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くたばれ

諸屋超子

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第3回 アイブロウが効いてきたぜ

     あざと・い

     ①思慮が浅い。小利口である。

     ②押しが強くて、やり方が露骨で抜け目がない。

     広辞苑によれば、「あざとい」という言葉の意味はこの通りである。ちなみに、慣用句の「抜け目がない」は、〈自分の利益のために十分気を配っており、抜けたところがない〉とある。

     そう、自分の利益のためである。

     そういったことから、当然否定的な意味合いの強い「あざとい」という言葉だが、昨今、世間では誉め言葉として定着している。利己的な姿勢が肯定されているのか? 小利口なくらいが調度いいというような相手への蔑視が潜んでいるのか? ともかく、「あざとい」は肯定的な言葉として受け入れられ、無垢で愛らしい子猫や赤ん坊にまで「あざとい」という輩が出る始末。

     この「あざとい」の変化に違和感を覚えるのか、難なく受け入れるのみならず自分もあざとくありたいと考えるのか、そのあたりの考え方はその人の人柄を伺い知ろうという時に面白い糸口になるだろう。

     後者であるのは坂田浅美である。彼女は、家族と共用の歯磨き粉の飛沫がこびりついた鏡の前でもう半時間も、小さなしわの一つもまだないような若い肌を入念に手入れしている。

     彼女の左手には、先週発売された「あざとかわいい」肌を作るというクリームが蓋を開けて置かれている。

     浅美の人生にとって大切なのは小さな信頼の積み重ねで、それは小学生時代、習慣化していた早寝早起きを、大好きだった担任教師に誉められたことによって逆算して考えたモットーだった。目標を立てるなら達成が確実なものがいい。

     短大卒業後、はじめに就職した幼稚園では、このモットーを園児たちに伝えられる教諭になりたいと考えていたが、たった一人、毎朝、必ず遅れてやってくる子どもがいて、当然その子が一人では登園できないので、父親が送ってくるのだが、彼に小さな信頼の積み重ねの大切さを説いても、曖昧に笑って頭を下げるだけなのだ。

     それですっかり嫌気がさした浅美は、わずか1年で幼稚園を退職し、今の会社に転職した。

    「ふつう」の会社で「ふつう」に働くのには、小さな信頼の積み重ねの大切さが効いてくるはずだと思ったからだ。

     もちろん、浅美の勤める会社は「ふつう」を売りにしているわけではなく、調べれば事業内容もはっきりとわかるはずなのだが、浅美の勤務先への理解は淡いものであった。

     知らないことで差し障りがあるわけではないから、「事務だし」と割り切って浅美は働いている。本当は差し障るし、事務は外側に出来たイボではないのだから、知るべきなのだが、その差し障りにはいっさい気が回らないのが浅美である。

     そんな浅美は、小さな信頼を積み重ねてきたはずの人生に裏切られつつあった。浅美と人生の間には、暗黙の了解があったはずだった。それは、適齢期になったなら、自然と恋人から求婚され、当たり前の結婚式をあげるというものだ。

     適齢期なんてものはないし、結婚が当たり前だと考えない人もいるということに、浅美は当然思い至らない。

     ただ、結婚を諦めた女と、結婚した女がいる。それが浅美から見た世界だった。そして、当座、自分が結婚した女になるために足りないのは「あざとさ」だということで肌を磨いている。

     本当は、予定不調和を嫌う彼女が恋人の煮えきらなさをなじる時の陰険な目つきこそ、見つめ直した方がよさそうなのは言うまでもないのだが。

     彼女の特技は早寝早起きよりも、特定の範囲外に目を向けないことなのかもしれない。

     さて、誉め言葉としての「あざとい」への違和感をぬぐえずにいるのは杉本梨恵だ。彼女は面倒な人間だ。

     浅美がフェミニストを愚か者と切り捨て、女性の自立について語られると気の利いた冗談を聞かされたかのようにクスクス笑いを始めるのに対して、梨恵は「あざとい」がほぼ女の媚態について語られていることにいちいち腹が立つのだ。

     なぜ女なのか。なぜ他者評価の中にどっぷりとつかって、注目を集めることが賢さかのように語られるのか。媚態の媚びるという漢字がおんなへんであることすら気にくわない。

     おんなへんに眉。眉と言えば、女の眉の流行で経済が占えるなんて説が真剣に語られるとき、でも結局、眉で表情を消してミステリアスに・・・・・・とか、自然な眉で表情豊かに・・・・・・とか、どっちにしろその先に誰かへの媚びが匂っているようでムカつく。

     梨恵の鏡は大きくよく磨かれており、しかし梨恵の鏡の前での滞在時間は一日平均十分程度だ。

     ナチュラルメイクという厚化粧を拒絶して、きっぱりと濃い口紅をひく。

     先日、恋人と食事に出かけた先で、恋人の同僚同士の不倫に話題が及び、恋人が「ああいった関係は、たいてい女が職場を去って終わるだろう」と述べたので、思わず大きな声を出してしまった。

    「男尊女卑の豚!」

     隣のテーブルの大学生のグループが、ぎょっと目を見開きテーブルの上のあじフライを見つめていた。

     浅美と梨恵。彼女たちは対立すべきなのだろうか? それとも、男性上位の父権的社会に踊らされずに手と手をとりあうべきなのだろうか。

     私から見て言えることは、おそらく二人は気が合わないだろうということだけだ。

     しかし、実は彼女たちには思いがけない共通点があるのだ。

     買い物だ。彼女たちは買い物が好きなのだ。これは、女性だから買い物が好きだという話をしているのではない。

     彼女たちは、七夕の短冊に託すような、ささやかで、それでいて大胆な願いを買い物に託す。

     すてきなスカーフ、輝くキーホルダー、美しい流線型のピアス。そんな小さなたからものたちが揺れるとき、浅美は、そして梨恵は、自分の肺からラメ入りの呼気が流れ出していく様子を想像する。

     毎日じゃなくていい、月に何度か、自分の肺から流れ出すラメ入りの息で、世界をあっといわせてやりたい。役立たずの、何の変哲もない自分という体の中から、きらきらと輝くラメ入りの息を。

     

    [© Choko Moroya]

     

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