神奈川県で一人暮らしの飯田直次郎(98)さんは今まで家族にも話してこなかった沖縄での戦争体験に苦悩し「これ以上はもう喋れない、もうダメだ。頭がおかしくなっちまう」と時折、何度も中断しながらも当時のことを語った。
80年前の沖縄戦は太平洋戦争の中で米軍最大の上陸作戦だった。
圧倒的な米軍の軍事力の前に本土上陸が迫る中、日本軍は本土上陸までの時間稼ぎのために持久戦を展開。軍民共生共死となって戦闘に巻き込まれた沖縄県民の四人に一人が亡くなる壮絶な地上戦となった。
沖縄の激戦地の一つ嘉数高地で戦闘に参加した飯田直次郎(98)さんは「補充されてきた新兵が武器も持たされずに竹やりを持っていたのを見てこの戦争は勝てないと思った」と話す。
飯田さんの所属部隊はほぼ全滅。飯田さん自身も負傷し米軍に追われ沖縄南部へ敗走。
食べる物も水も極度に不足する中、避難住民に危害を加え続けていた上官をやむを得ずに拳銃で撃ち殺した。
戦後、自費で嘉数の丘に慰霊碑を建立し体が動く数年前までは37年間毎年沖縄への参拝を欠かさなかった。
(年齢は取材当時)
▼関連動画
[© Ryo Kameyama]
※アプリ「編集室 水平線」をインストールすると、更新情報をプッシュ通知で受けとることができます。
https://suiheisen2017.jp/appli/