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くたばれ

諸屋超子

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第13回 剝き出しの生

    「学校くらい行けなくて、社会でどうなじむんだ?」

     パパは、ミッチーの話が出ると必ずそう言う。ミッチーは半年前、パッタリ学校に来なくなった。理由はよく分からない。私が学校帰りにミッチーの家の前を通ると、中から駆け出してきて話しかけてきた。

    「ゆいま、今日の髪型かわいいじゃん」

    「今日、プラザでこのペンケース買ったんだけど、まじで可愛くない?」

     よくわからないけど、ミッチーは元気で、前と変わらずオシャレ好きで、だから私はあんまり気にしないでおしゃべりしてた。米津玄師のこと、ずとまよのこと、チェンソーマンのこと、話題はいくらでもあったし、学校の話なんてなくてもおしゃべりは終わらなかった。

     あの最悪な日、2人でコンビニに行った。私は、じゃがりこ、ミッチーはペタグーを買ってお店を出たところで、3人組に会った。

     リノリノの3人組は桜田リノと美武リノ、澤村リノの3人組で、どのリノが省略されているのかは怖くて誰も聞けない。

    「やば、フトーコーちゃんだ」

    「ペタグー買ってんじゃん。今日リノ、ペタグーの気分だったのにまじさいあく」

    「ついてねー」

     3人は、3人にしか分からないルールにそってしゃべって笑ってハードグミを買って帰った。

     何となく気まずい沈黙の中でじゃがりこをミッチーにあげたら、ペタグーをくれた。ペタグーの表面に、じゃがりこのトゲトゲが刺さって変な味がした。

     ペタグーを飲み込めずにダラダラと噛みながら歩いていたら、パパがこっちを見ながら車で通り過ぎた。

     しかめっつらで、バカにしたように鼻からため息をついたパパが、ミッチーを見ていたのか、私を見ていたのかは分からなかった。

     リノリノの3人は、翌朝、ホームルームの前に神妙な面持ちで私を取り囲み、桜田リノが右手で私の左肩を撫でながら言った。

    「フトーコーと一緒にいるの、優しいとは思うけどさ、ゆいまるちんが誤解されちゃうよ」

    「ムリしなくてもいいんだよ」

    「ジゴージトクなんだからさ、ゆいまるちんは気にしなくていいんだよ」

     うるんだ目で私を見つめる3人が、まるで本当に親切な人みたいに微笑んで、頷くのが不気味すぎて、私はその場でゲロを吐いた。

     リノリノの3人は怒りもせず、私の吐いたものに掃除用具入れから取ってきた新聞をかぶせて、保健室へ連れていった。新聞紙の下の嘔吐物を片付けるように大人しくて親切な藤村さんに指示するのも忘れなかった。

     あの日から、リノリノは私を取り囲んで一日中そばにいた。話すこともないのにリノリノは私の行き帰りも私を取り囲んで、腕を組み、肩を抱いて一方的に話し続けた。

     桜田リノがある日の放課後、日誌を書いていると私の目の前に座って真剣な面持ちでこっちを見ていた。

     私はひたすら時間割を写していた。

    「ねえ、ゆいまるちん」

     痺れを切らして桜田リノは顔をずいと近づけてきた。

    「あたし実はレズなの」

     私は一瞬、なんの脈絡もなくはじまった打ち明け話に面喰らったが、とりあえず「そう」と答えた。

    「ねえ? どうする?」

     桜田リノは不満げに俯く私の顔を覗き込み、日誌を書いている私の机を苛ついたようにゴンゴンと蹴る。

    「どうってなにが?」

     シャープペンの芯が折れたのを吹いてとばしながら私はたずねた。

    「誰かに言う?」

    「誰に?」

    「リノリノのみんなとか? クラスの子とか?」

     私はシャーペンをノックしながら考える。

    「言わない」

    「フトーコーの子には? あのミッチー? だっけ」

     ミッチーがそれを知りたいか考えてみるが、別に興味はなさそう。それに、もう何週間もミッチーと話すどころか会えてすらいない。リノリノの包囲網が強力すぎて。

    「別に言う必要ないと思うけど」

     そう答えると桜田リノは私をぎゅうぎゅう抱きしめて頬にキスをした。

     少し湿った桜田リノの唇のあとが不快で私は拭い取りたかったけど、何だかそれはいけないことのような気がして我慢した。

    「誤解されちゃうから?」

     ミッチーにたずねられてるような気がして、私はドキッとした。

     翌朝、教室に入ると、リノリノが桜田リノの話を聞いて、お腹を抱えて笑っていた。

    「マジでゆいまるちんはいい子なんだよー」

    「やだもうリノってばエグいって」

    「いやどこまでピュアピュアなのか確かめたくて」

    「ゆいまるちんはあんま学校のルールとか分かってないからさ」

    「そそ、フトーコーにも優しくしてあげてたじゃん?」

    「捨て猫とか保護してそー」

    「してそーしてそー。公園でやってる捨て猫あげる会とかに居そー」

     私は踵を返して職員室に行き、早退届を出して帰った。

     ママは学校から電話をもらって、スーパーの仕事を早退したと、ゼリーをたくさん買って帰ってきた。

    「パパは?」

    「パパには熱があるって言ってあげるよ」

     噛み合わないママの返事。

     パパは39度以上の熱がない限り学校を休んじゃいけない主義者なんだけど、私はそんなことより、ママが仕事を早引けしたのに、パパからは何の連絡もないことが気になったんだ。

