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生きた「吹き溜まり」

「湘南プロジェクト」の記録

中里佳苗

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第4回 「ごちゃごちゃ言ってもしかたない」と「あきらめるな」のあいだ(1)

    1.「行政」よ、団地に来い

     神奈川県湘南団地を足場に発足した「湘南プロジェクト」は、団地住民と外からやってきた有志が協力して作ったプロジェクトである。「協力して作った」と聞くと、柔和な協力関係をイメージする人も多いと思うが、このプロジェクトは、異質な者同士の対立関係から出発している。その第一歩目は、団地住民らが、外の人々を「半ば強引に呼び込んだ」という記憶として、私の中に残っている。

     1998年8月20日、第2回「在住外国人生活支援活動研究委員会」が開かれた。この委員会は「湘南プロジェクト」発足の契機となった委員会である(連載第3回参照)。この日の会議にも、外国人が集住する湘南団地から清水自治会長と民生委員の播戸さん、湘南市役所の職員や日本語教育のボランティアをしている小野寺さん、保育園や小・中学校の教員といった委員が12名集った。会場は、前回と同じ、湘南市社会福祉協議会(以下、社協)の会議室だった。

     委員会の座長である新原先生が、前回の会議の続きとして、湘南団地を足場とした社会学的調査の構想を話した。オブザーバー参加していた私は、「今日の会議は調査の話などがメインになるのかな」と考えていた。しかし、小野寺さんの何気ない近況報告をきっかけに、話は思わぬ方向へ展開していく。

     「国際交流協会や市の国際課の方でも、外国人相談窓口を作るためにはどうすればよいのかといった話をしている段階で、具体化に向けて一歩進んでおります」

     この発言を、今見返してみても、取り立てて喰いつく要素は何も無い。ところが、これに間髪入れずに反応した人物がいた。湘南団地の自治会長、清水会長である。この日も、真夏の暑い中、かっちりしたジャケットを着て、声を張っていた。

     「この委員会が発足してから2年経っておりますが、専門的な分野ごとの検討がなされておらず、総括的な話し合いにとどまっています。情報交換としての委員会は、もう限界であり、いらないのではないでしょうか。それよりも、専門的な立場から湘南団地に入ってきてほしいと思います。とにかく場所を作り、実際にその中に入ってもらえればと思います。行政側が月に1回、週に1回でもよいから相談場所をもうけ、積極的に中に入ってきてほしいと思います。行政の中でやらなければならない問題、住居の問題、手続きの問題、教育の問題など専門的な対応が必要です。総合的に解決しようとするのではなく、時には踏み込んでいって問題を解決することが必要ではないでしょうか。

     生活の中での交流は、基盤ができています。あとは私どもができない、隣近所ができない、専門的な問題が残されています。なるべく早く、各国の代表、自治会の皆さんと話し合いをしていただき、その中から問題点を拾い上げ、踏み込んで解決を図ってほしいと考えています」

     清水会長は、どこか苛立った様相で「行政」という言葉を連呼していた。その場が一瞬で、ピリピリした空気に変わった。「行政」が相談窓口をつくるというのなら、話し合いなどしていないで、一刻も早く湘南団地に入って相談場所を作るべきだという主張だ。「『行政』よ、団地に来い」ということである。

     ここでの「行政」とは、狭義には、湘南市の国際室を指していた。この日はあいにく、国際室の職員は欠席していたため、「行政ボランティア」の小野寺さんが窓口の役割となっていた。「行政ボランティア」とは、「半官半民」で運営されているボランティア組織やそのメンバーを表現した造語である。小野寺さんは、湘南市の国際室が財政的な母体となっている国際交流協会を拠点に活動しており、典型的な「行政ボランティア」だった。

     また、広義の「行政」として、この委員会を主催している県社協や市社協、そして社協の関りの中で今ここに集っている委員たち全員を指していたということも、学生の私でも感じ取れた。社会福祉協議会は本来、社会福祉法人で民間団体なのだが、その財源に税金が当てられていることから「行政」と認識している人も多いだろう。

     清水会長の発言を受けて、隣の市で外国人支援をしているアドバイザー委員が、やんわりと、このように返した。

     「本来は自分の住んでいるところで問題が解決できるのが望ましいことですが、専門的な問題については必ずしも近隣地域で相談にのる必要はないのではないかと思います。逆に近隣地域にあれば、相談に行きにくくなる場合もあります」

     相談窓口を、湘南団地に直接つくることは、慎重に検討した方がよいという意見だった。しかし、清水会長は、主張をとめない。

     「そうはいっても、行政の書類を子どもを通じて、小中学校の先生に相談している現状を忘れてはいけません。まず、在住外国人にある具体的な問題を知ることが大切です」

     小野寺さんが口を開き、より現実的な方向で、話をまとめようとする。

     「決して湘南団地の中に相談窓口をつくろうということを、否定するものではありません。まず第一歩として、国際交流協会で相談窓口をつくろうとしています。地元で相談窓口を開設すれば、全て解決できるかというと、そうはいかないでしょう。深刻な問題はなるべく誰も知らないところへ行ってそっと解決したいというのが人情です。とりあえず、距離をおいた国際交流協会から相談窓口をつくるというのはどうでしょうか」

