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極私的原子力用語辞典

西尾 漠

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第1回 「まえがき」「IAEA」

     

    まえがき

     

     「極私的原子力用語辞典」を連載開始します。本業は反原発運動全国連絡会が発行する『はんげんぱつ新聞』の編集者です。1978年の創刊以来、編集の実務を担当しています。初代の故・高木仁三郎さんから引き継いだ編集長は2022年5月、末田一秀さんにバトンを渡しましたが、いまも編集に携わっています。脱原発のシンクタンクとも言うべき原子力資料情報室の共同代表も務めています。

     原子力問題にかかわることになったのが『はんげんぱつ新聞』創刊の5年くらい前、テレビコマーシャルはおろか新聞広告も扱っていない、輸出向けの英文パンフレットづくりがメインの極小広告制作会社に勤めていたときです。反広告会議というグループに加わり、原発PRの批判をいずれも廃刊となった『新地平』や『市民』といった雑誌に書いたことから、反原発運動とつながりができました。

     「原子力用語辞典」を最初につくろうとしたのは、1979年頃だったでしょうか。78年、79年と現代書館から『反原発事典』シリーズⅠ「[反]原子力発電・篇」・Ⅱ「[反]原子力文明・篇」を、反広告会議の仲間だった評論家の故・津村喬さん、現代書館の編集者で今はフリーで活躍している太田雅子さんといっしょに編集委員会を名乗って上梓し、シリーズⅢを「資料篇(ことばの事典を含めた資料集)」にしようと準備をしていました。高木仁三郎さんはもとより故・久米三四郎さん、故・水戸巌さんといったそうそうたる方々に第1稿を書いていただきながら刊行できなかったのは申し訳なく、慙愧に耐えません。

     実は、シリーズⅢについては、高木さんに監修をお願いしていました。高木さんは、「自分が監修するなら、きちんとしたものを」と生真面目にすべての原稿を読み、手を入れ、何とか統一的で間違いのないものをと骨を折ってくれたのですが、けっきょくは挫折しました。私は何度か、「これくらいでよいのでは」と妥協を申し入れたものの、叱られて拒否されました。

     その後、2001年に原子力資料情報室で小冊子『原子力キーワードガイド』を事実上の著者として作成、14年からは『現代用語の基礎知識』(自由国民社)で「原子力・原発」の項を担当しています。

     今回は、そうした辞典に加えて事典風の余談を盛った「読む辞典」にしたいと編集室水平線の西浩孝さんには無理をお願いしました。後世に残る論文には載ることのない、インターネットで検索しても出てこないような「スクラップ情報」を、それでも残しておきたいというのが動機です。扱う「用語」も、その名にふさわしくないものが多くなりそうですが、あらかじめご寛恕をお願いしておきます。

     

    *発言者の肩書は、いずれも発言時のものです。

    *旧字・旧かなは新字・新かなに変えました。

    *[ ]内は筆者の註です。

     

     

    ◉IAEA(あいえいいいえい)

     International Atomic Energy Agencyの略。「国際原子力機関」と訳されるが、IAEAのほうが通りがいい。1957年、国際連合との連携協定に基づき自治権を有する国際機関のひとつとして設置されたもので、核分裂物質(核物質)の保有状況を監視して核拡散を防止する活動の一方、そもそも原子力利用を推進する目的で設けられた機関である。

     紛らわしい組織名としてIEA(International Energy Agency、国際エネルギー機関)、NEA(Nuclear Energy Agency、原子力機関)がある。前者は国連とは無関係で旧西側諸国のみで構成されている。後者はOECD(Organisation for Economic Co-operation and Development、経済協力開発機構)に属する国際機関で、OECD-NEAと書かれることが多い。

     

    すったもんだがありまして

     IAEAのスタートは、1953年12月8日の「Atoms for Peace」演説とされる。第8回国際連合総会で演説したアメリカのアイゼンハワー大統領は、原子力平和利用の促進のため、各国が持つウラン等の核物質の一部を国連の下に設立する国際機関に供出し、同機関が保管・貯蔵・防護を行い、利用方法を工夫すること(「原子力国際プール」、「ウラン銀行」などと呼ばれる)を提案した。

