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生きた「吹き溜まり」

「湘南プロジェクト」の記録

中里佳苗

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第10回 「生きた吹き溜まり」――日本語教室が産まれた土壌(1)

    1.新章への「立役者」

     「始める」ことが宣言された後の「湘南プロジェクト」は、周囲を少しずつ巻き込み、その「渦」を拡げ、周囲の人間関係に変化をもたらしながら、湘南団地に深く足を踏み入れていくことになる。それは、「旋風を巻き起こす」といったイメージとは少し異なり、小さなつむじ風によって、煽られ、はぎ取られ、舞い上げられた葉っぱが、「でこぼこ」とした道端にひっかかり、翻りながら「吹き溜まって」いく様子に似ていた。

     「渦」の中心には、これまで見てきたように、「在住外国人生活支援活動研究委員会」(以下、「委員会」)を主動してきた新原先生や社協の国武さん、団地自治会の清水会長らの尽力があったが、そのような動きを重要な場面で「後押し」し、加速化させた人物がいた。北条さんという、女性である。

     私が北条さんと初めて会ったのは、1998年10月19日の「委員会」だった。この日はちょうど、団地自治会長による怒号が印象深い、「湘南プロジェクト」の「始まり」となった日でもある(第7回参照)。振り返ってみると、こうした「始まり」の場に、北条さんが初登場したということが、「新章」の訪れを暗示していたように思える。

     この日の自分のメモには、北条さんの名前の横に、「アジア福祉教育財団・難民事業本部」と記してある。北条さんは、県社協の「在住外国人支援フォーラム研究委員会」のメンバーであり(第3回参照)、そのつながりから湘南市に招かれた。

     北条さんは、腰まである真っ黒な黒髪を「おさげ」にして、デニムのワンピースにエスニック調の上着やバックをあわせていた。難民事業本部の職員にしては、ラフな出で立ちだったので、「本当に職員なのかな?」と疑問に思いつつも、彼女の話に耳を傾けた。

     北条さんは、その日の議題であった「湘南団地に日本語教室を作る」という話に関連付けて、最初にこのような発言をした。

     「湘南市についてですが、難民事業本部のコミュニティ活動として、昨年度、湘南団地の方に集まっていただき、相談会をしております。その時、相談員ということで、本部の職員や通訳も来ているはずです。また、カンボジアのお正月を行うなど、そういったコミュニティ活動もしています。

     ただ、難民事業本部は、日本に最初に定住した時のケアを基本としています。アフターケアがない定住政策はないはずですが… 定住先の行政と難民事業本部がなかなか結びついていかないという課題があります。

     しかし、難民事業本部の日本語事業としても、例えば、当事者からの要求があって、日本語教室を開催するためのボランティアを育成する、そして、県社協とこの委員会、また湘南市と市社協との合体で事業化するのであれば、具体的に考えてみたいと言っています。行政がきちっと入っていて、そこを拠点にして教室を作るといった形にできればいいのではないかと思います。」

     北条さんが難民事業本部についての詳しい話をしていたので、「この方はやはり、難民事業本部の職員なのだろうな」と思った。北条さんの話を受けて、新原先生が返した。

     「今の北条さんの話ですが、湘南市と市社協が、難民事業本部の方と相談して、湘南団地で何か具体的なことができないかということを詰めようと考えております。」

     北条さんは、とてもよく通る声で続けた。

     「それから、難民事業本部の担当者からの話で、『湘南日本語の会』の方たちが、団地から近い公民館で日本語教室をやっているとの話がありました。しかし、今回は団地の中での活動を希望していることと、行政の方からバックアップできるような形のものを展開できないか考えていること、そして、それが当事者の希望だということを、お伝えしておきました。今までとは違った形で、具体的に取り組めたらいいのではないかと思います。」

     難民事業本部としては、団地の近隣で行っている日本語教室に、既に助成を行っているので、できればそちらと連携して欲しいというのが本音だったようだ。しかし、「湘南日本語の会」と協力関係を結ぶのは、実際には難しいものがあった(第8回参照)。そうした状況を踏まえて、北条さんは、湘南団地の中で教室を独自に進めたいという希望を、事業本部の担当者に伝えたのだという。

