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戦争

亀山 亮

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第7回 第二次インティファーダ(パレスチナ)

    パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区ラマラ/2001年

     

     子供たちが戦車に石を投げ、イスラエル兵に撃ち殺される。撃たれても倒れても少年たちは次から次へと石を手に戦車に向かっていく。繰り返し流れるニュース映像が目に焼きついていた。

     彼らがなぜそこまでするのか、何に追いつめられているのかを知りたかった。フリーランスのカメラマンが自費でニュースを追い求めても意味がないと思いながらも、1枚で戦争を強烈に物語るような写真を強く欲していた。

     日本での押しつぶされるような、何かに追い立てられているような生活にも嫌気がさしていた。日本から逃げるように一番安い航空券を買って、友人のカメラマンが住んでいたルーマニアのブカレストにとりあえず行くことにした。

     空港のイミグレーションで日本赤軍と間違われて待ちぼうけを食わされたが、ブカレストでの滞在は楽しかった。10日ほど滞在して気分転換もできたので、金を遣い果たす前に陸路でトルコに行き、空路でパレスチナに入った。

     日本を出る前、再びプレスカードをもらおうとニュース・エージェントの代表に頼むと「もう君には協力できない」と言われて大喧嘩になってしまい、仕方がなく友人に頼んで、Macで偽のプレスカードを作ってもらっていた。

     イスラエル政府のプレスオフィスに行くと面倒な手続きがあって、政府発行のカードがもらえなかった。日本のY新聞の支局が同じビルにあったので相談しに行くと、支局長にどこの馬の骨かもわからないフリーカメラマンなど相手にしないという嫌味な対応をされたので、早々に退散した。

     カメラをぶらさげてエルサレムの旧市街を歩いているとタクシーが停まった。

     「どこへ行くのだ」とドライバーが言った。

     「衝突現場に行きたいのだけど、バスでどうやって行けばいい?」と尋ねると、「ここから近くだから早く行こう」と言う。

     タクシーで行くのは少し贅沢かなと思ったがドライバーの勢いに押されて車に乗り、パレスチナ自治区ラマラのインティファーダの現場に向かった。パレスチナ自治区と入植地に続く一本道にある衝突現場はタイヤの焦げた臭いが充満していた。強い日差しの下で、焼け焦げた車をバリケードにして、少年や自分と同年代の男たちが怒りをぶつけるように100メートル先のイスラエル国境警備隊のジープに向けて石を投げていた。

     

     

    [© Ryo Kameyama]

     

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