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極私的原子力用語辞典

西尾 漠

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第14回 「高レベル放射性廃棄物」

    ◉高レベル放射性廃棄物

     使用済み燃料をそのまま廃棄する場合には使用済み燃料が高レベル放射性廃棄物だが、日本では使用済み燃料を再処理した後に残る高レベル廃液と、それをガラスと共にステンレス容器(キャニスター)に固めこんだガラス固化体が高レベル放射性廃棄物とされている。

     

    君子は豹変す

     高レベル放射性廃棄物は、30~50年の冷却期間の後、地下300mより深い地層内に処分(地層処分)する方針だ。でも、それって、かつては否定されていた方法だったんだ。原子力委員会の廃棄物処理専門部会が1962年4月にまとめた中間報告書では、最終処分方式として「深海に投棄すること」と「土中に埋設したり、天然の堅牢な洞窟あるいは岩石層に入れること」の2方式を挙げたうえで、「国土が狭あいで、地震のあるわが国では最も可能性のある最終処分方式としては深海投棄であろう」とされてたんだから。

     『原子力バックエンド研究』24巻2号に掲載された「地層処分概念開発史」で、一貫して高レベル放射性廃棄物の地層処分研究に従事してきた増田純男原子力安全研究協会参与が切って捨てる。「当時の国レベルの検討の記録には、『地層処分』の語は見当たらず、また地層処分とみなされる概念やそれに類似した考え方が議論された経緯もないことから、地層処分という選択肢は検討の対象にはなかったものと考えられる」。

     前掲2方式の後者が「類似した考え方」に見えなくもないが、それはそうと、第1候補の深海投棄についてはしっかり研究していたかというと、それもまた「低レベルの海洋投棄はある程度研究が進みましたが、高レベル処分についての研究実績というのは調べてみてもほとんどありません」というのが実態だったらしい。つまるところ、高レベル放射性廃棄物の処分なんてまだ先のこととして本気じゃなかったのね。坪谷隆夫編『オーラル・ヒストリー~地層処分研究開発~』OFFICETSUBOYA発行、http://www.aesj.or.jp/~snw/img/ChisouShobun-oral-history1.pdf)での増田参与の言である。

     まごまごしているうちに、その高レベル放射性廃棄物の深海投棄も、1972年12月に採択され、75年8月に発効した「廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染の防止に関する条約」(ロンドン条約)によって禁止されてしまう。増田参与からの引用を続けよう。

     「それで日本でも慌てて専門部会が招集されて、先程坪谷さんが言われた1976年ですから、つまりロンドン条約が発効してわずか1年後、『放射性廃棄物対策についての原子力委員会決定』というのが初めて出されて、そこで高レベル放射性廃棄物はガラス固化し30年から50年間貯蔵した後に処分することとして、地層処分に重点を置いた研究を動燃が行うこととする、ということになり、動燃に廃棄物対策室ができました」。

     深海投棄禁止とあっては是非に及ばず、「わずか1年」で、つじつま合わせすらせずに方針転換が行なわれたということさ。

     1976年10月に原子力委員会が示した方針では増田参与の言う通り、海外各国に歩調を合わせて「当面地層処分に重点を置き」と変わる。それでもなお「我が国の社会的、地理的条件に見合った処分方法の調査研究を早急に進め」とも書かれていた。翌77年4月、日本原子力産業会議の高レベル放射性廃棄物処理・処分検討会の中間とりまとめも強調する。「高レベル放射性廃棄物管理に関するわが国の対応策は、厳しいわが国の社会条件、自然条件等の諸要因を考慮すると、処理についても、処分についても諸種の幅広い可能性を探求して、わが国に最も適した体系に組み立てていくといういわば『道無き道を推し進む』作業が想定され、柔軟な対応の仕方が要請される」。

     ところがどっこい、何らの具体的な検討もなく、地層処分が唯一の硬直化した方針となっていく。

     前篇の終わり。

     

    めでたしめでたし

     後篇。硬直化した方針の中でも、当初計画は変更を迫られた。

     当初は、処分場に適したサイトをまず選び、それに応じた処分システムをつくるという「今考えればとんでもない計画」だったと増田参与。そのためにボーリング調査を各所で行なうようになり「だんだん社会問題を引き起こすようになってきたようです」と。「地層処分概念開発史」では「地点絞り込み方式は、1984年時点で隘路に入り込み、以降それ以上の進展を見ることはなかった」と述べている。

     そこで、処分地はどこであっても(って、もちろん一定の条件の下でだが)、その特性に合わせて工学バリアを設けて多重バリアを設計することができる、という考えを取り入れることとなる。地層処分を研究していた学者らから反発や批判があったものの、日本で地層処分を進めるには都合の良い考えとして、それが徐々に定着した。

