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くたばれ

諸屋超子

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第20回 スクラッチ

     回避すること、壁を作ること、攻撃すること。これらに共通するのは、他者と(または社会との)一体化への希求の現れではないか。

     帰属意識のように受け身ではない。狂おしいほどの一体化への欲望。

     それが叶えられない時、人は人に線引きをする。相手を消したいほどの衝動は、消えてしまいたいほどの孤独への裏返しでもあるのではないか?

     私の旧友に里野理恵と言う人物がいる。彼女はほとんど電話をしてこないし、彼女の方から遊びに誘ってくることもない。しかし会えば手作りのサラミやキャンディーを丁寧に包装して手土産として持参し、あれやこれやと世話を焼いてくれる。

     我の強そうなその口のきき方とは裏腹に、私のどんな奇抜な意見にも賛同してくれる。私はある時期、彼女と女性の自立や現代日本が甘んじて受け入れている「愛され」のカラクリについて、夜が明けるまで繰り返し繰り返し語り合った。男性に支配されるくらいなら支配側に立つことを、愛されようと媚びるくらいなら搾取側に回ることをも厭わないと私たち2人は過激にうそぶいてさえいた。

     私と彼女はとても気が合っていた。少なくとも私はそういうつもりでいた。あの日までは。

    「今ダイエットをしているから」

     理恵は食後のケーキを断った。美意識の高い彼女のことだ。私はさして驚きもせずに聞き流した。

    「私もコーヒーだけにしよう。帰りにたこ焼きを買いたいし」

     笑いながら言った私に理恵は一瞬目を大きく見開いたが、すぐに笑って食べ過ぎと指摘した。

    「あんたさぁ、なんでダイエットしないの?」

     コーヒーを飲みながら何気ないふうに理恵はたずねた。

    「うーん、忙しくて金ないし? あ、あと自分の料理の腕が上がりすぎて食べないほうが不幸だし?」

     私は次々と軽口を並べ立てて笑った。理恵は少し悲しげに外を見て、だよね……とつぶやいた。

     昼下がり、図書館併設のカフェでは明るい光が室内の影を色濃く縁取って、私は少し肌寒さを感じ、コーヒーの入ったカップを両手で持ち直して暖を取る。

    「坂上さん、私の体重が15キロ減ったらヴィトンのバッグを買ってくれるって」

    「え? なにそれ? ディオールじゃなくて?」

     私は驚きすぎて、的外れなことにフォーカスしてしまった。しかし、換金率の高さよりデザイン重視の利恵へのその仕打ちは、坂上が彼女を女と言うただの記号として見ていることの動かざる証拠に思えた。

    「そう。なぜかヴィトン。まじ笑っちゃうよね」

     そう言いつつ、少しも笑い出す気配のない理恵を私は労しく思った。

    「あのさ、子供もいて仕事もあるうちらがさ、無理して男に合わせる必要なくない?」

     私はイライラと鞄を探った。ここは禁煙だとわかっていても、つい手がタバコを探してしまう。

    「でもさぁ、子供も仕事まで持たされてんのちょっとうんざりしてきたと言う気持ちもある」

     理恵はそう言って少し笑う。

    「まぁね。女性の自立なんか投げ出して家でごろ寝したくはあるね」

     理恵は私を非難するような目つきで見てこういった。

    「私は家でクッキーを焼いたり編み物したりしていたい」

     想像のリビングでごろ寝しながらテレビを見ていた私は、慌てて立ち上がってシャワーを浴びに行く。本屋へ行かなきゃ。

    「せっかく仕事しなくていいのに、お菓子作んの? じゃあ食べさせてね」

     私はなんだかさらに寒くなった気がして、タバコを探すのをやめて、薄いストールを取り出し、肩にかけた。

     理恵は薄桃色に染めて短く切り揃えられた爪を撫でながらふふふと笑い、しばらく坂上の話をした。

     デートでは知らなかったことを詳しく解説してくれること、子供の教育に責任を持って取り組もうとしてくれていること、休みの日には子供を中心としたお出かけに連れ出してくれること、ベッドで全責任を担ってくれようとすること。

