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極私的原子力用語辞典

西尾 漠

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第8回 「原子力安全委員会」「原子力委員会」「原子力規制委員会」

    ◉原子力安全委員会

     原子力委員会が所管する原子力の研究、開発および利用に関する事項のうち、安全の確保に関する事項について企画し、審議し、および決定するため、1978年10月4日、同委員会から分離して発足した総理府(のち内閣府)の諮問機関。東京電力福島第一原発事故の翌2012年、より推進行政から独立した原子力規制委員会の発足に伴い、役割を終えた。

     

    災い転じて福となす

     原子力委員会と原子力安全委員会を分けるというのは、アメリカの原子力委員会(AEC)が1975年、推進側のエネルギー研究開発管理部(ERDA、のちエネルギー省=DOE)と原子力規制委員会(NRC)に分けられたことの猿真似と言われる。しかし原子力安全委員会の分離を決めた原子力行政懇談会の有沢廣巳座長はその後の回想で、米原子力委員会が二つに分かれた時は「なんであんなことをする必要があるのかなと思っていた」と言う。「その当時の[日本の]原子力委員会にはすぐ分けるという気持はあまりなかったと、僕は思いますよ」と(『原子力工業』1980年4月号)。

     ところが1974年9月1日に原子力船「むつ」の放射線漏れ事故が起こり、高まった原子力行政批判を受けて75年2月25日に原子力行政懇談会が発足、世論をなだめるべく12月29日に原子力安全委員会の設置を含む中間報告がまとめられることになる(最終報告は76年7月30日)。その中間報告の前々月、有沢座長は10月9日の懇談会の席上、「有沢私案」なるものを示した。どのような案か、森一久編著『原産半世紀のカレンダー』(日本原子力産業会議刊、2002年)で森が執筆している「秘話」にこう書かれている。

     「そのころ世界的にも『安全規制と開発推進は切り離す』のが流行で、米国のNRC(原子力規制委員会)の設置がお手本になっていた。有沢氏はしかし、開発と規制は車の両輪で『何らかの繋ぎがなければ』という考えを行政懇の席上でも述べていたが、趣旨は判っても原子力に対する厳しい情勢に気をとられ、なかなか大勢とはならなかった。議論も出尽くしたころ、痺れを切らした同氏は『有沢私案』なるものを持ち出した。それは『従来の安全審査委員長が別格の原子力委員(または副委員長)として入る。同委員は安全問題に関する限り拒否権を持つ』という、いわゆる『大原子力委員会構想』であり、熟慮を重ねた上の極めてユニークなものだった。しかし、これも当時の流行の議論を説得できず、両委員会は『完全分離』された」。

     その「有沢私案」をつぶしたのは、正規の会合と別に、いわば秘密会をもった行政懇委員の伏見康治、田島英三、科学技術庁原子力局長の生田豊朗だった、と2011年12月18日付の東京新聞が内訳を報じていた。伏見の日記が引用されている。「11月1日(土)晴れだが、曇りがち 生田局長の考えでは、有沢構想は元来非分離案であって、ただ世間の分割案に合わせるために、外見上分割案に見えるようにしただけなのだという」。

     さて、原子力安全委員会ができてどうなったか。島村武久元原子力委員が主宰する「原子力政策研究会」では1992年の会合(日づけは不明)で、原子力行政懇談会の事務局を担当していた沖村憲樹科学技術庁研究開発局審議官のいわく「結果的に15年経ってみますと、原子力の反対も安全委員会が吸収して、原子力発電も、滞りながらスムーズにいってますんで、この体制もまあ結果的にはよかったんじゃないかというような気がしますけど」。

     

     

    ◉原子力委員会

     総理府(のち内閣府)の諮問機関。原子力利用に関してかつては大きな権限を有していたが、現在は機能が縮小されている。

     

    いくつも時代は過ぎて

     2001年1月6日の中央省庁再編に伴い、原子力委員会の委員長は「科学技術庁長官たる国務大臣をもって充てる」とされていた同委員会設置法の条文が削除された。電力中央研究所の中村政雄顧問(元読売新聞論説委員)が、8月10日付の電気新聞で「原子力委員会不要論」を書いている。