     それでも、清水会長は食い下がった。

     「ただし、湘南は特別なところです。1000世帯の内、155世帯が外国籍という地域です。行政側としてもそれなりの対応をお願いしたいと思います。相談窓口を作る際、ぜひそこに住んでいる人達とも話し合いをしていただきたいと思います」

     団地の中に「行政」が入っていくことを要望する清水会長に対し、湘南団地の学区である中学校の先生が以下のような提案をした。

     「行政が湘南団地に入るときは、まず楽しいことから入るといいと思います。悩みごとや相談などから入ると、『あれやれ、これやれ』というものがどうしても多くなります。最初に、団地祭などから入っていけば、ある程度コンタクトが持てると思います。そして社協は、行政と住民の両者のクッションとしての役割になるといいと思います」

     中学の教員も、アドバイザー委員も、小野寺さんも、言葉は違っても、実質的には同じことを話していた。要するに、「行政」が、限定された1つの地域に出向き、課題解決に向けて直接介入するのは「いかがなものか」ということだ。「行政」は、問題を抱える当事者と「適切な距離」を保ちながら、事業を行っていくのが望ましいという考え方である。清水会長は、そのような考え方に真っ向から対立し、団地住民の現状を訴え続けた。

     「情報というのは、ふところに入れば集まりやすいものです。私よりも、困りごとを一件、一件尋ね歩いている『国際部』の方々の方が、より良い情報が集まるでしょう」

     「一件、一件尋ね歩いて」という言葉は、「適切な距離」を保とうとする姿勢に対しての、辛辣な批判だろう。清水会長の言う「国際部」とは、湘南団地の自治会組織の1つである。外国人の流入が激しくなってきた10年前に創設され、言葉や生活習慣の違いに対応してきた。各国から1~2名ずつ「外国人のリーダー」が選出され、現在11名が「国際部」として活動をしている。このような「国際部」への接触を、横内地区民生委員の播戸さんも、語尾を強くして求めるのだった。

     「湘南団地は、まだまだ貧しい家が多いのが現状です。楽しい交流は、それはそれであっても良いと思いますが、それよりも大切なものがあるかと思います。まず、11人の『国際部』の方々に、困っていることなどを聞いてほしいと思います」

     私は、このような団地の人々の発言を聞きながら「なんて強引なんだろう」と感じていた。他の委員たちは皆、口を揃えて「行政」の直接的な介入をNGと言っているのに、団地自治会長や民生委員は、なにがなんでも「行政」を団地に呼び込もうと息巻いている。その意気込みに、一種の執着と頑なな強引さを感じていた。頑なな姿勢の背後にある、団地の人々のおかれている状況に対し、当時の私は、あまりにも無知であった。

     「『行政』よ、団地へ来い」という団地自治会長らの強要に対し、どのような結論が出されるのかと、私は息をのんで様子をうかがっていた。最後に新原先生が、とても冷静な口調でその場を締めた。

     「お話を総括しますと、清水会長のおっしゃるように、この委員会の『出張委員会』といった形で、11人の『国際部』のリーダーさんとお会いしたいと思います」

     私は唖然とした。その場に集ったほとんどの委員が、「行政」が団地に直接入っていくことへの反対意見を述べていたというのに、結論は、拍子抜けするほど、あっさりと真逆になった。これまで団地サイドの意見に対立していた委員たちも、「『出張委員会』をするにしても、最初は新原先生だけで訪問してほしい」という反応にとどまり、反対する者はいなかった。

     もとより、この市社協の委員会では、外国人を対象としたヒアリング調査を行うために、湘南団地へ長期的にかかわっていくという方向性が話されていた(連載第3回参照)。そのため、「いずれ」湘南団地を赴くことになると、委員の誰もが承知していたとは思う。しかし、それが「いずれ」ではなく、急遽「今」となり、さらに、こんな風に団地の人たちの強引な要求に応える形で、というのは想定外だったのではないだろうか。

     新原先生の「今」という判断は、決して団地の人々の押しに負けたからではなく、県社協と外国人支援の事業を始めた1996年からの積み重ねによる英断だったのだろうが、当時の私には、団地の自治会の人々が外から人を「半ば強引に呼び込んだ」という記憶となった。

     新原先生の返答を受け、清水会長が、今まで見たことのない安堵に近い表情で、このように述べた。

     「今まで団地の『国際部』は、他の防災部などの部と違って、行政と結びついていませんでした。行政側がからんでくるとなると非常に国際部長も喜ぶことと思います」

     団地に行くのは「行政」ではないのにな、と私は心の中でつぶやいた。

     

    [© Kanae Nakazato]

     

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