     会議に先立ち、事業本部の担当者にあらかじめ話を通していた北条さんに、頼もしさを感じた。また、彼女の発言は、難民事業本部の事業のみならず、難民や外国人に関連する法律、そして自治体の制度に関して造詣が深く、高い「専門性」を、ひしひしと感じさせるものだった。湘南団地に「場」を作っていくにあたって、具現化のためのアクションを「後押し」してくれる存在だと思った。

     改めて当時の記録を見返すと、湘南市社協の会議での北条さんは、「オブザーバー」という立場となっている。下を向いてメモをとっているだけの私と、同じ立場だ。しかし、彼女は、単なる「オブザーバー」にとどまらず、すでに新たな局面へのスタートダッシュをきる「湘南プロジェクト」の「立役者」となっていた。

     

    2.現場に知恵を与え、励ます

     北条さんが初めて「委員会」に参加した日、「出張委員会」は彼女を連れて、湘南団地を訪問した。この日は、「現地打ち合わせ会」の3回目であり、団地自治会長が外国人に向けて、「何度言っても何も変わらないと、あきらめるな!!  あなたたちの声が一番重たい」と叱咤激励した日でもある(第5回参照)。

     会議は20時から始まった。ラオス・カンボジア・ベトナム・ブラジル・中国から7名の「外国人のリーダー」が集い、団地自治会長、事務局長、民生委員の面々が、ミーティングの場を準備してくれた。

     北条さんを、外国人や自治会の人々に紹介する際、新原先生が「前回の約束通り、専門的な相談ができる方に来ていただきました。国のことや法律にも詳しいです。生活で困っている人は話してください」と言った。私も「難民事業本部の職員さんだから、とても心強い」と思いながら、ミーティングの場に座っていた。

     北条さんが話し始めるや否や、「外国人のリーダー」や自治会の人々の反応が、大きく変わったことが印象に残っている。北条さんと外国人との間では、以下のようなやりとりが続いた。

     

     ラオスのリーダー:ラオスにいる家族を呼びたいが、どうすればいいですか?

     北条さん:ベトナム人ならば、家族を呼ぶことはできるけど、カンボジア、ラオスの場合は、奥さんや夫、それから子ども… 20歳より下の人だけです。他の家族は、3ヶ月のビザだけ。そういう法律があります。呼び寄せた後は、品川にある救援センターで3ヶ月~4ヶ月暮らせます。センターでは、ただで日本語を学べます。後で、書類のコピーをあげます。

     ラオスのリーダー:兄弟はだめですか?

     北条さん:だめです。観光ビザのみです。

     

     この文字化された質疑応用では、北条さんの「専門性」はうまく伝わらないかもしれない。しかし、北条さんの返答をみて、その場にいた「外国人のリーダー」たちが、次々と、「喰い気味」に質問をし始めたことは、印象深く記憶に残っている。

     北条さんは、豊富な知識を持っている上に、言葉のコントロールにも、非常に長けていたのだと思う。例えば、上のやりとりも、ベトナム人に対する1980年から2004年までのODP(合法出国計画)と、その他の国の難民に対する制度の違いを述べているが、外国人が理解しやすい言葉を選んで説明している。

     とても的確で具体的な北条さんの返答は、外国人のみならず、その場にいた団地自治会の人々の気持ちも、少なからず動かすものだった。「出張委員会」に対し、いつも喧嘩腰で、疑心暗鬼な態度をみせていた自治会の人々も、北条さんと「外国人のリーダー」とのやりとりを横で聞きながら、徐々に態度が柔らかくなっていった。

     例えば、このような場面だ。カンボジアのリーダーが、北条さんにこんな質問を投げかけた。

     「専門学校とか大学で勉強をして、仕事をしたい。自分自身で勉強したいけれど、援助金は出ますか?」

     この発言を聞くなり、民生委員の播戸さんが、「えらい!」と言って拍手をした。自治会の人々も、「うんうん」と頷いているのが見えた。ラオス人のリーダーが、その話に続いた。