     私は冷房の効きすぎたカフェを出てデパートに子供の夏服を買いに行かないかと提案した。

    「そんなに寒い?」

     と目を丸くした理恵の頰は軽く上気していた。

     そんなずっと昔の思い出を私が書く気になったのは、気のおけない友人たちと天皇制について議論している時であった。

     教養深い友人の血統と家制度についての解説を興味深く聞いていて、ふと理恵からの6年ぶりの電話のことを思い出したのだ。

    「坂上さんの束縛に従い続ける必要ないかなと思って」

     照れ臭そうに電話をしてきた理恵に、私は「私との交流を禁止されてたわけ?」と言いたいのをギリギリで我慢しながら(そう。なぜか我慢しながら)久しぶりの友人の変わらない声に喜んで、互いの子供たちの成長や自分の知らない商売について話をしていた。

    「それがね、坂上さんの家族がマコトには私立有名大に行くための費用しか出さないって言ってくるの」

     やっと12になったばかりのマコちゃんは、理恵の婚家で勉強漬けの生活を強いられていた。

    「全寮制のA中学に行く費用を出すからって言うけど、あの子のことまだ手放したくない」

     理恵は再婚後に授かった子供が病弱で、大学病院に頻繁に通っていることも話してくれていたので、私は信念を捨ててこういった。

    「マコちゃんを寮へ逃がして、学費と子供の治療費を坂上家から巻き上げるべくそこにいな」

     私は、夫の暴力にさらされていた理恵に、息子以外は捨ておいて走って逃げて来いと迷いなく、言い放てた若い日の自分に懐かしさと憧れを感じた。

     たとえ頼りの自分が、大切な信念を貫く勇者でなくなっても人生は続く。

     子供たちが勇者として力強く人生を歩めるように何ができるか考えたとき、私は村人Bでしかなくなってしまった。

     理恵が少しがっかりしたのが電話越しにも伝わった。私は今すぐ家に来いと言ってやりたかった。でも、逆さにして振っても小銭も出ない我が身から、余裕の二文字は質種として取られていた。

     あんなに意気揚々と女性の自立を宣言していた私たちは、母性という自分の内にある家父長制の刺客を殺すこともできず、懐柔して手懐けることもできず、ただ、どっちつかずの曖昧なものを選ぶことしかできなかった。

    「天皇は自ら象徴天皇制終わらせられる唯一の力を持っている人物である」

     という他の友人の意見に私は強い抵抗を感じた。

     みんなで決めてやってきたことへの責任を、そこに生まれたというだけで背負わされる天皇に、自分があの日感じた不甲斐なさや無力感、それに伴う強い痛みを重ねてしまっていた。

     私は無知で、その実、天皇制について語れることなんて一つもないのだけれど、何かそう重ねることで、やり切れない気持ちと折り合いがつけられた。そんな弱い自分への怒りも湧いた。そんなないまぜの気持ちに耐えられず、家も血も手で触れられるもの以外全てぶち壊してしまいという荒々しい気持ちを抱えた。

     今、世界はたくさんのツケを払わされている。自由との関係を続けたいのか精算したいのかが問われている。

     ジェノサイドは悪の組織の仕業ではなく、自称正義の味方が必殺技の武力行使に踏み切ったのも私たちの日々の選択の結果で、大きな大きな責任の前に立たされ、あいつもこいつも殴り倒してやりたい気持ちに見舞われている。

    「見えないからいない」とされてきた者たちの孤独が、私の孤独に重なり合う。

     私たちは元から知っていた。自由に乗り続けるのには大きなコストがかかること。しかもそれは無条件に割り当てられたのに、転売や闇取引により値が釣り上がり、今や争奪戦の様相だ。

     持っていた自由の重さに耐えきれず手放していながら、またそれを奪い返そう、人の分まで手に入れようと子供すら殺める怪物に成り下がった我々の真実とはどこにあるのだろう。

     にわかに盛り上がる国民意識と大声で唱える連帯は、決して我々を救う特効薬にはなり得ず、ましてや核が救ってくれる未来など自由すら乗り捨ててしまった我々に与えられるはずもない。

     私たちは今必死に抗っている。どんなに無様でどんなに期待はずれな自分になろうともやっていくしかないらしい。

     宝の地図に示された鍵は一体感。それに怯えて、臆病者が線を引く。自分の無力のせいではなく、あいつが異常でこいつが悪だから。

     線の中で孤立していく自分に気づかず、誰かにチョークで追いやられる恐ろしさには目を伏せて、ただひたすらに線を引いていく。

     どうか神様、その線を打ち消すのが私であるよう。決して誰かの血や戦火でないよう闘い続ける勇気と力を我々にください。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    [© Choko Moroya]

     

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