◉規制の虜
規制機関が被規制側の勢力に実質的に支配されてしまうような状況。
お似合いの言葉が見つからないよ
国会に設置された「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の委員長を務めた黒川清医学博士が、その著『規制の虜』(講談社、2016年)で「歴代の原子力安全・保安院と東電との関係では、規制する立場と規制される立場の逆転現象が起きていた」ことを「規制の虜」と名付けるに至った時のことが、次のように書かれている。やや長い引用となる。
「このような状況を、どういうフレームワークで説明すればわかりやすいか、報告書の作成が佳境に入った2012年4月頃、私と宇田氏[宇田左近国会事故調調査統括]、調査統括チームの中心スタッフ、野村修也委員ら数人で議論した。『もたれ合い』『なれ合い』という言葉も浮かんだが、どうもしっくりこない。
そのうちに若いスタッフが、『これはRegulatory Capture(規制の虜)じゃないですか』と言い出したので、すぐウェブで調べてみた。
『規制の虜』とは、政府の規制機関が規制される側の勢力に取り込まれ、支配されてしまう状況を指す経済用語だ。シカゴ大学のジョージ・スティグラー博士が研究し、1982年にノーベル経済学賞を受賞した。
『規制の虜』は、政府の失敗であると定義されている。
政府は、国民を守るために必要な規制を産業界等に入れなければいけない。だが、規制機関が『規制の虜』になると、被規制産業の利益の最大化に傾注するよう、コントロールされてしまう。結果的にそれは、国民を守らなかった政府の失敗である。
ぴったりの言葉だ。何人かの日本の経済学者に電話をして確認をとると、東電と原子力安全・保安院の関係は、まさに『規制の虜』の典型例ということであった。
ただ、『規制の虜』は非常にインパクトのある言葉なので、言葉だけが独り歩きをしてしまう恐れもある。
そこで、報告書の本文では、東電が原子力安全・保安院を骨抜きにしていく過程を示した上で、『規制当局は電気事業者の「虜(とりこ)」となっていた。その結果、原子力安全についての監視・監督機能が崩壊していたと見ることができる』とし、このことは『規制の虜』によっても説明できる、と脚注をつけた(『国会事故調報告書』12ページ)」。
そうなんやー
当然ながら、以後、「規制の虜」は独り歩きを始め、原子力用語として定着した。
この言葉をめぐって、2017年10月7日に宮城県仙台市で開催された講演シンポジウム「県民が決める! 女川原発再稼働の是非」で、こんなやりとりがあった。田中三彦元国会事故調委員が「国会事故調の報告書の中に、『規制の虜』というのが書かれています。政府事故調も東京電力自身も報告書を出していますが、こんな言葉は使っていません。これは、国会事故調として非常に重要な指摘だったと僕は思っていますけども、『規制の虜』は、ただ訳語なんですよ。この訳語がいい訳語かどうかということになると、ちょっと誤解を生む訳語である」として、どういう意味かの解説をしたのに対して、半田正樹東北学院大学経済学部教授がこう補足をしている。
「これを提起した、経済学者スティグラーには、『だから、そもそも規制など撤廃して市場経済の合理性に全てを委ねたほうがいい』という後段の主張がありました。『規制の虜』というのは、そこまで含めておさえる必要があるのではないかと思います」。
ちなみにRegulatory Captureを自動翻訳にかけると「規制による捕獲」とか「規制の捕獲」「規制の獲得」「規制の掌握」とかで、なかなか「規制の虜」とは訳してくれない。ただし日本の文献では、古くから「規制の虜」とされていた。最初に訳語をそう決めたのは誰だったんだろうね。
◉クリアランス
あるレベル(クリアランスレベル)以下の濃度の放射性物質について、「放射性」としての規制を解除すること。再生利用や、産業廃棄物などとしての廃棄が可能となる。
