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くたばれ

諸屋超子

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第17回 色如し質(イロゴトシタチ)

     断捨離、ミニマリスト、シンプルな暮らし。人々は限られた自分の領域である自宅や自室を最大限に活かそうとして空間を整頓する。私のように散らかった空間をアイデアの源に考えごとをするのはいわゆる少数派らしく、すっきりとした空間は多くの人に落ち着いた心を与えてくれるらしい。

     すっきりとした棚、すっきりとしたテーブル、すっきりとしたキッチン。すっきりとして落ち着いた環境に慣れた人間は、果たして、すっきりとしない人生というものに向き合っていけるのだろうか?

     

     池上桃花は最近、仲良しのネイリストゆりちゃんに誘われてあるセミナーを訪れた。「コミュニケーション能力開発講座」は意識の高い人々の間では既に話題沸騰中のオンラインサロン「classification」主催・陽風はるかぜあいがホテルの会議室を借りて開催した対面講座だった。
     ゆりちゃんは、桃花の爪の形を整えながら興奮気味に話した。

    「本当に今度の講座はレアですよ! レア! こんな街まで陽風先生が来るなんて初めてだし、受講料はたったの3千円だし。こんなチャンス滅多にないです」

     ゆりちゃんは桃花のネイルをもう3年も担当している小さなサロンの店長で、恋人と3年前に「別れの危機」を迎えていたのに、陽風の講座を受けたおかげで危機を脱したのみならず、サロンオープンの出資まで恋人が申し出たというのだ。

    「でね、はじめての知人以外のお客様が桃花さんで、あたし、桃花さんが彼氏とのことで悩んでるって聞いたとき、これはぜーったいお告げだ! 講座に桃花さんを誘わなきゃって思ったんです」

     ゆりちゃんによると、ゆりちゃんの恋人はフューシャピンクの男性だからネオンイエローの女性に惹かれがちなんだけど、真実の愛はスプリンググリーンの女性つまり、ゆりちゃんとだけ見つけられるらしいのだ。

    「これは占いじゃなくて統計学を元に陽風先生が独自に研究を重ねて生み出したもので、各カラータイプごとに詳しいコミュニケーションセオリーと事例研究の載っている教材も用意されているんです。でもそれは、それこそすごーく分厚い辞典みたいなもので、値段も高いし、読むのも大変だから陽風先生が個別相談を30分5千円でやってくれるんです。何回でもこの値段でいいんですよ? 陽風先生ってほんと商売っけがないんだから」

     桃花は、智則の昨夜の様子を思い出す。

    「結婚はしてもいいけど子供は欲しくない」

     と言った智則に桃花はこの1ヶ月コツコツと子供を持つことの喜び、安心、幸せについて伝えてきた。しかし、日に日に智則は不機嫌になり、ついに昨夜は可愛い子供たちがダンスしているCMを見ていまいましげにテレビを消した。

    「子供が嫌いなのは、智則が人間的に未熟だからじゃない?」

     ついカッとなって言った桃花を智則は冷たく言い放った。

    「子供が好きか嫌いかと、子供を持ちたいかは別だし、桃花が子供のいる結婚生活を望むのであれば、結婚は僕じゃない他の人と考えてくれ」

     桃花は頭が真っ白になり、目の前の景色は色味を失い暗く沈んだ。

    「それって私を好きじゃないってこと?」

     血の気の引いて強張った唇をなんとか動かして言った桃花を智則は呆れた顔で見つめた。

    「なんでそうなるんだよ? 好きかどうかと人生の計画が同じかどうかは別のことだろう? なんでそうごちゃついてんだよ、おまえは」

     桃花には智則が自分を都合よく扱おうとしているようにしか思えなかった。智則はとりあえず社会的信頼を得るために桃花と結婚して、いつの日か他にいい人が見つかったらそっちに乗り換える。そのときにはもちろん当たり前に子供を持つ。男には妊娠出産のリミットなんて関係ないんだから。男は年取った美人より若いブスのほうが好きだって決まってるんだし。

    「えー? でもそうかなぁ? 桃花さんの彼氏さんモスグリーンっぽいから違う言い方をすればわかってくれそうですけど」

     それからゆりちゃんは、桃花に基本の12色の話と、さらにユニークなプラス12色の話をして聞かせた。

     桃花はなぜかすうっと気持ちが落ち着いてくのを感じた。昨夜は眠れずに寝不足のまま会社に行ったが仕事に集中できず、本日の業務はコーヒーを飲み続けることのみとして退勤時間を迎えた。会社からネイルサロンまでの道のりも足取りは重く、こんな気分のままネイルをするのは勿体無いななどと思いながら、今月のおすすめデザインリストを眺めた。ところが今はどうだろう? 桃花の心は羽よりも軽く、部屋は明かりが増えたかのように明るく見える。