     「原子力委員会がないと、困ることがあるだろうか。20年前、私は当時の有沢廣巳原子力委員長代理に質問した。

     『平和利用の番人ですよ』と有沢さんは答えた。『万一、日本政府が核武装したいと考えた時、原子力委員会は体を張って阻止する。そのために原子力委員長は国務大臣が就任する。閣議決定は閣僚全員の一致が必要だ。原子力委員会が反対すれば、原子力の軍事利用は防げる。役に立つのはそれくらいかな』

     それだけでも存在価値はある、と思ってきた。政府の機構改革で、原子力委員長は国務大臣でなくなった。政府の諮問機関に過ぎない。有沢さんが答えた唯一の存在価値も消えた」。

     ただ一人でも反対する気骨のある原子力委員長が実際にいたかしら。むしろ委員長から委員会に、原爆の研究や原子力潜水艦の導入検討とかの話がもちこまれたんじゃないの(「核武装」の項参照)。

     ともあれ中央省庁再編に伴っての原子力委員会設置法改正では、委員会決定を内閣総理大臣が「十分に尊重しなければならない」旨の規定も削除され、原子力委員会の弱体化が一歩か何歩か進んだことは間違いないようだ。

     んで。福島原発事故が起きた後で、原子力委員会をどうするか、存廃もふくめての検討がおこなわれた。あれこれごたごたの末、2013年2月10日に「原子力委員会の在り方見直しについて」がまとめられている。原子力委員は5人から3人に数を減らし、「今後は原子力利用の推進を担うのではなく、原子力に関する諸課題の管理、運営の視点から活動する」とされた。

     原子力利用の推進は、経済産業省とその下部機関である資源エネルギー庁が掌握している。原子力委員会など不要だ、いっそ廃止せよと思わないでもない。とはいえ、なくてよいではすまないこともある。原発推進のブレーキは、安全規制だけでは足らないのだ。軍事転用の防止はもとより、経済性を含む合理性、民主性、倫理性といったブレーキも必要だろう。そうした役割を原子力委員会は、ほとんど果たしてこなかった。だからといって、原子力委員会をただ廃止すればよいわけではない。上述のブレーキをいかに保証するか、それにはどんな組織が要るのかも、考えなくてはならない問題だろう。なんちゃって、上から目線だったな。

     

    蛇の足

     まったくの余談。『原子力委員会月報』で別の記事を見ていた時に、委員会関係名簿に目が行った。1965年1月号である。驚いたのは委員長や委員、参与らの自宅と電話番号が堂々と載っていたことだ。組織に属している場合はその住所、電話番号を記している人が多いが、それでも自宅にしている例がある。自宅と勤務先の両方というていねいな人も少なからずいた。

     いずれにしても今じゃ考えられないよね。原子力基本法の「公開の原則」に沿ったもの――なんてことはないか。

     

     

    ◉原子力規制委員会

     環境省におかれた行政委員会。経済産業省からの原子力規制機関の独立などを目的として、2012年9月19日に発足した。原子力規制庁は、その事務局。

     

    看板に偽りあり

     原子力ムラからは原発再稼働のじゃまをする「日本のリスク源」(岡本孝司東京大学大学院教授、『エネルギーレビュー』2022年1月号)などと言われている原子力規制委員会だが、とりわけ2022年9月の山中伸介委員長就任以来「規制の虜」というか、その変形(進化系?)になりかかっていると見えなくもない。原子力規制委員会が「虜」になりかかっているのは、事業者の虜だけではない。山中委員長と交代した更田豊志前委員長は22年9月21日、最後の記者会見でこう述べていた。「規制委員会の役割で一番難しいのは、規制庁の追認機関にならないことなのですよ」。