俗に「すそ切り」と呼ぶ。ズボンのスソを足の長さに合わせて切るように、クリアランスレベルから下は切り捨ててしまうことからである。反原発派の造語と思われているが、そうではない。『原子力白書』などにも出てくるし、原子力ムラの出版物でも時折り見かける。「俗に」とはいえ、とりわけ化学物質の安全対策では立派なお役所用語である。
へんてこへんてこ
あるレベルは、放射線審議会基本部会(1987年12月)で、年間10マイクロシーベルトとされた。そこで、核種ごとに年間10マイクロシーベルトの被曝をもたらしうるクリアランスレベルが1グラム当たりのベクレル数として定められている。核種ごとの値を決めるには、たとえば鉄材がフライパンに再生利用される場合を考えるには、フライパンの面積や鉄の腐食速度、フライパンを使用した年間調理時間などのデータを集め、それぞれの核種についてどれくらいの放射能濃度ならレベル以下になるかを計算する。飲料の缶に使われる場合なら、飲料中の鉄の濃度や飲料の年間摂取量など、ベッドへの利用なら、上に寝る人間との距離、ベッドの年間使用時間など、埋設地が農地として利用されるケースでは、農耕作業時間、農作物の摂取量……といったぐあいである。
クリアランスの値がどう決められたのか、トリチウムについてみてみよう。以下、1グラム当たり何ベクレルという表記は略し、数値のみ記載する。
国際原子力機関(IAEA)が1996年1月に出した技術文書「TECDOC‐855」では、文献により1,000~10,000と幅があるとしたうえで、単一代表値を3,000とした。それを受けて日本では原子力安全委員会の放射性廃棄物安全基準専門部会が「日本における日常生活の態様、社会環境等を基に」独自に検討し、1999年3月、200と決定した。その過程では1998年4月の第24回部会で埋設処分地の井戸水を飲むことで71という数字が出てきたが、再検討の結果、11月の第26回部会では290に変わったりもした。他方、再検討前で最大だった「埋設地で収穫された農作物の摂取による被曝」が220から170に変わり、これをもとに200と決定されたのである。実は「TECDOC‐855」でも農作物の摂取による被曝が170と計算されたが保守的過ぎる経路として除外され、3,000になったという。
2004年8月になると、IAEAの安全指針「RS‐G‐1.7」が出て、いきなり100となった。それまでは成人を対象にしていた基準づくりに1~2歳児も対象とされたからだ。原子力安全委員会の放射性廃棄物安全基準専門部会でも1~2歳児を対象に再評価し、同年12月9日、60に変更された(やはり埋設地で収穫された農作物の摂取による被曝)。
ところがどっこい、「日本における日常生活の態様、社会環境等を基に独自に検討」はどこへやら、有意の差はないことと国際的整合性を理由にIAEA安全基準を適用することは適切と結論。4日後の総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会廃棄物安全小委員会でIAEA安全基準の100とすることが決定される。
値が二転三転したのはトリチウムそのものの危険性の評価が大きな理由ではないかもね。それでも、仮に海洋投棄されたりすれば、どんな経路でどれだけの影響を与えるか、わからないとしか言えないことは確かだろう。クリアランスレベルを決めるために考えられた多数のシナリオに、もちろんトリチウム汚染水の海洋投棄はなかった。
DA.YO.NE
再生利用については、原発の廃炉から出た金属廃棄物の一部が、原発PR館のイスやテーブルの脚などに利用されたりしている。電気事業連合会は「クリアランス制度が社会に定着するまでの間、電力会社では、電力関連施設で再利用し、資源として有効に再利用しています」(電気事業連合会HP)としているが、第6次エネルギー基本計画では「廃止措置の円滑化や資源の有効活用の観点から、更なる再利用先の拡大を推進するとともに、今後のフリーリリースを見据え、クリアランス制度の社会定着に向けた取組を進める」ことを打ち出した。福井県は、「デコミッショニングビジネスの育成」をうたう「嶺南Eコースト計画」を2020年3月に策定。以降、クリアランスへの理解促進のためとして、県内の大学や高校などに次々と東海原発の廃止措置で発生した金属廃棄物の再生利用ベンチを設置している。
