないのであれば、「わたしたちの時代(人新世)」の「負債」に対する“責任/応答力(responsibility)”が必要となる。たとえば、放射性廃棄物への“責任/応答力”としては、むこう10万年の(現在の言葉や考えなど伝わらないかもしれない)「他者(ひと以外のいきもの/モノ/地)」を見据えたうえで、「いま」を生きる自分に問いかける必要がある(注4)。「棄てるゴミ」のむこうにひとが居る、生物がいのちをつなぎ、風水土、地域、惑星が在るのだ。

     

    【注】

    1) 新原道信「“受難の深みからの対話”に向かって――3.11以降の惑星社会の諸問題に応答するために(2)」 『中央大学社会科学研究所年報』19, 2015年, 66-68ページより。

    2) 新原道信「“境界領域”のフィールドワーク”から“惑星社会の諸問題”を考える」新原道信編『“境界領域”のフィールドワーク――惑星社会の諸問題に応答するために』中央大学出版部, 2014年, 2-3ページより。

    3) 新原道信『境界領域への旅――岬からの社会学的探求』大月書店, 2007年と、新原道信「“惑星社会の諸問題”に応答するための“探究/探求型社会調査”――『3.11以降』の持続可能な社会の構築に向けて」『中央大学文学部紀要』社会学・社会情報学23号(通巻248号), 2013年3月, 61-62ページより。

    4) 新原道信「A. メルッチの『限界を受け容れる自由』とともに――3.11以降の惑星社会の諸問題への社会学的探求(1)」『中央大学文学部紀要』社会学・社会情報学24号(通巻253号), 2014年3月, pp.48-51。

     

     

    [© Michinobu Niihara]

     

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    連載記事

    第1回 “瓦礫”の予感(1)

    第2回 “瓦礫”の予感(2)

    第3回 “瓦礫”の予感(3)

    第5回 “廃棄物の反逆”(2)

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