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くたばれ

諸屋超子

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第12回 暇つぶしにもってこいの膏薬

     たか子は小さな火傷を作ってしまった。昨夜鳴り続けた雷に眠れず、眠気覚ましのコーヒーを淹れに給湯室に行ったのだが、うっかり電気ケトルの蒸気に手を当ててしまったのだ。

     ほんの小さな火傷だったが、すぐに冷やさなかったのが悪いのか水ぶくれになってしまったので、会社帰り、たか子はドラッグストアで軟膏を買った。

    「よく効きますよ」

     水色の制服にまるい身体をぎゅうぎゅうに押し込んだ優しそうなその店員は、ほっぺたも制服同様ぱんぱんに膨らんでいて、どこもかしこも焼きたてパンのように優しそうだとたか子は思った。

     彼女が選んでくれた軟膏を、たか子はさっそく駅のトイレで開封した。右手の小指ワキで赤くなっている火傷に軟膏を塗り電車に乗った。

     車内は少し人が多く、蒸し暑かったが、リリースされたばかりの、ちゃんみなの新曲を聴いていたたか子は気分爽快だった。

     周囲の人は、こんな地味な女がちゃんみなを聴いていたら驚くのではないかと、ちょっと優越感も感じた。地味で、ドジで、気弱なたか子が、ちゃんみなの最新曲を聴いているのだ。

     たか子はスマホを取り出して、今流れている曲が表示されるホーム画面を明るくする。後ろや隣からも見えるように、ボリュームをいじるふりして持ち上げる。

     こんなことが幼稚な想像だとはたか子も分かってはいるのだけど、つい「後ろに同い年くらいの会社員がいて、『ちゃんみな聴いてる! かっこよ!』とかって私の顔を見たがってるかも」と期待してしまう。

     彼のために、さり気なく景色を見るように後ろを振り向くと、少しくたびれたバケットハットにポロシャツもスラックスも痩せてブカブカになってしまったおじいさんが立っていた。

     たか子は咳払いしてドアの上の車内案内モニターにながれるCMのクイズを考えているふりをする。右隣の小学生がそんな自分をじっと見ているような気がして落ち着かない。目の端で、小学生が外を指さしたのが見えたのでイヤホンを外してそちらを見ると「富士山!」と叫んだ。

     小さな富士山はあっという間に去っていった。

     何度かホームに降りてドアの脇で降りる人をやり過ごすと、たか子の住むまちに到着する。降りる人たちはどの顔も知らない顔、毎日乗っていてもいつも知らない顔であることが、たか子にはいつも不思議でならない。

     改札を出るとこじんまりとした本屋、いい香りを漂わせるコーヒースタンドと、チャイルドシートつき自転車に溢れるスーパーの駐輪場。ドラッグストアの青い看板を見て、ふと思い出し、たか子は小指に目をやる。

     さっき塗った軟膏でうすく光る水ぶくれは今のところ変化なし。

     駅からは自転車なので、ハンドルで水ぶくれを潰さないよう気をつけながら走る。

    「せかーいをまわーすわたーしー」

     たか子が口ずさむちゃんみなは、小さすぎで誰の耳にも届かない。

     夕暮れが街を切り絵じみた景色に変える中を、ちゃんみなに勇気づけられてたか子は立ち漕ぎして走り抜ける。

     夕飯はいつものレトルトカレーと冷凍ご飯に炒り卵を載せた。

     お風呂に入って清潔になったところで、再びあの軟膏を米粒ほど絞り出して小指のわきに塗る。手足をくまなくチェックして、他にも軟膏が塗れそうな傷を探す。

     脛のかきむしり、踵の靴ずれ、右肘にいつのまにかできていた小さな切り傷。軟膏を買わなければ、その存在すら知られることなく生まれては消えていく傷たち。

     たか子はそれらひとつひとつに軟膏を塗りつける。明日の朝には、いや、今夜にも消えてしまうのではないかと期待しながら。

     不思議な充足感に包まれて、たか子は軟膏を化粧ポーチにしまう。

     塗る傷がなくなってしまった手持ち無沙汰に軟膏の空き箱を眺める。

    「第二種医薬品、けが等の化膿予防及び治療、おでき、せつ……ちょう……」

     たか子がGoogleで検索すると、おできもせつも画像付きで出てきたが、「ちょう」というものは見つけられなかった。かわりにならんで「よう」というものが出てきたので、「ちょう」は「よう」とも呼ばれるものかもしれないと考えた。