とはいえ、それで社会への定着が進むはずもない。フリーリリースができるよう、「定着した」と政府が強引に宣言したところで、同じことだ。「ストロンチウム-90入りの安眠ベッドがクリアランスセールでお安くなっています」と言われてもね。
『エネルギーフォーラム』2022年8月号が「廃炉時代への備えは万全か」を特集していた。そのなかで廃炉廃棄物の後始末の課題をめぐる座談会があり、紺谷修鹿島建設原子力部技師長は「サイト外では受け取ってもらいにくい」と言う。「結局、電力会社がサイト内の工事や将来のリプレースなどに使う以外に利用法がない」って、そりゃそうだよ。
再生利用が引き起こした悲劇としては台湾の「被曝マンション」が佐藤幸男監修/佐藤ニナ・松浦千秋著『総被曝者の時代―危ない金属リサイクル-』(海鳴社、1996年)に詳しい。
◉計画被曝
あらかじめ計画された被曝。
国際放射線防護委員会(ICRP)では放射線被曝の状況を計画被曝状況、既存の被曝状況、緊急被曝状況に分類している。計画被曝状況とは、放射線防護を事前に計画でき、被曝を合理的に予測できる状況とされ、線量の設定された一定期間の作業での労働者被曝や原子力施設などの近くの住民が平常時に受ける被曝、X 線、CT スキャン、放射線治療等の医療被曝を言う。既存の被曝状況は、宇宙放射線にさらされる航空機乗務員や宇宙飛行士の被曝など。緊急被曝状況は、事故時の労働者や住民の被曝。いずれも自然放射線による被曝は含まない。
覚悟の上と人の言う
1999年9月30日に茨城県東海村のウラン加工施設JCOで起きた臨界事故では、多くの人が被曝した。にもかかわらず当初の事故調査報告書では「被曝者は69人」とされていた。事故によって計画外の被曝をした人(正確には、被曝が確認された人)のみを「被曝者」と呼んだからである。臨界を止めるために水抜きの作業などを行なった24人の労働者は、「被曝者」の大多数より大きな被曝をしていても、数にふくめられず、その人たちの被曝は、「計画被曝」と名づけられていた。
1999年11月10日の衆議院科学技術委員会で、当時の佐藤一男原子力安全委員長は「計画に従ってその計画被ばく限度以内の被曝をした場合、これを計画被曝と呼んでおります。[中略]異常な事態を収束するためにそこへ行ってというのは、この計画被曝限度の範囲内で、これは言うなれば覚悟の上で、知っていて被曝するということでございます」と答弁をしている。事故が起こると、その対策のためにたくさんの労働者が「計画被曝」をすることになるわけだ。
ただしこの「計画被曝」という言葉はよほど評判が悪かったとみえて、最終報告書では計画外の被曝者との区別はなくなった。当然っすよね。被曝者の数は最終的に666人に増えたが、これは350メートル圏内の住民や、さまざまな仕事にあたった自治体関係者などもふくまれることになったからだ。
事故が起こらなくても、原発や関連施設では、数多くの労働者が「計画被曝」をしている。電力会社があらかじめ設定した計画を超えた被曝があったときのみ、被曝事故として発表されるのだ。その計画被曝の95%以上は電力会社の社員でない人々が引き受けている。原子力委員会の新長期計画策定会議に委員として参加していた電力総連の笹岡好和会長が2004年8月11日の会合に寄せた発言メモでは、計画線量について「労使協議により国の基準を大きく下回るものとしております」と自慢しているが、もとより社員外の被曝低減は労使協議の対象となっていない。
[© Baku Nishio]
※アプリ「編集室 水平線」をインストールすると、更新情報をプッシュ通知で受けとることができます。
https://suiheisen2017.jp/appli/