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ストライク・ジャム

姜 湖 宙

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第20回 民族名を名乗る

     ソウル生まれの私の民族名とはなんだろうか。生まれた時から私はカンジュであったし、日本名を持っていたこともない。「民族名」を意識するようになったのはやはり渡日してからだ。私の名前はどこか普通ではない、と気が付き始めたのは小学校二年生の時くらいだったか。初対面の人に名乗る時。なんとなくぎこちない笑顔になったり、聞き取れないという風で眉をわずかにひそめる。この小さな表情筋の運動ほど、私をゾッとさせるものはなかった。それは「異質」への合図だ。私は異物だと、名前を通してはっきりと認識された。

     それ以来、名前を名乗ることは私の最も嫌いな行為となった。初対面の人とバーで楽しく話していても、「名前は?」と訊かれた瞬間、ぴんっと緊張の糸が張る。もしも、目の前のこの人が韓国人嫌いだったら? 名乗った瞬間、表情や態度が変わる人と数多く接してきた。そういったわけのわからない恐怖が訪ねてきて、一気にシャンディガフを飲み干してその場を立ち去るのだ。

     小学校三年生の時、タイムカプセルを埋める学校行事があった。未来の自分への手紙を書いて、校庭に埋め、二十年後に掘り起こすという典型的なものだが、私は未来への自分の手紙に几帳面に自分の名前を書いた。直方体に切り取られた地面の穴。そこにトラクターが土をかけ、タイムカプセルは埋まっていく。不謹慎ながら、ハルモニ祖母の土葬の葬式にそっくりだと思った。私は自分の名前が墓に入るようでうれしかった。うれしいというか、それを願い続け、それが実現されたのだ。私は私の名前を憎んでいた。それを抹殺したいと思っていた。毎日眠る前に祈っていた、どうか、私に「普通」の名前をください、と。

     大人になってから、通名があるにもかかわらずわざと民族名を名乗る在日朝鮮人たちがいると知った。朝鮮民族が不可視化されることへの抵抗。あるいは自らのアイデンティティのためにそう呼ばれたいと切に願っている。名前は単なる記号ではない。その名前が使われる文脈のなかでこそ意味を持ちうる。この日本社会のなかで、朝鮮語の音の名前を使い生活すること。それによって差別や偏見に晒される可能性が十分にある社会で、そう呼ばれること。

     なんとなくわかる。私は結婚していた時分、便宜上夫の苗字を名乗ることがあった。国際結婚だったため、正式には私の姓は「姜」のままだったが、なんとなく話がややこしそうだと思ったときには「大谷」と名乗った。その時に感じられる安心感。そうだ、なんの不安もない。同時に、どこかから「噓吐き!」と聞こえてくる気がして、ハッと耳を塞ぎたくなる。それは通名で生きている在日朝鮮人たちと近しい気持ちだっただろう。

     

     私はまだ首の座らない子を抱きかかえて、天井の高い京都家庭裁判所でせっせと子の姓の変更の申立書を書いていた。理由を書け、と渡された紙はA4一枚ほどだったが、たった一行「民族性の保持のため」とだけ書いた。二か月後、「子の氏の変更を許可する」という味気ないハガキがチラシに紛れて鍵の壊れた郵便受けに入っていた。子は元夫の戸籍から抜けて単独で「姜」という戸籍の筆頭者になった。日本国籍保持者でもある子は「姜」という名の日本人なのだ。

     民族性の保持と名前には関係がある、とこれまでの在日朝鮮人たちの民族名本名を名乗る運動、取り返す運動の歴史からして、言うことはできるだろう。しかし、本当に関係があるだろうか? 日本で民族名を名乗る意味、それは朝鮮人という自己同一性を防衛するためなのか、民族という集団の抹殺に抵抗することなのか。では逆に民族名を名乗らなければ、その人の民族性は阻却され、民族という集団の存在の防衛には繫がらないのか? 答えはノーだろう。日本名でも朝鮮人のアイデンティティを十分に保持している人と私は出会ってきた。それでも、どう名指されるかは社会(他者)と自己との関係を構築するためには必要不可欠なのだろう。日本に暮らす朝鮮人と日本人を見分ける「差異」――見た目や第一言語でそれが困難な今の時代、それは名前に収斂されるのかもしれない。

     ある日、子供が児童館から泣きながら帰って来た。「僕がカンだから、カンコク、カンコクって呼ばれるねん」と言う。ああ、懐かしい、と思った。

     「オンマは、空きとか呼ばれてたよ」そう言って冷たい牛乳を渡す。子は「いらん!」とパシッと私の手を打ち、牛乳は台所の床に零れた。

     私の書いた「民族性の保持」とはこういうことなのかもしれない。つまり、痛みの共有。痛みの受け継ぎ。子の下の名前は十分に日本の名前だし、日本国籍も持っている。私は姓も名も明らかな朝鮮名であり、韓国籍保持者、つまり日本においては外国人だ。これほど差異のある私たち親子同士でさえ、同じ痛みを共有できるならば、その痛みこそが「同じ」朝鮮民族である証なのかもしれない。将来、子が姓を変え、韓国国籍を放棄することがあったとしても、この痛みだけは記憶の奥底でひっそりと息をし続けるだろう。

     私は遂に三十歳になった。足立区立〇〇小学校から、ハガキが届いた。タイムカプセル開封式。私は不参加に〇をつけ、「開封したタイムカプセルの中の手紙」を「破棄する・取りに行くから取っておく」のうち、一つに〇をした。そして、尖った針で皮膚に何かを刻印するように、私の名前を書きつける。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    [© KANG HOJU]

     

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