     こんなことをのたまう「専門家」まで現われるに至っている。「仮に適地の要件が200点満点だとする。調べたところ、地質は80点だったとしても、残る120点分は人工バリアで補うことができる」(長崎晋也東京大学大学院教授―2007年6月29日付電気新聞)。牽強付会もいいとこだ。やくたいもない。

     

    ないしょの はなし

     日本原子力産業会議から2002年5月に、『原産 半世紀のカレンダー』と題する、同会議と原子力開発の動きの年表が刊行された。編著者は森一久副会長である。森副会長による「31の秘話」が、けっこう面白い。その一つに「神の啓示か、高レベル処分候補地に初名乗り」というのがあった。

     1984年のこと。伊藤忠の加藤照彦原子力部長の紹介で「一人の偉丈夫が『近江神宮奉賛会、理事・棟方兵七郎』と草書体で大書した名刺を持って現れた。曰く『私は宮司横井時常氏(元靖国神社宮司)の命により、日本で最も地盤強固といわれる岡山県の山中、西部県境に近い、哲多・哲西両町に跨って、約千万坪の地下権(試掘権)を保有している。[以下略]』」。

     そこで「『とにかく内密に勉強する』ことになり、当方も窓口を石塚〔昶雄〕計画課長一人に絞り、その後一年近く連絡と資料提供を重ねた。[中略]この間、直接現地にあからさまには接触しなかったが、少数の専門家や動燃石渡鷹雄理事長と原燃サービス小林健三郎社長には、現地をみてもらい、十分候補地にはなりうるという感触を得ていた」。

     そして「機は熟し、いよいよ地元への直接の説明、さらに原子力施設と研究の実際を見てもらうという段階にきた。森は、近江神宮に横井氏を尋ねて、(相互に)信頼を深めた。[中略]昭和60年6月20日、地元から20名近く、当方は説明者として秋元勇巳氏(当時三菱金属常務)と石塚が出向いた。[中略]11月中旬、両町の議員ら15名が自費で上京し、原産の案内で東海を訪問、動燃の懇切な説明を聞き、その真摯な研究状況を見て、安全性も信じてよいと確信した」。

     然るに天なり命なり、議員らの帰りの新幹線で「折悪しく同じ車両に地元の知り合いが乗っていて、だんだん大きくなる声を聞いてしまった」ことから両町の議会で問題となり、県議会、国会にも「飛び火」して計画は頓挫を余儀なくされたという。哲多町議会が87年1月20日、核廃棄物拒否を盛り込んだ「非核平和の町宣言」を採択、翌88年3月31日には哲西町が「核廃棄物拒否宣言」を採択して決着した。これが本当のめでたしめでたし。

     ところで、森副会長は「初名乗り」と言うが、2001年4月に電気情報社から上梓された『原子力発電の原点と焦点』(語り手=松永長男(たけお)、きき手=掛川旭朗至(ひろし))では、松永元東京電力理事がもっと古い話をしている。

     「東起業という会社〔東京電力のグループ企業〕が、あるね。そこの宮田君から『ぜひ紹介したい人がいる』と連絡があった。20年以上も前のことだが。

     それは藤田鳳禅という人だった。小笠原を日本に返還させるについて一番尽力した人で、現地の人々から大変尊敬されておった。

     その人が宮田君の案内でみえて、『小笠原の母島に、原子力の廃棄物処分場を作って貰えないか』と言うんだ」。

     そこで、どうしたか。「『これはいい話だから、ぜひやりましょう』と田中〔直治郎〕副社長に話した。そしたら『調べてみてくれ』ということで、東電の中の原子力研究所だったか、そこから神谷君〔神谷美郎・原子力開発研究所副所長〕を借りて、現地の岩盤を調べて貰った」。

     しかしけっきょく「美濃部都政下では実現無理」と田中副社長が判断してあきらめる。美濃部都政下で田中副社長時代というと、1971年から75年ころとなる。こちらのほうが初名乗りだろうか。まあ、どうでもいいけど。

     

    怪人大全集

     それにしても高レベル放射性廃棄物の処分場をめぐっては、「謎のフィクサー」が多すぎる。前出の藤田鳳禅、棟方兵七郎、鹿児島県南大隅町長のふところに入り込んだオリエンタル商事(東京)の原幸一社長、長崎県五島列島の久賀島では福岡の自称森林開発会社社長某……。オマケに処分場でなく再処理工場では、北海道の奥尻島を売り込んだ曽根玄洋、鹿児島県徳之島には徳之島興業(東京)の佐藤明英社長……