     その2022年の暮れ、さっそくの実例が起きている。原発の運転期間見直し問題について10月5日の定例委員会で資源エネルギー庁の説明を受けて初めて検討に入ったはずが、規制庁と資源エネルギー庁とで早くから法改正の具体的な検討を始めていたとの情報を内部通報者から入手した原子力資料情報室が、12月21日に緊急記者会見を開いて公表した。しかし同日の定例会見での山中委員長は、問題の重大さがわからず、呑気に記者質問に答えている。「少なくとも物事を決めていくのは原子力規制委員会そのものですので、その前段階で何か様々な検討を職員がされるということについては、私自身も承知はしておりませんし、どういう内容が検討されたのか分かりませんけれども、少なくとも何らかの準備、あるいは頭の体操をしていたというふうには想像いたします」。

     原子力規制庁は、12月27日の定例ブリーフィングで「運転期間の見直しに係る資源エネルギー庁とのやり取りに関する経緯について」説明した。7 月27 日 の第1回GX 実行会議で岸田文雄首相から原発再稼働等の政治決断が必要な項目を示すよう指示があった翌28 日には、どちらが主導したのかの説明はないものの、第1回の資源エネルギー庁との面談に入っている。9月1日には、検討のための人事異動まで原子力規制庁長官の専決で発令していた

     原子力規制委員会は12月28日の定例委員会で、ノーリターンルール(規制庁に異動した官僚が「原子力利用の推進に係る事務を所掌する行政組織」に戻ることを原則として禁止した規則。当然ながら?制定してすぐに形骸化している)に該当する省庁との面談は記録・公表するといったルール作りを原子力規制庁に指示したが小手先の対応で、本質を理解してのこととは思えないのが情けない。

     

    帰りたい帰れない

     1999年12月の原子力安全委員会JCO臨界事故調査委員会の報告書を見ると、「原子力の安全に係わる業務が開発推進と同等の重要性があることに対応して、安全の業務に携わる研究者、技術者、作業者の価値が尊重される社会でなければならない」と言っていた。つまりそういう社会じゃないということだ。だから、かつて原子力安全委員会と科学技術庁原子力安全局を統合して規制組織を独立させる案(現在の原子力規制委員会と原子力規制庁に近い)があったのに対して科学技術庁の石田寛人事務次官は、こう否定した。「仕事を安全規制の範囲に限ることになり、職員の士気が下がる」(1997年5月2日付朝日新聞)。はて、原子力安全局って「仕事を安全規制の範囲に限」ってなかったのかしら。それはともあれ、原子力規制庁職員の士気やいかに。

     原子力規制庁の職員には、経済産業省資源エネルギー庁原子力安全・保安院と原子力安全委員会事務局からほぼそっくり移ってきた。多くは「規制の虜」だった方々だ。『週刊朝日』2013年7月19日号の今西憲之+本誌取材班「東電幹部と経産省幹部が交わした原発再稼働驚愕㊙メール」で明らかにされた東電幹部のメールの一節に、こんなものがあった。「規制委のメンバー[委員でなく規制庁職員のことだろう]、ずっと事業者と二人三脚でやってきた、歴史があります。ともすれば、我々の力があって、今の地位にいる」。

     士気ばかりでなく、「我々の力」に頼れなくなりそうとあって、原子力安全・保安院の職員たちからは、「『原子力規制庁へ異動したくない』との声も少なからず聞かれ」と、2012年6月27日付の電気新聞は伝えていた。「職場内の雰囲気は『消沈している』」と。

     もちろん、規制行政に意欲を持つ職員もきっといると信じてるけどね。

     

     

    [© Baku Nishio]

     

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    連載記事

    第1回 「まえがき」「IAEA」

    第2回 「Atoms for Peace」「安全性」

    第3回 「SMR」「エネルギー基本計画」

    第4回 「核管理社会」「核セキュリティ」

    第5回 「核燃料」「核燃料サイクル」

    第6回 「核武装」「核融合」

    第7回 「規制の虜」「クリアランス」「計画被曝」

    第9回 「原子力基本法」「原子力資料情報室」

    第10回 「原子力船「むつ」放射線漏れ」

    第11回 「原子力の日」「原子力ムラ」「原子力ルネサンス」

    第12回 「原子炉」「原子炉立地審査指針」

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