     しかし、当時のソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)の反対にあう。供出されない大部分の核物質は従来通り核兵器の生産に向けられる、供出したウランを原子炉で利用することで生まれるプルトニウムが核開発に使われないという保障がない、としてソ連は、原水爆禁止協定を先に結ぶことが必要だと主張した。言うまでもなく米ソそれぞれにさまざまな思惑があってのことだ。いろいろ言われているけれど、ややこしいのでここではスルーする。ともかく紆余曲折の末、1956年10月23日、ニューヨークで国際原子力機関憲章の採択に至る。翌57年7月29日に発効、ここにIAEAは発足した。

     国際原子力機関憲章第2条は、目的をこう記している。「機関は、全世界における平和、保健及び繁栄に対する原子力の貢献を促進し、及び増大するように努力しなければならない。機関は、できる限り、機関がみずから提供し、その要請により提供され、又はその監督下若しくは管理下において提供された援助がいずれかの軍事的目的を助長するような方法で利用されないことを確保しなければならない」。

     1970年3月6日に発効したNPT(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons、Non-proliferation Treaty、核不拡散条約、核拡散防止条約)がIAEAとの間で締結することを義務づけている協定に基づいて当該国の原子力活動について実施する査察を含む保障措置活動によって、IAEAの名は広く知られるようになった。そのぶん原子力利用推進の側面が隠されている気がしないでもない。イランの核開発疑惑、最近ではロシアのウクライナ侵攻など問題が山積していることはご存じの通り。福島原発事故で核燃料がメルトダウンし確認できなくなった核物質をどう管理できるのかも大きな問題の一つだ。

     

    話半分嘘半分

     2021年10月現在のIAEA加盟国は173ヵ国。理事会は、原子力に関する技術の最も進歩した国として毎年6月の理事会によって指定される13ヵ国及び総会で選出する22ヵ国の計35の理事国から構成される。その指定理事国に日本は設立当初から選ばれていてIAEAに貢献していると外務省などは誇っているが、当初は選ばれるかどうか大いに気をもんでいたらしい。『新論』1巻5号(1955年11月)所載の「原子力平和利用国際会議に出席して」で自由党の前田正男衆院議員が当時の通商産業省工業技術院の駒形作次院長と対談していて、前田議員は「なんとしても日本は理事国に割込まなければならぬ」と言い募っていた。前田議員は力説する。「ぜひ割込まなければならぬので、駐在日本在外公館にぜひそういうような努力をするようにひとつ運動をしろという話をしましてまた帰ってから早速外務省の方に、正式にその話をして、外務省から在外公館に訓令を出した」。当初から選ばれていると胸を張る話でもないよね。

     1965年9月には本部所在地のウィーンを離れて初めての総会が、東京で開催された。「原子力の平和利用開発を積極的にすすめている世界で唯一つの原爆被災国であるわが国で開かれたことは十分異議深いことである」(下山俊次日本原子力発電社長室副主査――『ジュリスト』336号)そうだ。また、外務省総合外交政策局軍縮不拡散・科学部長などを経て2005年から在ウィーン国際機関日本政府代表部大使を務めた天野之弥(あまの ゆきや)が、2009年から19年まで事務局の長であるとともに機関の首席行政官である事務局長を務めている。

     指定理事国選出の時とは比べものにならない壮絶な外交駆け引きが行われた事務局長選挙については『世界に続く道 天野之弥回想録』(かまくら春秋社)で当人が事細かに記録している。何度繰り返しても決着がつかず、事態の責任を取るため、外務省の総合外交政策局軍縮不拡散・科学部部長の佐野利男と大臣官房総括審議官の松富重夫が頭を剃り丸坊主となったとか。Wikipedia の「天野之弥」の項にあったが、脚注の「『日本経済新聞』44283号、14版、日本経済新聞社、2009年5月4日、1面」は、縮刷版では確認できなかった。

