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本のおくりびと

上野 朱

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第6回 婆ちゃんたちが待っている

     「郷土史のお客さんにうかつに相づちを打つと大変なことになる。話し始めたら止まらない」――地道に郷土の歴史を発掘したり、研究成果をまとめたりしている方にはなんとも失礼な言い草だが、これも「古本屋あるある」のひとつと言ってもいいかもしれない。

     郷土史研究家(なぜかほぼ男性)は古文書や郷土史誌に目を通し、記念碑や寺社などを訪ね歩いて蓄積した知識や自分なりの歴史観を熱く語ってくれるのだが、中には自分のところの家系自慢に横滑りしてしまう人もあって、そうなるともう相づちも打てない。先祖が何様であるかより、今のあなたがどういう人物かのほうが重要なのだ。それよりも、裸足や草履ばきで土の道を歩いてきたような人の、訥々とした昔語りのほうが具体的で興味深い。そしてそんな話をしてくれる人のほとんどが高齢の女性だった。そういう人には椅子をすすめる、お茶を淹れるといった露骨な差別的接待をするのが私の店の流儀だった。

     Oさんが初めて店に寄ってくれたのは、通院の帰り道だったか。好きな本の話からいつしか家族の話になり、私とほぼ同年齢の息子があるとのこと。さらに聞けばOさん自身も私の母と同じ歳で、女学校時代には勤労動員も経験したという話だった。

     「敗戦後すぐの頃は、着る物も食べる物もないでしょうが。それで仕方なしに警察に入ったんですよ。ただで制服をくれるというもんだから」――そんなわけで勤務中はもちろん行きも帰りも制服で通し、家にいる時だけは質素な着物で過ごしていたという。

     「あの頃はよくパンパンを見かけたけど、その女の人たちを取り締まるのが一番つらかったですよ。捕まえるのがかわいそうでねえ……」――今、「パンパン」など文字や言葉にすれば差別語として糾弾の対象になるかもしれない。しかし生きる糧を得るため好きでもない相手に身体を売るよりすべがない女性たちと、それを買う男たちがいた、という事実は否定しようもない。そんな女性の摘発に向かいながら、まだ若い彼女の心はどれほどの痛みや悲しみにさいなまれていたことだろう。語りながら目に涙を滲ませるOさんだった。

     そういうお話を息子さん達にされましたか? と聞くと「ほとんど話したことがない」という返事だったので、そんな大事なことは是非聞かせてあげてくださいと勧めていたが、いつの間にか姿を見なくなった。存命なら90代後半のはずなのだが。

     文学、俳句好きのFさんは、常連の女王と言っていい。ひと月に2、3度「Fの婆ちゃん来ましたよ~」とやってきて、「一緒におやつを食べようと思って」と、手提げからバナナや饅頭なんかを取り出す人だった。最初の頃に「来年で90歳になりますねん」と言われていたが、それから時を経ても「来年で90歳」は変わらなかった。

     筑豊の農村に生まれ育ち、結婚してからは大阪で暮らし、夫を亡くした後に娘夫婦の住む福岡県宗像市に移ってきたF婆ちゃんの言葉は筑豊弁と関西弁のミックスで、ともすれば喧嘩しているようで怖いと言われる筑豊言葉がいい具合に和らげられていた。

     生家は遠賀川上流の小さな村にある農家で、小さい頃から毎日畑仕事の手伝いをしていたというFさん。畑の周りには何本もの柿の木が植えられていて、自らをお転婆娘だったという彼女は、親の目を盗んで木に登っては柿の実をもいで食べていたという。

     「とても美味しかった」と舌が記憶するその柿は、業者が木ごと買い付けに来ていた。といっても伐採するわけではなく、「この木になった実を一括で買い取る」という契約で、時季になると何人もの手伝い人が来て収穫してゆく様子も見ていて楽しかったと。

     敗戦後の一時期は地元の小学校で代用教員を務めたが、まだ教員免許も持たず「なんとか教えられるのは体操だけ。こんな私が先生だなんて、子どもたちがかわいそうだった」。

     そんなFさんが嫁ぐ日が来る。

     「私んとこの村では、嫁にゆく人はひとりで村の氏神様に行って――」神前に結婚の報告をするのかと思えばさにあらず、拝殿の裏に回って板壁に石を投げつけるのだという。それは「このような無礼をはたらいたからには、二度とここには戻ってきません」という決意表明、産土との別れの儀式であった。供は連れずあくまでもひとり、ひそやかに。

     「それなのに私はどうしても石を投げることができなくて、せっかく拾い上げた小石をまたそこに戻して帰ってきましてん」ということだが、夫となった男性がとても優しい人であったし、彼女自身も大阪で正式に教員となって定年まで勤め上げることができた。そして夫婦一緒に好きな寺社や句碑巡りなどで退職後の歳月を楽しみながら、みごとに添い遂げたのだった。嫁入りにあたってのローカルルールにも例外はあるのだろう。

     「本はええですなあ。人間、本を読まないとあきまへん。本を読むといろんな考え方を知ることができて、それが今の私の心の財産になってます」と話していたFさんはその後、近くの介護施設での生活を経て、大好きな夫が待つ彼岸へと引っ越していった。

     いまひとり、ピンクのスニーカーを履きザックを背負った、童女のような後ろ姿のお婆ちゃんは渡辺淳一ファンで『失楽園』が愛読書。娘たちから「そんないやらしいの読みなさんなよ」と言われてもめげずに同著者の本を求め続け、「あたしが死んだら、本は全部おたくにあげるように言うとくけんね」と言ってくれたが、ピンクの足音も絶えて久しい。

     「お婆ちゃんの原宿」といわれる巣鴨のとげ抜き地蔵ならぬ「お婆ちゃんの神田神保町」化していったわが店。いずれ私が賽の河原に「古本アノヨ」でも開いたら、婆ちゃんたちがまた寄ってくれるかもしれない。「近日開店」の張り紙と、お茶の用意をしておこう。

     

     

    [© Akashi Ueno]

     

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