     「同じ気持ちです。小学校4年生しか出てないので、日本で会社入っても、労働ばかり。技術を身に着けたい。通訳とか、整備とか。」

     北条さんの返答はこうだった。

     「日本政府は、難民が日本に来た時、日本語と仕事の世話だけ。あとの援助はないです。インドシナ難民への奨学金はあるが、政府じゃないから、実際難しい。だから、私たちが声をあげていかないとね。」

     カンボジアのリーダーが、「どこか納得できない」という表情で続ける。

     「アルバイトしながらでも、勉強したいです。日本人は外国人を、日本語が分からないだけで、何も分からないと思っている。アメリカでは、政府から金がもらえて、勉強できる。県や日本の政府、そういうのがないのか? なんでないの、とても残念。」

     民生委員の播戸さんが、カンボジア人のリーダーの悔しい気持ちを汲み取るように、こう続けた。

     「団地で隣に住んでいる外国人の少年が、夜間でもいいから勉強したいと言っている。本当のことだと思う。」

     自治会の国際部長上野さんが、口を挟んだ。

     「こういう意見をまとめて、県や国に出して、そうして動いていくことが必要ということだね。」

     播戸さんが大きく頷きながらも、こう返答をする。

     「でもね、小規模でもいいから、勉強したいと言っている人たちに、まずは教育の場を与えたいのよ。」

     いつもは、皆の話を黙って聞いている清水自治会長も、珍しく、口を挟んだ。

     「夜間学校の制度は、外国人は使えるのですか?」

     北条さんが返事をする。

     「使えます。湘南市には、商業高校に夜間学校があります。こういう情報を伝えるために、地域の学校の先生に協力してもらい、教育ガイダンスというものを開いています。団地にも来てもらえますよ。」

     これを受けて、清水会長がこう答えた。

     「団地では、日本語教室のような勉強する場所と、進学のための教育ガイダンスなどを提供できるといいのかなと考えています。」

     清水会長は、自治会がやろうと思っていることを述べた。これまで、訪問時はいつも「あなたたちに何ができるか?」と詰問されるばかりだったので、自治会の考えを聞いたのは、これが初めてだったかもしれない。北条さんの返答一つ一つが、現場に知恵を与え、前向きに動けるように、励ます力を持っていたのだと思う。

     私はそんな北条さんに魅了され、今後も湘南団地にかかわってくれたらと願った。しかし、「難民事業本部の職員だから、頻繁には来られないだろう」という残念な気持ちで、北条さんと団地の人々のやりとりを聞いていた。

     ところが、この日の帰り道、この残念な気持ちは「いい意味」で覆された。北条さんは、難民事業本部の職員ではなかったのだ。団地からの帰り道、雑談中に北条さんが、「私もボランティアだから、偉そうなことはいえないけど」と言った。一瞬、耳を疑ったが、彼女は外国人支援にたずさわるボランティアであった。勘違いしていた自分を恥ずかしく思うと同時に、「専門性」の高い話をしていた彼女が「ボランティア」であるということに、一人密かに、衝撃を受けた。

     北条さんは、長年、外国人の集住地域でボランティア活動を行いながら、神奈川県全域の支援ネットワーク作りを推進してきた活動家だった。「行政を巻き込まなきゃだめよ」と口癖のように言っていた彼女は、難民事業本部のみならず、自治体や市の関連諸機関ともつながりが深い人物であった。

     とはいえ、先に見たように、会議に先立って難民事業本部の担当者にかけあうことなどは、通常のボランティアでは、なかなかできないことでもある。現場から声をあげて社会を変えていこうという姿勢を、彼女はずっと貫いていた。

     そんな彼女が、今後もしばらく「湘南プロジェクト」に関わってくれることが分かり、私はとてもホッとした。実際にその後、北条さんは、自身の地域活動を一時期休止して、「湘南プロジェクト」に力を注いだ。彼女が湘南団地に足を運べた期間は、さほど長くはない。記録を見返すと、1998年10月から1999年12月までの1年強だ。だが、湘南を去った後も、いつも「湘南プロジェクト」を陰ながら支え、助言をし、見守ってくれていた、そんな存在だった。

     送迎車が湘南の駅に着くと、北条さんは「ここから1時間半かかるわよ。ちょっとした旅よね」と苦笑いしながら、21時半すぎの電車で帰っていった。

     

     

    [© Kanae Nakazato]

     

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