コンテンツへスキップ

くたばれ

諸屋超子

HOME > くたばれ > 第16回 死んだふりをしなければ負け

第16回 死んだふりをしなければ負け

     人類が二足歩行と引き換えに子どもを未熟児のまま出産するようになった。これを生理的早産と呼ぶことはよく知られているが、では人間は一体どの段階で成熟したといえるのだろうか?

     他の哺乳類の新生児と同程度に成熟するのは生後1年頃だといわれている。では、人間としての成熟はどうだろう? 社会的動物であるところの人間は、社会から一人前と認められてこその成熟であるという価値観を重視しがちであるが、しかし、果たしてそれで成熟とみなしてよいものだろうか?

     例えば、南太平洋の国バヌアツ共和国のペンテコスト島では、ナゴールと呼ばれる成人の儀式がある。ナゴールでは、ヤム芋のツタを足首に巻き付け、20-30メートルの高さから飛び降りることで自身の力強さや試練を乗り越える決意を表すという。なるほど、命懸けの証明は信頼を築き、敬意を集めるに価するとペンテコスト島では認められるのだろうと想像は出来るが、果たして現代の日本で同じことをしたところで「向こう見ず」「刺激中毒」「自暴自棄」などマイナスに捉えられかねない。それは、むしろ幼稚であるという評価に繋がるだろう。

     では、日本式にどこかに雇われるとか、不動産契約を結ぶとか、納税義務を果たすとかそれで一人前と認められることが唯一無二の正解かと問われると、疑問が残る。

     今村麻衣子は世界が小さな村となった今でも、半径15キロ圏内の人とだけ繋がっているFacebookアカウントに日々の気持ちを綴っていた。実家2階の6畳間が彼女の城で、こぢんまりと片付いている。階下ではテレビを見る父親の側で母親がちょこまかと夕飯の片付けをしている。

     今夜の放送は、芸能人の身の上相談に占い師が答えるという娯楽番組で、これはこの夫婦のお気に入りだ。

    「やっぱりこいつは苦労してるから。親の七光りだなんだって言われて」

    「花岡っていえばそりゃねえ、あれだったから」

    「あんなロクでもない親父に育てられて、外に出たら甘ったれって言われてな」

     母親が父親の横にビニール紐と1週間分の新聞や雑誌を置くと、父親はテレビから目を離さずに器用にそれを縛り始めた。母親は急須にお湯を注ぐと、輪ゴムでとめた菓子袋をいくつか戸棚から取り出す。

    「麻衣子ぉ、お茶いれるけどあんたも飲むー?」

     麻衣子はため息をつくと部屋を出て、ドタドタと階段を降りてきて椅子に座った。

     麻衣子は両親を恥ずかしいと感じていた。いつも話題が知ったかぶりの芸能人の噂話であることも、父親のくすんだ横縞のポロシャツも、母親が年中着ている薄っぺらなスパンコールの犬が付いたTシャツに浮き出る背中の脂肪も。

     麻衣子は定期的に断捨離を行い、無駄のない部屋を作っているというのに、リビングが父親の会社員時代に出張先で買ってきた民芸品や、3歳になる彼らの孫息子の喜ぶようなぬいぐるみで溢れていることにも嫌気がさしていた。たまに2階に上がってきた父親が麻衣子の部屋を憐れんだ目で眺めて去っていく度に、麻衣子は追いかけて何が言いたいのか詰め寄りたいのだが、なにも聞けずにただ閉められた白いドアを眺めるだけだ。こんな風に自分が何も言えないのも、両親があまり文化的な態度で育児に取り組んで来なかったせいではないかと憤りを感じている。

     そのせいで自分が広い世界に飛び出せない臆病な性格になってしまったのだと。

     麻衣子は彼女をアルゴリズムの暗い森から外へ連れ出してくれる王子様を待つ白雪姫の気分で過ごしているが、小人もいなければ彼女を虐げる継母もいない。あるのは白で統一された小さな家具と、小さなスマートフォンの向こう側にある小さなコミュニティだけだった。

    【たしかな温もり一可愛い甥っ子にありがとう─

     私には甥が1人いる。甥は3歳で、兄の子だ。私の父と母は甥にすっかり夢中で、実家のリビングはアンパンマンやミッフィーちゃんで溢れかえっている。冷蔵庫にはいつもりんごジュースが冷やしてあるし、母はスーパーに行くたびにチョコレートやビスケットを買ってくる。甥っ子が来た時のお土産用だ。

     父や母は古い人間なので、甘いものばかりを買ってくる。私は兄の嫁から両親が嫌われないかハラハラする。幸い兄の嫁は寛容で、いつも父と母に笑顔で礼を言い、たびたび孫を連れてやって来てくれる。

     兄の嫁が寛容でいられるのは、甥っ子の愛らしい笑顔の力かもしれない。甥っ子の笑顔は太陽みたいにキラキラ輝いて、みんなの心を温めるのだ。

     彼は先週我が家へ遊びに来た時に、私に抱っこされてアニメを見た。私は気持ちがホカホカになった。

    生まれてきてくれてありがとう。】

     麻衣子はこの冗長で退屈極まりない、なんの核心にも触れない文章を満足気に眺める。誤字脱字は辞書を使ってチェックしたし、てにをはも間違えていないはずだ。

     添付する甥っ子の写真の顔には目隠し代わりのスマイルマーク。配慮も完璧だと麻衣子は自分の成熟ぶりを自画自賛し投稿マークを押す。5分も経たずに猿渡由紀からいいねが付く。コメントで「なんのアニメ見たの? パウパト?」と尋ねてくる。

