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極私的原子力用語辞典

西尾 漠

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第13回 「高温ガス炉」「高速増殖炉」

    ◉高温ガス炉

     高温の熱を取り出せるように設計された原子炉。減速材の黒鉛の中に、高温に耐えるセラミックス被覆の燃料を配置、冷却材には高温が得られるヘリウムガスを使用している。

     

    お洒落しゃれても買い手はないよ

     高温ガス炉の最大の売りは、発電以外にも様々な用途が期待できる多目的性だ。開発当初は、高熱を製鉄に利用することが考えられていた。1986年3月20日の衆議院科学技術委員会で、当時の科学技術庁の中村守孝原子力局長が質問に答えている。「我が国で高温ガス炉の研究開発を始めた当初におきましては、いわゆる原子力製鉄ということが華々しく打ち出されたわけでございます」。

     ただし「ございます」の後に「が」が続いていた。「ございますが、その後そういう原子力の熱を利用しようとする需要産業界の方はどうもさっぱり気勢が上がらなくなりまして、そういう意味での需要という面から着目いたしますと、今すぐこれが必要だという時期ではなくなっているというような事情はあるわけでございます」。おやおや。

     原子力製鉄が当時の通商産業省工業技術院のナショナルプロジェクトとして華々しく打ち出されたのは1973年6月。80年10月に第Ⅰ期計画を完了した。8年間に137億円の国費が投じられたが、81年度予算はつつましくゼロに。第Ⅱ期には進めなかった。

     『鉄と鋼』1981年9月号に、原子力製鉄技術研究組合の下川敬冶理事がプロジェクトを振り返って寄稿している。「この大型プロジェクトは金属材料技術研究所と、15企業1団体からなる原子力製鉄技術研究組合が工業技術院の委託を受けて研究開発を推進してきたが、第1期計画が完了した段階で組合を解散することとし、現在その準備を進めている」と。

     第1期計画は、「日本原子力研究所が開発を進めている熱出力50MWの多目的高温ガス実験炉に接続する原子力製鉄パイロットプラントの設計・建設・運転に必要な六つの主要要素技術を研究開発すること」が目標だった。「日本原子力研究所の多目的高温ガス実験炉の開発が遅れ、利用系の開発と整合がとれないことを主な理由として 第2期 のスタートは 見合わされることになつた」との説明だが、日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)の多目的高温ガス実験炉が高温工学試験研究炉(HTTR)と名を変えて1998年11月10日に初臨界を迎えても、運命につける薬なし。プロジェクトの再開とはならなかった。

     『実業往来』1981年5月号「“風前の燈”となるかナショナルプロジェクト原子力製鉄」は、鉄鋼業界が「原子力製鉄にいったいどれほどの熱意をもっているのか、はなはだ疑問といわざるをえない」と嘆く。けっく原子力製鉄の話はそのまま消えてしまうのだからニーズがなかったことは明らかだろう。『技術と経済』1991年6月号の「ビッグプロジェクト再考」で原子力製鉄を取り上げた九州大学の吉岡斉助教授は高温ガス炉の多目的性は「利用者よりも開発者サイドの宣伝文句であった」と指摘していた。

     

    永久に不滅です

     いままた、今度は高温ガス炉は水素製造を可能とするとして岸田政権が建設を謳い上げている実証炉のユーザー目線の欠落にも、その指摘はピタリと当てはまる。いや、その前に、2022年9月21日の最後の委員長会見で原子力規制委員会の更田豊志委員長はこう明言した。「高温ガス炉の使用済燃料は、再処理するというのは現実的ではありませんので、全量再処理という政策をとっている日本では、今の時点ではその政策同士のバッティングで、導入が、視野に入るものでは決してない」。

     それでも岸田政権は、GX推進法(脱炭素成長型経済構造への円滑な移行の推進に関する法律、だって!)に定めるGX投資で高温ガス炉と高速炉の実証炉に今後10年間で約1兆円の投資をしようとはしゃぐ。すでに2023年度予算に「GX支援対策費」として「高速炉実証炉開発事業」に76億円、「高温ガス炉実証炉開発事業」に48億円の新規予算をつけた。