    「こういうのってワンオペ育児じゃない?」

     私がゼリーを開けながらママに言うと、ママは笑って私の頭をこづいた。

    「ゆいちゃんはもう大きいでしょ?」

     ママとの会話はいつもいつでも噛み合わない。パパはいつも威張っていて、ママに圧力をかけると、ママは魔法みたいに色んなものを取り出す。

     くつ下、タオル、ライター、ビール。

     パパとママは噛み合ってるのかな。

     私は教室のことを考える。リノリノたちをみんなが怖がっている場所。怖がって嫌ってるのに誰も逆らわない。

     前田カリナちゃんなんて、仲良しの山岡ヒロちゃんの恥ずかしいネタをこっそり報告しに行ってる。

     そして好かれるために体をクネクネと動かして、リノリノお気に入りのちいかわの消しゴムをあげたりする。

     ミッチーは学校にいるとき、リノリノのことを怖がっても嫌ってもいなくて、好かれたがってもいなかった。存在を知っていたとは思うけど、他の子と同じだと思ってる感じだった。

     私は、リノリノたちがすごく嫌いだから極力避けていた。できればリノリノに私のことが気づかれないようにこっそり避けていた。

     リノリノたちがミッチーを「フトーコー」と呼んだとき、ミッチーの全ては奪われて、私とのおしゃべりの時間も消えた。

     いや、「フトーコー」の前に何か違う合図があったのかも。だから来なくなったのかな。

     私には分からない。でも、去年まで人気者だったミッチーは今、他のクラスメイトと違う扱いを受けて当然だということになっている。

     ガタガタで座りにくい椅子も、ラクガキだらけのおんぼろ机もいやなものはぜんぶミッチーのものにされている。〈どうせ来ないんだし〉

     運動会もコーラス大会も、なんの競技に出るか、どのパートを歌うか話し合ったけど、ミッチーが来たらどうするかの話し合いはなかった。

     家庭科の迫先生が

    「みちるさんは今日もいないの?」

     とたずねたとき

    「だれそれ?」

     とリノリノが言ってみんなが笑った。迫先生は変な顔をしただけで、それ以上何も言わなかった。

     先週社会の授業で見た、ホロコーストの特集番組。

    「ユダヤ人」は終戦後どうなったのかな。迫害され、全て奪われて、どうなったのかな? 終戦後、ナチスを信奉していた人たちはごめんねってその人達の持ち物や家を元にもどしたの?

     私はこっそり外に出て、ミッチーの家へ行った。ミッチーは驚いた顔でドアを開けたけど、すぐに笑って

    「コンビニ行こう」

     と言った。

    「きのう、隣のおじさんがパパと一緒に野球を見にうちに来たの」

     ミッチーが自分のはなしをするのは珍しい。

    「『で、ミチルちゃん、学校に嫌なやつでもいるのか?』ってすごく優しく聞くの」

    「へー、心配してくれてんだね」

    「心配………うん、そうみたい」

     ミッチーはからあげクンにタルタルソースをかけながら考え込んでいた。

    「でね、おじさんが言ったの。『そういうやつはいじめが好きなだけだから、他のイヤなやつとか、くさいやつとか、めんどうなやつの悪口を吹き込んで相談したらいい』って」

    「ちょっとわからない」

    「うん、分からないよね。おじさんはこうも言ってた。『みちるちゃんみたいないい子をいじめるのは間違いで、本当にいじめるべきやつがいるんだって教えてやればいいのさ。で、みちるちゃんは可愛くて明るいから、いじめっ子の脅威になると思われるけど、いじめをやめてくれたら大人しくしてるって約束するんだ。取引だよ、人間は取引が大事だ』って」

     私はぽかんとしてしまって何も言えなかった。

     ミッチーは大きくにっと笑って、からあげクンを口に放り込んだ。

    「あー! ゆいま大好きだよ。私には、取引が出来ないけど、ゆいまも取引の話なんてしないじゃん?」

     わたしはブンブン首を振った。しない。絶対。

    「取引ってそんなに不公平なものなのかよって」

     ミッチーは拳を空中に振りかざす。

    「人間滅べよって思っちゃった。バカみたいだけど。大谷がホームラン打つからなんなんだよ。人間滅べよって」

    「うん。大谷応援してるおじさんにデコピンしようよ」

    「まじそれな」

     ミッチーと私はタルタルソース付きからあげクンとケチャップ付きからあげクンを1個ずつ交換して、コーラとメローイエローを1口ずつ交換した。

    「取引はこうじゃないとね」

     私はミッチーに言った。いいこと思いついたと思ったのに、ミッチーは大きな声で泣き出してしまった。

     泣いた拍子にミッチーのメローイエローがこぼれて、ミッチーの白いスカートに大きなシミを作る。

     ミッチーが足をバタバタ動かして「えーんえーん」と声を上げるたびに、メローイエローの甘い香りが広がって、私もなんだか泣きたくなった。

     空はどこまでも呑気に青くて、メローイエローの匂いは乾いた空気を優しく甘く濡らして行った。

     

     

     

     

     

     

    [© Choko Moroya]

     

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