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本のおくりびと

上野 朱

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第1回 さよならの風景

     ある日のこと、そこにあったはずの建物は影もなく、アスファルト舗装の駐車場の一画に、そこだけ砂利を敷き固めた四角いスペースが取り残されていた。そばには小型ダンプが停められ、その脇の日陰で2人の作業員が休憩中だった。

     ここにあった店で商売してた者だけど、と声をかけると「あっ、そうなんだ」と驚いたような顔を見せる2人。おととい通った時はまだ建物があったけど、きのう一日で壊したの? と尋ねると若いほうの男性が「10分!」と威勢良く答え、年かさのほうもつられて笑った。こういう展開では私も笑わないといけないじゃないか。

     借りていた店舗から退去するにあたって、本棚もカウンターもすべて撤去しておいたので、残っていたのは壁と屋根と窓とドアというほとんど空き箱のような建物だった。構造も木造にモルタル吹きつけで、床もベタ打ちのコンクリートにフロア材を敷いただけという造りだったので、いくらなんでも10分は誇張だが、重機の力をもってすれば朝飯前の取り壊しだったことだろう。

     ほぼ20年間、この場所で古本屋を営み多くの人を迎えてきたが、壊す時はあっという間かと、滑稽なような淋しいような複雑な気分で初夏の陽に白く映える砂利敷きを眺めていた。楽しかったことや悲しかったこと、新しい発見や出会いのすべては、この場所に古本があり、お客さんが来てくれたことによってもたらされたものだ。これからしばらくの間、薄暗い古本屋の帳場から見た人と本の行き交いを記してみたい。

     薄暗いと書いたが、蛍光灯の光で本が焼けるのを防ぐためといった立派な理由で照明を抑えていたのではなかった。天井には全部で10台ほどの蛍光灯が取り付けられていたのだがそれが順に切れてゆき、放っておいたら自然に薄暗くなっていっただけのことである。しかしお客さんによってはその暗さを「古本屋らしくて懐かしい」と喜んでくれる人もあったので、これ幸いとそのまま横着を決め込んでいただけのことだ。

     しかしこんないい加減な古本屋でも仕入れがなくては成り立たない。仕入れの方法としてはお客さんによる持ち込み、買い取り依頼を受けて自宅に出向く、業者だけの市で入札や競りで落とす、古紙回収業者の集積所に積み上げられた紙の山から掘り出す、といったところだ。古書組合に入っていない私は市には出入りできなかったけれど。

     古本屋に蔵書を持ち込んだものの予想外の買い取り値の低さに落胆したという人も多いだろう。しかし少々弁明するなら、たとえば持ち込まれた100冊のうち、5冊か10冊が商品になればいいほうなのだ。それを10年寝かせるうちに売れれば上出来という商売なので、おのずと買い取り値は抑えめになる。もっとも流行り物のコミックなどは回転もよくほどなく現金に化けるので、それなりの値段で買い取ることができるのだけれど。

     買い取り値、ことに査定ゼロを告げるのが気の毒になるのは、若い頃から大切にしてきたという本(しかも今ではまず売れる見込みのない)を前にした時だ。本の状態や発行年に目を通す私のそばでお客さんはしみじみと語る。「初任給が1万いくらだった頃に何ヶ月もかかって月賦で」とか「幾度も引っ越したけれど、これだけは手放さずに」あるいは「亡くなった父がずっと大事にしていたもので」などなど。

     こんな時「申し訳ない。本の評価はしますが、あなたの思い出は査定に入りません」と言いたいけれど口には出さず、「いい本なのに値段がつかなくてすみません。でもなんとか次に活かせるようにしましょう」と答えていた。これはただの方便や商人口ではなく、書籍という「知」に対する敬意だった(他者や他民族を罵るだけの、知の欠片も感じられない書籍も多くなってしまったが)。1冊100円をつけても売れず、10円に下げても動かず、いずれは前述の古紙集積所に持ち込むことになったとしても、本に込められた知と、その本と共に過ごしてきた人の記憶をぞんざいに扱ってはならぬと心に刻んできたが、ふと、この仕事は一種の「おくりびと」のようなものかもしれないと思った。

     映画化もされたおくりびと――納棺師は、老いや病や事故で世を去った人の遺体を生前の姿に近付けるのが仕事だが、それは故人のためというよりも、むしろこれから火葬場へと送り出す遺族の心を癒やす役割のほうが大きいのではなかろうか。

     私事だが、義父の納棺にあたって遺体を整えてくれたのは、まだ若い2人の女性だった。僧侶のように遺族一同から恭しく頭を下げられるわけでもなし、お布施を包まれるわけでもないその2人は、硬直した遺体を器用に着替えさせ、長患いで乱れた髪を梳き、血の気の失せた顔に薄化粧を施して自然な色に戻すと、深々と一礼して去って行った。

     古本屋も同じだ。そこが店のカウンターであっても、お客さんの家の書棚の前であっても、その人にとっては馴染んだ書物との別れの場なのだ。そして古本屋が去った後の棚には当然空きスペースが残される。人との死別とは違って、本は後日再び同じものを買うことができるかもしれないが、ヤケやシミや開き癖はその1冊だけのものだ。いつか、あの本はどこに置いた? と無意識のうちに背文字を探してしまう日がくるかもしれない。そして手放したことを思い出してから、「きっと次の人に大切に読まれているだろう」と思ってもらえるような別れを提供すること。「本のいのち、引き継がせてもらいます」――合掌・礼拝まではしないが、それが「本のおくりびと」が果たすべき役割であろう、と。

     そんな古本のすきまに暮らしてきた私の、店で出会った本と人の話はいずれまた。

     

    [© Akashi Ueno]

     

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    連載記事

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    第3回 記憶の細道

    第4回 17歳の春に

    第5回 校正病のココロ

    第6回 婆ちゃんたちが待っている