     ようやく選出された天野事務局長は、2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にSDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)が記載されると、それに飛びついて新たなAtoms for Peace「平和と開発のための原子力(Atoms for Peaceand Development)」を掲げ、保健・医療、食料・農業、環境、工業適用等幅広い分野で原子力を活用した開発協力を提唱した。さすが! IAEAサイバースドルフ原子力応用研究所(オーストリア)には、業績を称え命名されたという「天野之弥研究棟」(The Yukiya Amano Laboratories)まであるんだって。

     

    天にも上る

     1956年10月23日の国際原子力機関憲章採択を受けて日本政府は26日の閣議で署名を決定、同日、国連本部での調印式に加瀬俊一国連大使が代表として参加、調印を行った。『原子力委員会月報』1956年11月号は、その意義をこう述べている。

     「この国際原子力機関にわが国が加盟した意義を考えてみると、わが国は国際連合のエカッフェなどの専門機関には加入しているが、連合自体の機関には加入していない。原子力機関のような主要な国際機関にわが国が加盟し、しかも準備委員国として主要な位置を占め、また理事国となることも期待されているということは外交上重大な意義を有するものといえよう」。

     7年後の1963年10月26日に日本原子力研究所の動力試験炉JPDRが日本初の原子力発電を行うと、毎年10月26日を「原子力の日」とすることが64年7月30日の事務次官会議を経て同月31日の閣議で了解された。『原子力委員会月報』1964年8月号に説明がある。ちょっと長くなるが引用。

     「『原子力の日』を10月26日としたのは、この日が、昭和31年国際連合の関係機関である国際原子力機関への加盟のために、わが国が同機関憲章に署名した日であり、また、昭和38年日本原子力研究所が動力試験用原子炉(JPDR)によりわが国が初めて原子力による発電に成功した日であるからである。

     したがって『原子力の日』においては、ひろく国民一般が原子力についての理解と認識を深めることを目的とした各種の行事が行なわれる。行事の実施には科学技術庁をはじめ日本原子力産業会議、科学技術振興財団、日本放送協会、日本原子力研究所、その他国公立機関民間諸団体等多くの関係団体が参画する」。

     JPDRの初発電単独では「原子力の日」にできなかったのか。それだけ国際機関に初加盟したことがよほどうれしかったんだろうかね。

     

    [© Baku Nishio]

     

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    連載記事

    第2回 「Atoms for Peace」「安全性」

    第3回 「SMR」「エネルギー基本計画」

    第4回 「核管理社会」「核セキュリティ」

    第5回 「核燃料」「核燃料サイクル」

    第6回 「核武装」「核融合」

    第7回 「規制の虜」「クリアランス」「計画被曝」

    第8回 「原子力安全委員会」「原子力委員会」「原子力規制委員会」

    第9回 「原子力基本法」「原子力資料情報室」

    第10回 「原子力船「むつ」放射線漏れ」

    第11回 「原子力の日」「原子力ムラ」「原子力ルネサンス」

    第12回 「原子炉」「原子炉立地審査指針」

    第13回 「高温ガス炉」「高速増殖炉」

    第14回 「高レベル放射性廃棄物」

    第15回 「国策民営」「国産エネルギー」

    第16回「再稼働」「再処理工場」「JCO臨界事故」

    第17回 「事故隠し」「司法リスク」「使用済み燃料」

    第18回 「スリーマイル島原発事故」「全国原子力科学技術者連合」

    第19回 「多重防護」「脱原発」「脱炭素電源法案」

    第20回 「チェルノブイリ原発事故」「チェレンコフ効果」「中間貯蔵」「中性子源」

    第21回 「TRU」「停電」「低レベル放射性廃棄物」

    第22回 「電源開発」「電源三法」「天然ウラン」「天然原子炉」

    第23回 「トイレなきマンション」「東海再処理施設」「東京電力」

    第24回 「動燃」「特定重大事故等対処施設」「トリチウム」「トリップ」

    第25回 「中曽根札束予算」「2次冷却系」「日米原子力協定」

    第26回 「日本原子力産業協会」「日本原子力発電」

    第27回 「日本原燃」「NUMO」「濃縮」

    第28回 「倍増時間」「廃炉」「白金族」

    第29回 「初原子力発電」「半減期」「はんげんぱつ新聞」

    第30回 「ビキニ事件」「避難」「被曝」