    「アンパンマンだよ」返信しながら麻衣子はムラムラと腹が立つのを感じていた。 麻衣子がこの文章を書いたのは、甥を可愛がる自分を見せるためであり、甥が見ているアニメが何かなんてどうだっていいのだが、猿渡由紀は、いつもどうでもいいことに反応してくる。以前、営業部のハンサムな山本信幸と焼き鳥に出かけた時には「え? タレ派なの? 私は焼き鳥は塩派」横浜流星の等身大パネルと記念撮影したプレミア試写会の時には「ポップコーン買ってから写真撮ったの? 大変だったでしょ? 買う前が良かったよね」どのコメントも空とぼけた腹の立つものだと麻衣子はイラついていた。しかし、1件は1件。反応してくれる相手は貴重だ。大切にしなければ。そう思うと怒るに怒れずに、猿渡由紀とはかれこれもう5年半の付き合いになっている。

     そして、山本信幸とのデートはあの1回きりで、一時期はFacebookにも頻繁にいいねが付いていたけれど、それもめっきり途絶えてしまった。

    「Facebookとかもうあんまり見てないんじゃない?」

     加藤沙織がお好み焼きを焼きながら言ったひとことに、麻衣子は目を剥く。

    「そんなことないよ! たくさん投稿が見られるよ!」

    「でも、若い子に会った時とかにFacebookとか聞かれなくない?」

     加藤沙織はなんでもない調子で続け、お好み焼きを6等分に切る。

    「えー? ピザ切りー?」

    「文句あるなら自分でやりな」

     三角形のお好み焼きを小皿に取って渡してくれながら加藤沙織が笑顔で言い放つ。麻衣子は沙織がいつも前もってこちらの好みを確認してくれないことに不満を持っていた。

     お好み焼きを写真におさめながら投稿を考える。

    【月に一度の女子会デー

     友人Sとは高校時代からの大親友。社会人になって毎月一度は必ず食事をする。30超えて女子って言うのは気恥しいけど、でもでも女子気分だよね!

     突然ですが、みなさんは、お好み焼きの切り方、どうしてますか?

     Sはピザ切り派らしいんだけど、実は私は棒状に切りたい派。いわゆる大阪切りってやつ? でもでも、優しい友達が切ってくれたものには感謝感謝でいただきます! マイペースなSだけど、大好きだよ!】

     帰ったら、辞書で誤字脱字を調べてからすぐに投稿しようと保存する。

     食事中の話題はふるさと納税と介護脱毛についてで、そんな時、今村麻衣子は自分が大人になったことを感じる。年齢相応の話題と自分勝手な友人に寛容な態度で応じる自分。

     ここで私は考える。彼女は未熟だろうか? 平凡な両親に不満を抱えつつもその両親の住居に住む彼女。世間体を気にして自分を取り繕うという社会性は持っているようだが、彼女の振る舞いから見て、取り繕えているかどうかは甚だ疑問である。

     では、両親に感謝して、態度を改め、体裁を整えられれば成熟しているといえるのか? 誰から見て? 誰が決めた成熟か?

     私は考える。人間は一生未成熟のまま暮らして、それを受け入れつつも成熟へ向けて弛まぬ努力を続けていくものなのかもしれない。しかし、果たしてそんな必要があるだろうか? 成熟しなければならないのはなぜか? 成熟しなければ死んでしまうのか?

     否、成熟していなければ周囲が助けるから生きていける。実際今村麻衣子も感謝もなければ反省もない暮らしをしているが、それでも彼女を養護する両親がおり、彼女を雇う会社もあり、率直に接する友人もいる。もし彼女が周囲から孤立し、自力で生きていけない状況に陥っても国が社会福祉で守るだろう。それでこその社会である。それこそが社会の存在意義である。

     では、成熟とは何に必要なのか? 成熟することで何が得られるのか?

     答えはまだ霧の中だが、少なくとも何かを求めて成熟しようと人間はもがく。暗い森を彷徨い、さらに広い場所に出たいと歩き続けている。求めている何かが手に入る保証はないが、手に入れたい何かがあることだけは分かっている。

     それが何かは分からない。しかし、知りたいから、私たちは進む。奴らの足音がする。銃声が聞こえたら死んだ振りをしろ。白旗も、名誉の死も幻想だ。銃声がしたら死んだ振りをしろ。

     まだ見ぬ成熟の先に広がる世界を求めよ。

     

     

     

     

     

     

     

    [© Choko Moroya]

     

    ※アプリ「編集室 水平線」をインストールすると、更新情報をプッシュ通知で受けとることができます。

    https://suiheisen2017.jp/appli/

    連載記事

    第1回 看板に偽りありんす

    第2回 めまい

    第3回 アイブロウが効いてきたぜ

    第4回 王様に見初められて断れば一家皆殺し

    第5回 コロコロメランコリー

    第6回 愛しの唐変木

    第7回 扁桃体ララバイ

    第8回 ブルーにしないで

    第9回 さあ、ご一緒に

    第10回 凡凡某凡

    第11回 マージナル・マージナル

    第12回 暇つぶしにもってこいの膏薬

    第13回 剝き出しの生

    第14回 貧しさとは何か

    第15回 生きる