     島村武久元原子力委員が主宰する原子力政策研究会で1992年1月16日、同じく元原子力委員の伊原義徳が言う。「いつもプレスの方にご批判を受けるんですけれども、日本では『プロジェクト不滅の法則』というのがあって、原子力船『むつ』でも高温ガス炉でも、如何におかしくても死なない」。

     今また生き返ったといっても、行きはよいよいのようで行き止まりだぜ。阿呆くさ。

     

     

    ◉高速増殖炉

     燃料のプルトニウムの周りにウラン238を配し、プルトニウムの核分裂で飛び出した中性子によって多くのウラン238をプルトニウムに変えるよう開発された原子炉。使われた以上のプルトニウムが新たに生まれるので増殖炉と名付けられた。ただし、増殖には原子炉の運転期間を超える長い時間を要する。「高速」は、核分裂で放出される高速の中性子を減速せずに使うことからの命名であり、高速で増殖されるという意味ではない。

     冷却材に水は使えず、金属のナトリウムを高温で液化したものなどが冷却材に用いられている。技術的な課題が多く、世界のどこでも実用炉として普及するに至っていない。このため、燃料として使われるはずのプルトニウムが余る状態となり、ウラン238を配さず増殖をさせない「高速炉」としてプルトニウムを燃やすだけにする考えが主流になっている。

     

    ややこしや、ややこしや

     「高速炉」という言葉自体は古くからあった。が、いわば純粋な科学用語で、「高速中性子を用いる原子炉」以上でも以下でもなかった。今では「高速炉」と言えば「増殖炉」ではないという意味合いがこびりついている。

     一時期は、日本原子力研究開発機構は「高速増殖炉(FBR)」と呼ぶが、文部科学省は「高速炉(FR)」と言い換え、経済産業省資源エネルギー庁は「高速増殖炉」派だというややこしい事態になっていた。2006年4月25日付の電気新聞によれば、自民党エネルギー総合戦略合同部会の原子力推進戦略分科会で両者がぶつかり合ったとか。記事は言う。「経済産業省・資源エネルギー庁が『ウラン資源の制約が厳しくなるので、FBR(高速増殖炉)としたい』と説明したのに対し、文部科学省は『米国などはプルトニウム消費が目的。(日本でも)最初は消費、資源がタイトになったら増殖、という考え方』と説明し、両省庁の間で見方が割れた」。

     あれれ、もともと文科省と経産省は、それぞれ逆のことを言っていたんじゃなかったっけ。まあ、最近はみなさん、その時々でどちらも使ったりでケンカは収まったようだけど。いや、それもややこしいか。

     いずれにせよ「千年エナジー。愛とエネルギーは、永遠がいい」と東京電力の広告がうたっていた「夢の原子炉」がプルトニウムというごみの焼却炉に化けてしまったことには1ミクロンも疑いを入れない。

     

    嫌われ「もんじゅ」の一生

     日本での高速増殖炉の開発は実験炉「常陽」、原型炉「もんじゅ」と進んできて、1995年12月8日の「もんじゅ」ナトリウム火災事故でつまずき、同炉は2016年12月21日に廃止された。

     「もんじゅ」は1970年に、智慧を司る文殊菩薩からその名がつけられ、1次設計を終了して産声を上げた。同年、福井県敦賀市は、当時の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)からの立地調査申し入れを了承しているが、敦賀市白木地区での建設が閣議決定されるまで12年。本格着工は1985年10月だ。94年4月5日に初臨界に達したもののトラブルが頻発。翌95年8月29日の初発電も出力5%、1時間だけだった。バリ情けネエ。

     事故は、それからおよそ4ヵ月後の12月8日午後7時47分ころ、原子炉緊急停止試験に向けて出力を43%に上げたときに起きる。約700kgといわれるナトリウムが噴出して空気中の水分および酸素と激しく反応、炎上した。翌9日2時すぎに動燃職員による現場調査が行なわれ、ビデオが撮影された。このときの生々しいビデオは、しかし、公表されなかった。その後、9日午後4時すぎに2度目の現地調査が行なわれ、このときに撮影した15分ほどのビデオを動燃は、衝撃的な場面を削除、1分間に編集して公開した。11日には、4分間に編集したものを「オリジナル」と称して公開。本物のオリジナルが公開されたのは20日になってからで、22日に、1度目調査ビデオの存在が明らかになる。

