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ストライク・ジャム

姜 湖 宙

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第23回 ブラッドライン・ケーキ

     しねしねしね…と夜中の台所から聴こえる呪文。襖越しの私に向かってであることは確かだ。

     養子縁組をしてから一年が経つ。私と十三歳しか離れていない高校生の子は、反抗期真っ盛りである。自分で作ったラーメンの皿を洗うかどうかを争って、呪文が唱えられる日々。地獄の夏休みもやっと終わりを迎えつつある。

     私がシンと初めて出会ったのは、二〇一五年六月六日だ。まだ五歳だったシンは鴨川の土手を走り回っていた。私は黒いミニスカートに薄いストッキングを穿いていた。「写真撮ってもいいですか」と見知らぬ人に声を掛けられて、撮った写真が残っている。この写真を果たして私がどう手に入れたのか、まったく覚えていない。

     文学好きの人たちのための飲み会。三十人ほどが鴨川の河川敷に陣取っていた。元夫の子であるシンは、奇声を上げながら土手を走り回っていた。私は後ろから抱き着いて捕まえ、「アイスかったろか?」と声をかけた。シンは後ろを振り返り「うん!」と目をぎゅっとつぶした笑みで返す。近くのローソンへ二人で行った。

     数か月が経ち、季節は秋になり、私はシンの六歳の誕生日会に招待された。トイザらスでおもちゃを買っていそいそと向かったものの、結局、元夫とその両親の間で喧嘩になって誕生日会は流れてしまった。たった三人だけの寂しい誕生日。元夫はケーキさえも用意していなかった。シンは、没原稿をちぎってつくった花吹雪を何度も天井にふりかけ、きゃっきゃっと笑う。

     保育所から発達診断を受けるべきだと言われた。私は大学図書館で、子供の発達障害や、育児の本をどっさり借りて読み耽った。チャイルドシートの付いたママチャリで坂を下り、診断を行っている児童相談所へ向かった。ブロックで立体をつくり、三文字の言葉を羅列する。

     相談員が、「お母さん」と呼びかけた。私はすぐさま、「いえ、私はこの子の母ではありません」と否定した。ぱっ、と子が振り返って私の顔を見て、すぐさま目を逸らした。

     帰路、私たちはラーメンを啜った。狭い店内を走り回り、叫び通しの子に、私はぐったり疲れ、「しばらく私は来ない」と元夫に言い捨てて、京阪電車に飛び込んだ。

     

     「お母さんにべったりなのもどうかと思うよ」

     もつ鍋を突きながら、知人は言う。私に高校生の子供がいるとわかると、皆それぞれ好きなことを言う。果たして、私とあの子の関係性をただしく理解している人がいるだろうか? 脆く、壊れて、不安定に築かれて、また、壊れてしまった関係。私は「母」を受け入れられず、何度もあの子を突き放してきた。それでも、こっそり押し入れで泣いている私を、シンは必ず見つけてティッシュボックスをそっと置いてくれた。

     

     貰いものの写真立てに入れる写真を探そうと、アルバムを捲ると、ちっとも私たちの写真なんてないことに気が付く。私が子供たちを愛せないのは、私が母からきちんと愛されなかったからだろうか。深夜二時に仕事からタクシーで帰ってくる母。私はいつもその時間まで布団のなかで起きていて、母が家の鍵を開ける、その音を聴くと安心してやっと眠りにつくのだった。私の不眠症はその頃から発症していたのかもしれない。シンの産みの母は音信不通になったきり、十二年間、会いに来ることはなかった。あの子は母の帰宅音を知らない。

     

     ケーキを乗せた車を運転しながら、やはり急ブレーキを踏んでしまう。前に滑った誕生日ケーキをきちんと助手席に座らせる。シンとはもう二か月ほどまともに口をきいていなかった。ケーキを食べるかどうかさえ怪しかった。それでもおそるおそる、私はパティシエに名前入りのバースデープレートをお願いした。

     十七本の蝋燭を刺した誕生日ケーキは冷蔵庫に仕舞われたまま、何日間も冷やされていた。ふわふわのクリームはやがて乾燥してきて、うすい膜が張ったように固まり始めた。私たちの関係みたいだ、と思う。

     

     冬の韓国。トナカイのネックウォーマーをつけて、ゲストハウスの前の道路でシンは待っていた。私は大きなお腹を抱えて、よっせよっせと階段を下りていた。シンは凍てついたアーチ型の車止めには座り、足をぶらぶらさせている。「あっ」と、私が言った瞬間、シンはくるんと後ろにひっくり返り、頭をアスファルトに勢いよく打ちつけた。泣くと思った。

     「アハハハハッハ」と笑いだす子。

     私たちは乗り込んだタクシーのなかで手を繫いだ。ひどく寒かった。大きなお腹が冷えて、鼻先も真っ赤になった。湯気のなかでスンデ腸詰め汁を啜り、狭い屋根裏部屋でこんこんと眠った。雪が舞うソウルを、十年越し、もう一度見せてあげられたら…。

     

     朝、起きたら、すっかり秋気がやってきていた。久しぶりにエアコンを付けなかった。冷蔵庫を開けると、からっぽのケーキ皿だけが置いてあった。乾いたクリームだけが皿にまだらについている。それを指で取って、ぱくっと口に含む。

     私たちは欠けていた。永遠に満たされないものがあったとしても、それでいい気がした。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    [© KANG HOJU]

     

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