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くたばれ

諸屋超子

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第9回 さあ、ご一緒に

     林芙美子は魚臭い廓について「お女郎は毎日秋刀魚ばかり食べさせられて、体中にうろこが浮いてくるだろう。」と書いた。秋刀魚が安物だった時代のこと。一方、2024年の我々は、秋刀魚はそろそろ高級魚の仲間入りだと嘆いている。

     秋刀魚は秋刀魚として生まれただけだ。とって喰われるだけでも嫌なのに、安いだの高いだのぶつぶつ言われていい迷惑だろう。

     いまや死語となった「適齢期」という言葉によって、市場価値が高いだの低いだの大暴落だの売れ残りだの、好き放題言われたら女たちは、しかし未だ死んではいない。死ぬどころかまだまだピンピン生きている。

     須賀真智子は、今日が給料日であった。エコバッグから野菜を取り出しながら習慣でテレビをつけた。

    「最近の女子大生の結婚観は実に昭和的で向上心に欠け……」

     訳知り顔の大学教授がふんぞり返って話している。実に気持ちよさそうに話している。人は自分の話を聞いてもらう時、本当に気持ちの良さそうな顔をしているものである。

    「どうして『お偉いさん』たちは今でも男ばかりなんでしょう? 同じ仕事をしていても男女間でお給料の格差があるのはなぜでしょう? ところで『女子大生』って昭和的な響きがありますね」とはインタビュアーは言わなかった。ただただ相槌をお上手に打っていた。彼のこの愛らしさを最大限に引き出すような髪型と清潔感あふれるスーツは、一体誰が選んでいるのか。きっとプロフェッショナルだ。イメージという曖昧なものを明確に捉えているプロフェッショナルだ。世の中にはいろんなプロフェッショナルがいるものだ。

     真智子は今日、仕事帰りにデパートの婦人服セールに立ち寄った。お給料日にセールがあっているなんて、こんな幸運滅多にないぞと張り切ってエスカレーターを上がって行ったが、ニットの一枚にも手が出ずに会場を出た。

     八百屋に寄って、チコリ、ケール、プチベール……愛らしくフリルのついた野菜たちを買って帰る。冷蔵庫にあるパプリカ、レッドキャベツ、ミニトマトとカラーコーディネートだ。

    「ドレスが買えないなら、野菜を買えばいいじゃない?」

     そうそう。とっておきのエディブルフラワーもあったのだ。あれをサラダに散らそう。それから、宝石みたいなナツメも買ったから、キラキラの春雨と合わせて作ったことのない中華スープにチャレンジしたいな。1人じゃ食べきれそうもないから、環ちゃんに声をかけよう。

     真智子は知らず知らずに笑顔になる。独身、中年、貧乏のトリプルパンチの真智子であるにも関わらず、笑顔で買い物を抱えて帰ったのである。

     環は先日、10年来の不倫関係にあった男にケリをつけた。ケリをつけたというか振られたのだが、どっちだって同じことだ。

    「私、カルト信仰の人って嫌いよ。純粋を装っていても結局、欲の皮が突っ張ってるのよね」

     環が先日、ワイドショーで政治家のスキャンダルを眺めながら言い放った言葉。

     環の相手の男には、真智子も1度会ったことがあった。男は、自分の使っている食器用洗剤とフライパンを買ったほうがいいと熱心に勧めてきた。会員価格で手に入るから「お値打ち」だと男は息巻いた。その目の充血と皮脂のテカリは今でも忘れられない。なんだかギトギトしたリビドーを見せつけられたようで、真智子はその夜、夕飯の上海焼きそばをすっかり戻してしまった。

     男と会っていた頃、真智子にとって環はちょっと嫌なことをいう奴だった。

    「真智子、せっかくキレイなのに勿体無い」

    「女を捨てちゃおしまいよ」

     しかし、最近は考えを方向転換したらしい。曰く

    「女でいようとするから、男から『俺の女』として捨てられるのだ」

     女とか男とか、若者とか年寄りとか、金持ちとか貧乏とか、病人とか健常者とか、マジでうるせえ。

     真智子はつくづくそう思う。眉のかっこいい描き方の練習も、まつ毛をセパレートに広げるマスカラ選びも、秋刀魚みたいに札をつけられ並べられるためにやってるわけじゃない。

     2人には好きに生きるためにやっていることがいくつかある。

     まず、「ゲーセン」で遊ぶ。ゲームセンターのことだ。せっかくおばさんになったのだ。おばさんが「ゲーセン」にいたら面白いから、張り切って遊びに行く。

     同じ本を読んで、可笑しかったところを2人で指さして大笑いする。辛辣なツッコミが入れられると、ゲラゲラ笑って喜ぶ。

     YouTubeで流行っているダンスの練習をする。ちょっと練習しただけで真智子がギックリ腰になった時には、情けなさが可笑しくて、2人とも涙を流して大笑いした。

     真智子は若い頃、お金持ちになりたかった。美人にもなりたかったし、教養のある人にもなりたかった。

     手始めに身を粉にして働いてみたが、そのおかげでお金は入ってくるが、身も心もズタボロになった。肌荒れ解消のための買い物や、キャリアアップのための勉強で金も時間も消えて行った。買ったまま読めない本だけが溜まって行って、そうやって失ったものが惜しくてたまらなくなり、夜になると酒を飲んで起きていようとした。起きて取り戻そうとするのだが、ただ頭痛とむくみの朝がやってくるだけだった。

     毎日、何も出来ないまま日が暮れては日が昇り、やがて消化不良は不安に変わり、何か取り返しのつかない失敗をしてしまうのではないかという漠然とした不安が付き纏うようになった。

     不安を打ち消すように懸命に働けば働くほど、金はなくなり人からは嫌われて行った。人に好かれたくて、好かれるパワーが欲しくて、金や美貌や教養を欲していたのに、パワーで惹きつけるはずが、どんどん嫌われて行くのが可笑しくて、なんとも切ない笑いが込み上げた。このレースから早く降りたいのに、降り方がすっかり分からなくなっていた。

     フライパンの男も案外レースから降りられなくなっただけの悲しい奴なのかもしれないと、今になって真智子は思う。

     降りられないレースを走り続け、疲弊した真智子は、死にたい夜を過ごし続けて3ヶ月。えいっと思い切って会社に退職願を提出した。降り方なんて大したことなかったのかもしれない。しかし、降りてからも、真智子は何ヶ月も生きていることへの罪悪感が拭えずに苦しんだ。

     そんな日々も今は昔。楽しみにしていた退職金や年金の積立はなくなり、将来に希望は無くなった。

     もしかしたら今後、真智子や環が、金持ちになったり、玉の輿に乗ったり、広々とした一軒家を手に入れるなんてことはないのかもしれない。いや、きっとないだろう。だからこそ、今日、きれいな食用花びらをなんの迷いもなく頬張って飲み下せるのだ。

     請求書に優先順位をつけながら、ネットショップの買い物かごに買うあてもない商品を投げ入れながら平気で笑っていられるのだ。

     真智子と環にはプチヴェールのペペロンチーノと、色とりどりのサラダ、リプトンの紅茶に氷をつけて乾杯した。

    「いつかのための辛抱は、希望のある人だけがすることよ。希望を失ったのだから、もうなんの遠慮もいらないよね。さあ、ご一緒に! 朗らかに歌いましょう!」

     真智子と環は大きな声で妖怪人間のテーマを歌う。

     ケリのついたはずの男からの着信、払いきれない請求書、出し忘れた不燃ごみ。

     春の近づく温かな夜の中、みんな一緒に歌っている。

     

     

     

    [© Choko Moroya]

     

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