     そんな情報隠しが、エイズ禍を招いた厚生省(現・厚生労働省)や製薬会社の姿勢など「もんじゅ」以外にも見られることを、福井のマスメディアは「もんじゅ化現象」と名づけていたらしい。1996年3月31日づけ福井新聞の「編集ノート」には、次のように書かれていた。「『もんじゅ化現象』との表現が時折、記者仲間の会話で用いられる。動燃によるナトリウム漏れのビデオ隠しをとらえ、組織的なうそや責任回避の姿勢を意味する“代名詞”だ」。

     時は流れて2003年1月27日、「もんじゅ」の原子炉設置許可は無効とする判決が名古屋高裁金沢支部で言い渡された。残念ながら最高裁で05年5月30日に逆転されてしまうのだが、『エコノミスト』同年6月14日号は「裁判で勝利した経済産業省の受け止め方は複雑だ」と報じた。「旧通産省以来、同省の本音は核燃料サイクルの放棄だったとみていい。〔中略〕しかし一度決まった国策、しかもすでに『もんじゅ』は7000億円を超える投資をしているだけにストップをかけることができなかった。今回の最高裁判決でさらに歯止めがかからなくなると予想される。省内には『反対と言っていた幹部はなぜ体を張らなかったのか』と歴代幹部を責める声が強い」。おいおい。

     とはいえ経済産業省が文部科学省から原子力政策の実験を奪うと、「核燃料サイクルの放棄」などどこかに行っちゃった。「プロジェクト不滅の法則」ってか。

     それはさておき七転び八起き、そもそも動力炉・核燃料開発事業団の後身である日本原子力研究開発機構の職員が、「もんじゅ」に誇りも自信も持てないようだ。2014年4月18日に同機構は、全職員を対象とした27項目の意識調査の結果を発表した。設問に対して最も肯定的な場合は2点、最も否定的な場合はマイナス2点と5段階の点数で回答させた結果、「もんじゅに配属されたら今よりプロジェクトを進める自信がある」とする問いへの答(もんじゅに在職する者は対象外)の平均点はマイナス0.6点となり、全設問中最低点だった。職種別では、研究職が技術職、事務職より否定的で、平均点を下げていたんだって。さもありなん。

     さて、事故から14年半経って、「もんじゅ」は2010年5月6日、ようやく運転を再開した。しかし、それも束の間、8月26日、燃料交換の際に一時的に据え付ける3.3トンの炉内中継装置が原子炉容器内に落下し、かろうじて容器の上蓋にひっかかる事故が発生する。上蓋と一体で回収することとなり、回収用機器の設計・製造など13億円をかけて11年6月23日~24日にやっと回収できた。

     2013年5月29日、機器の点検漏れを放置していた日本原子力研究開発機構に原子力規制委員会が保安措置と保安規定変更命令。その間の試運転再開準備が禁止された。 その後も「もんじゅ」の保安規定違反はとどまるところを知らずと思っていたらとどのつまり、2015年11月13日、原子力規制委員会が文部科学大臣に次の勧告をするに至る。

     1.機構に代わってもんじゅの出力運転を安全に行う能力を有すると認められる者を具体的に特定すること。

     2.もんじゅの出力運転を安全に行う能力を有する者を具体的に特定することが困難であるのならば、もんじゅが有する安全上のリスクを明確に減少させるよう、もんじゅという発電用原子炉施設の在り方を抜本的に見直すこと。

     1が出来っこないのは自明の理。2016年12月21日、原子力関係閣僚会議で「もんじゅ」は廃止が決まった。でも、それで一件落着じゃないぜ。ほとんど動いていないとはいえ、後始末は問題だらけ灰だらけだ。

     