     たか子は再び軟膏をポーチから取り出し、首の後ろに出来た硬いニキビに塗り込んだ。

     今、ステロイドが皮膚の中にぐんぐん入って効いているのかな? それともコーティングして治すのかな?

     たか子はポーチに再度軟膏をしまうと、空き箱を見つめる。

    「こういうのはつまらない暮らしだろうか」

     たか子は空き箱をたたむと、端からジャキジャキとハサミを入れ千切りにした。

     先月、たか子は大学時代の友人数人と久しぶりの外食に出かけた。食事を楽しみながら、それぞれ近況報告をし合った。

     めぐみは、直属の上司が変わって、その上司の仕事がすべて後手後手でイライラしてタバコが増えたと言い、電子タバコにタバコを差し込んだ。

     ゆず葉は付き合っている彼の行動に不審点があり問い詰めたら、家庭持ちだったことが発覚。やけ食いしたのでダイエットしなきゃと嘆いた。

     茂美は所属しているバスケットボールの社会人サークルで行ったキャンプが最高に楽しかったと言った。釣りもサイクリングも楽しんだらしい。

     美奈がついに運命の美容液に出会ったという報告から火がつき、みんな美容の話題に夢中になった。

    「そういえば、たか子は? 最近どうなの?」

     たか子は準備しておいた写真をスマホに表示してみんなに見せる。

    「これ、アボカドの種からやっと芽が出たの」

     種が爪楊枝の手で万歳しながらコップのふちにつかまってるような姿で、アボカドは水の中に根を、頭上に小さな緑の芽を伸ばした写真。薄皮を剥き、ネットで調べた情報に従って両端を切り落として、丁寧に丁寧に育てたアボカド。

    「なにこれ? 脳みそみたい」

    「たか子ってば相変わらず不思議ちゃんだねー」

    「こういうのじゃなくて! 彼氏は? 出来てないの?」

     みんな呆れたように笑い、美奈がずいっとスマホをたか子の方へ押し戻した。

    「え? 彼氏? いないよー。あてもなし」

     そう言いつつスマホに目を落としたたか子の右手をゆず葉がぐっと掴む。

    「しっかりして!」

     笑いが再び起こって、そのまま話題は恋愛へと流れていった。ゆず葉以外のメンバーも、マッチングアプリや、サークルや、友達の紹介で色々あったらしかった。

     たか子はアボカドの成長の記録をスライドにして見せたかったのだが、タイミングを失いへらへらと笑って相槌を打つばかりだった。

     みんなが夢中になっている隙に、唐揚げについてきたレモンの種をティッシュに包んで持ち帰った。

     その種は、たか子の部屋の窓辺に置かれ、水に浸した脱脂綿の上ですぐに芽を出した。

    「わたしはどこか、しっかりしていないのかな?」

     たか子はヒョロリと伸びたレモンにたずねる。

     もちろん返事は返らないが、たか子は気にせず今は鉢植えになったアボカドの方を向いて続ける。

    「恋愛してなきゃしっかりしてないのかなぁ」

     たか子はため息をつく。

    「いいじゃん。自分の好きで」

     ちゃんみなぶって言ってみたが、あんまりかっこよく響かない自分の声にたか子は思わず吹き出す。

    「いいじゃん! いいじゃん!」

     たか子はスマホを開いて音楽をかける。

    「せかーいをまわーすわたーしー」

     レモンとアボカドに見つめられながら、たか子はちゃんみなの新曲で踊る。

     月も星も富士山も、静かにそれを見つめていた。

     

     

     

     

     

    [© Choko Moroya]

     

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