    「桃花さんは情の深いネイビータイプだから、少しやり方変えればいいかも」

     チラッと見せてもらった色分類表はとてもすっきりまとまっていて、なんだかワクワクしてきた。これに従うだけなら私にもできるかも。今はそう「ごちゃついている」から。

     桃花は昨夜、智則に言われた言葉を思い出し胸に鈍い痛みを感じ、それを向こうに押しやるように両手を伸ばして完成したネイルを眺めた。

     

     整頓の誘惑は私たち人間をさまざまな場所に連れていく。自分が何者かわからなくなった者は何の入会届にでも躊躇わずに自分の名前を記入する。賢く思われたい者はついさっきまで存在も知らなかったゲノム編集の是非についてのアンケートに1から13まで余さず回答する。他人から敬意を抱かれたい者はボーナスが出たらアウトレットモールに行く習慣を改めて百貨店へ足を運ぼうと胸に誓う。

     混乱した桃花が聞くだに胡散臭いセミナーにわざわざ足を運んだとしても誰も驚かないだろう。少なくとも私は驚かない。ありきたりな彼女の健気な抵抗じゃないか。

     

    「桃花さん、失礼ですが彼のご親戚に〇〇県出身の方は?」

     桃花はセミナーの後、特別価格3千円で30分間の陽風による個別相談を受けていた。

    「え? ええいます。叔父さんが〇〇県に住んでいるって」

    「やはり。それから彼の出身大学は?」

    「一応A大学です。一年留年したらしいですけど」

     陽風は一人で何度も強く頷きながら、手元に置いた薔薇の飾りに縁取られた携帯用ホワイトボードに何やら書き込んでいく。

    「いいですか? あなたの恋人はモスグリーンに見えますが、その根にオクタゴンが2つもあるんです。〇〇県は江戸時代に何某海岸から▲▲人が入り込み棲みつきました。オクタゴンです。▲▲人は伝統的にオクタゴンなのです。A大学の創設者の滝沢は、▲▲へ政府の命令によって5年ほど赴任していました。もちろん彼の持ち帰ったオクタゴンは未だにA大学の教育方針に強く影響を与えています」

     桃花はオクタゴンを2つ持った智則がDNAに刻み込まれた愛国心の影響でオクタゴンをこの国にばら撒いてしまわないか警戒しているという説明を必死でメモを取りながら聞いていた。

    「でも、それってどうしようもないってことですよね?」

     DNAにはかないっこないと桃花は肩を落とす。

    「いいえ、あなたがサークルを3つも持っているので大丈夫です」

     陽風からサークルを3つも持つネイビーは純粋なこの国の民族だと聞き桃花は驚いたが悪い気はしなかった。知らぬ間に自分が純潔であったことの優越性は彼女の心を優しくあたためた。これまでの混沌とした悩みがその希少性という理解されずらさにあったのだとすっきりした。

     私は桃花が陽風のアドバイスに従って智則のオクタゴンを刺激せず、サークルで包み込んでいく方法の小冊子を3千3百円で購入するところまでは見ていられずにたまらず立ち上がり、乱雑な机から適当に手に取った雑誌をパラパラとめくる。

     

     整頓は、人間の原始的な欲求なのかもしれない。未知のものに怯え、カテゴライズし、優劣をつけ、白黒つける。そうして手に入れた安らぎに深く深く座り込み、ゆったりと手足を伸ばしたいという欲求。

     複雑で予測のつかないものは、パンドラの箱にしまっておくべきだ。希望なんて押し潰して窒息させてしまえ。不確かな幸せより、見慣れた不幸の方がずっと愛らしい。

     そうやって我々の先祖は我々同様混沌を箱や押し入れ、倉庫や引き出しに詰め込めるだけ詰め込んで、床に大の字で寝そべり、猫なんか撫でながら安心してここまで発展してきたのだ。

     知的なあなたも私の書くような、こんなややこしくて意味不明な文章を読むより、クロスワードでも解いていた方がずっと楽しいでしょう?

     人間はおしなべて整頓の欲に突き動かされているのだから。

     

     

     

     

     

     

     

    [© Choko Moroya]

     

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