    どこへ行った? あの夢

     続く実証炉(俗称「スーパーもんじゅ」)については日本原子力発電が建設することになっていたのが、いつの間にやら日本原子力研究開発機構に、つまり民間から国に替わってしまった。要するに民間が逃げたわけ。2005年10月に「原子力政策大綱」をまとめた原子力委員会の新計画策定会議でも、電力会社委員の消極的な姿勢が際立っていた。それに対し、「『電力、逃げるなよ』との不規則発言がある委員から飛び出したように記憶しているが…」と伴英幸著『原子力政策大綱批判』(七つ森書館刊)にある。議事録には残っていないが、筆者も傍聴席でその野次を聞いた。ある委員が誰なのかは、伴ちゃんも明示していないから言わぬが花か。

     思い返せば前述のように1985年10月、「もんじゅ」は本格着工するのだが、その年の7月に電気事業連合会は、5年前に設置した「高速増殖炉推進会議」を「高速増殖炉対策会議」に改組していた。10月21日付電気新聞で中井修一記者は、その背景をこう説明している。「原型炉『もんじゅ』(28万kW)の建設費の膨らみによる多額の負担増を契機に、業界が建設に大きな役割を果たす『実証炉』や将来の実用炉までの問題を、この際再チェックしようというものだ」。

     そのころから電力業界は逃げることを考えていた。しょうもな。

     

    夢は夢のままに

     それでも人は夢を二度見るって? 2022年12月23日に原子力関係閣僚会議で改訂された「高速炉戦略ロードマップ」では、次のように「今後の開発の作業計画」が示されている。

     2023 年夏:炉概念の仕様を選定

     2024 年度~2028 年度:実証炉の概念設計・研究開発

     2026 年頃:燃料技術の具体的な検討

     2028 年頃:実証炉の基本設計・許認可手続きへの移行判断

     具体的な開発マイルストーンが設定され、高温ガス炉と並んで実証炉開発に予算がついたとはいえ、実用化には程遠いことにさのみ疑いはかけない。実用化の時期については原子力委員会「原子力開発利用長期計画」の改定のたびに逃げ水のように延びていって2050年頃で止まっていたが、「高速炉戦略ロードマップ」では「2050年までに[実用炉の手前の]実証炉が運転開始されていることが望ましい」と後退したわけだ。さなきだに実証炉は、1基じゃすまない。3基ほどつくると言われてたんだ。それからやっと実用炉第1号となる。

     実用化は2050年から何年先に延びることやら。それも実現の可能性はゼロに等しい。松浦祥次郎前原子力安全委員長が2009年12月15日付電気新聞で言う。「現時点で、予断を持たず冷徹に観れば、FBRの将来展望は未だかなり不確定である。楽観的に観ても、安全性、信頼性、経済性、資源安定性、技術成熟度、核拡散防止、核テロ防止、高レベル放射性廃棄物処分負担軽減、社会的受容性等の視点でFBRが現行軽水炉や改良軽水炉に競争可能なレベルに至るには相当の期間が必要であると考えざるを得ない」。

     有り体に言えば、本来無理ってことだよね。そもそも「旧共産主義圏国家か、トータリテアリアン(全体主義的)な国家でないと、高速炉は開発しにくいのかもしれません」と初代外務省原子力課長の外交評論家、金子熊夫エネルギー戦略研究会会長は『日本原子力学会誌』2016年2月号でうそぶいていた。実以てエグいっしょ。けど、当たっていなくもないかな。

     

     

    [© Baku Nishio]

     

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    連載記事

    第1回 「まえがき」「IAEA」

    第2回 「Atoms for Peace」「安全性」

    第3回 「SMR」「エネルギー基本計画」

    第4回 「核管理社会」「核セキュリティ」

    第5回 「核燃料」「核燃料サイクル」

    第6回 「核武装」「核融合」

    第7回 「規制の虜」「クリアランス」「計画被曝」

    第8回 「原子力安全委員会」「原子力委員会」「原子力規制委員会」

    第9回 「原子力基本法」「原子力資料情報室」

    第10回 「原子力船「むつ」放射線漏れ」

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    第12回 「原子炉」「原子炉立地審査指針」

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