     高知県東洋町長に原子力発電環境整備機構(NUMO)への応募を働きかけた「世界エネルギー開発機構」の服部禎夫代表理事となると電力中央研究所の名誉特別顧問で、謎の人物ではなくなる(藤田鳳禅も、小笠原を日本に返還させるについて一番尽力した人とあるから、謎の人じゃないのか。知らんけど)。故郷の長崎県新五島町への誘致を進めている宮建三東京大学名誉教授や、高知県内各地で活動していた「高知県地層処分建設協議会」の中谷健(中谷元衆議院議員の父親)も、正体ははっきりしている。

     とまれ怪しいフィクサーたちも、原子力業界をはじめとする財界等の大物としっかりつながっている。『週刊朝日』2013年4月12日号の今西憲之+國府田英之「謎のフィクサーと東電・勝俣前会長」は言う。「多額の交付金を喉から手が出るほどほしい地方自治体と、どこかに“汚れ役”を押しつけたい政府。こうした構図が、X氏〔原社長〕のようなフィクサーを暗躍させているのだ」。

     その構図に、原子力産業界もからんでいるのだろう。そこで、フィクサーとフィクサーもどきの原子力関係者の線引きがあいまいになる。

     事業の失敗から土地の売却を急ぐ会社からの働きかけというケースもあった。2014年8月8日づけの朝日新聞「原発利権を追う 『関電の裏面史』独白」第10回に、鹿児島県の馬毛島が高レベル放射性廃棄物の処分候補地とされようとした話が載っているのを紹介しておこう。

     「旧平和相互銀行の伊坂重昭監査役(当時)が関西電力の内藤千百里(ちもり)にこの島の売却を持ちかけたのは1980年代初めだった」と、内藤千百里元副社長のインタビュー記事は言う。「馬毛島のほぼ全島を買収した平相銀の関連会社は当時、レジャー基地建設を目指したが頓挫し、売却を急いでいた」。

     内藤は、仕えていた芦原義重会長に話し、芦原会長と電気事業連合会の会長だった平岩外四東京電力社長との会談で、同連合会で買う話がまとまったものの、同連合会が青森県六ヶ所村への進出を決めたことでつぶれたという。え? どうして? 8月9日づけ朝日新聞の上述連載第11回には、こうある。「青森県は核燃施設を受け入れたが、最終処分場は拒否し、国から最終処分地にしない確約を得た。電力業界も青森県での最終処分を表明していない。だが電事連は馬毛島の選択肢を捨てた時点で青森での最終処分場建設をめざしていると芦原と内藤千百里は受け止めた」。そうだったのか!

     記事の末尾には、「関電広報室と電事連はこの経緯を『承知していない』としている」と断り書きが付されている。

     

    まちがいさがし

     原発推進派と呼ばれる人々には、まっとうな想像力がまるっきり欠如しているようだ。『日本原子力学会和文論文誌』の2009年第1号で、和田隆太郎、田中知、長崎晋也という3人の東大大学院教授が、高知県東洋町における高レベル廃棄物処分場候補地応募反対運動を分析し「立地確保に向けた社会受容プロセスモデル」の検討とやらを行なっている。いわく、市民団体の反対の理由として「『ガラス固化体1本で、広島原爆の約30発分に相当』という説明が使われたようであるが、これは技術的な根拠がない」。

     なぜかと言うと「原子爆弾には核燃料物質が必要であり、他の放射性物質は必要ない」からだ……と読んできて、はて、これは何を言っているのかしらと困惑してしまった。さても面妖な。

     何のこたあない。ガラス固化体には回収漏れのウラン-235しか含まれておらず、広島原爆の数百分の1でしかないとのご批判なのである。広島原爆の約30発分とは、もとよりウラン-235の量の比較ではなく、原爆が爆発して生まれる長中寿命の放射能の量との比較だとは、3人も揃っていて誰ひとり思いもよらないらしい。

     そんな人たちが「社会的受容」だなんて、めっちゃ恥ずいやん。お帰りはあちら。

     

     あ、また長すぎる。

     

     

    [© Baku Nishio]

     

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    連載記事

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    第2回 「Atoms for Peace」「安全性」

    第3回 「SMR」「エネルギー基本計画」

    第4回 「核管理社会」「核セキュリティ」

    第5回 「核燃料」「核燃料サイクル」

    第6回 「核武装」「核融合」

    第7回 「規制の虜」「クリアランス」「計画被曝」

    第8回 「原子力安全委員会」「原子力委員会」「原子力規制委員会」

    第9回 「原子力基本法」「原子力資料情報室」

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