◉チェルノブイリ原発事故
ウクライナ(当時はソビエト連邦ウクライナ共和国)のチェルノブイリ(ウクライナ読みではチェルノービリ)原発4号機(黒鉛減速軽水冷却炉)で1986年4月26日に起きた事故。原子炉の核反応がコントロールできなくなる暴走事故(反応度事故)である。
よせばいいのに
スリーマイル島原発事故後の1979年7月27日、日本原子力産業会議の視察団がチェルノブイリ原発と同型の先行炉であるレニングラード原発を訪問した。その際のエピソードが『ソ連原子力事情視察報告』に載っている。有沢会長とは、有澤廣巳日本原子力産業会議会長、白沢原電会長とは白澤富一郎日本原子力発電会長である。
「見学終了後の昼食会の席上、有沢会長からレニングラード発電所と東海発電所が姉妹発電所となってはどうかとの提案がなされ、白沢原電会長とルコニンレニングラード発電所長から賛意が表明された」。
チェルノブイリ原発事故の後にソ連の原発はめちゃくちゃのように言い出す日本の原子力・電力業界が、スリーマイル島原発事故の後では違った見方をしていたことがよくわかるでしょ。
それどころか、皮肉なことにタイミング悪くチェルノブイリ事故の直後に刊行されることとなった『経営コンサルタント』1986年6月号では電気事業連合会の安倍浩平専務理事が「ソ連を見習え」と言わんばかりの発言をしていた。曰く「反対派の人が参考人として国会にも出ていますが、意見を聞いている限りでは少し一方にかたよっていますね。たとえば、外国を見て来たと言っても、アメリカだけを見てソ連には行っていないのです」。
間が悪いって、このことさね。かわいそうに。
ムラ衆の敵
ベストセラー『危険な話』(八月書館、1987年)などの著者として知られる広瀬隆は、日本各地で精力的に講演し、放射能災害の恐ろしさをわかりやすく訴えた。そこから「ヒロセタカシ現象」という言葉も生まれ、原子力ムラからの反発はことのほか強く、多くの批判・非難が広瀬に集中した。
原発反対の世論の高まりに対する電力会社などの危機意識は、彼らの内部文書によく見て取れる。内部文書として、東京電力原子力業務部と関西電力(部署名なし、というより関西電力の名前も明記せず)がそれぞれ1988年4月に作成したもの、科学技術庁(現・文部科学省)原子力局原子力調査室が89年6月に作成したものが、原発反対の運動によって入手されている。原子力調査室はそのころ、原子力委員会の事務局を担っていた。
東京・関西両電力の文書は、1987年10月から88年2月にかけての出力調整試験反対行動(ここでも広瀬は、中心人物の一人だった)と88年4月23日、24日の「原発とめよう1万人行動(当日「2万人行動」に修正)」の間につくられている。「最近の反原発運動の特徴」として東京電力があげるのは、次の3点だ。①広瀬隆を中心とする感覚的な反対運動と今日的メディアの活用②婦人を中心とする草の根的反原発運動拡大のおそれ③自然食グループ・消費者グループと既成の反原発団体との結びつき。
「婦人」ってのがいかにも昭和? まあ、どうでもいい。「おそれ」が特徴というあたりに危機意識の強さが出ているとも言えそうだ。関西電力では、同様の特徴を従来と現在の対比にまとめている。この対比はきっと原子力ムラの中で好評だったのだろう。1年後の科学技術庁の内部文書で、ほぼ丸写しにされている(さすがお役所、「活動家(プロ)中心」とか「背後から煽動」とかのえげつない表現はこっそり外してた)。
いずれにせよ原子力ムラでは、そうした情報交換が日常的に行なわれていた。いや、行なわれている。動力炉・核燃料開発事業団職員有志の会の会誌『未萌』の第7号(1988年6月刊)に「反原発運動関連資料」と題した資料集があり、「原子力広報の概念図」という見取り図が載っていた。電気事業連合会を中心に、資源エネルギー庁、科学技術庁、日本原子力文化振興財団、日本原子力産業会議、自治体等、それに「外部アドヴァイザリースタッフ」も加わって「原子力広報推進組織」がつくられていたことが明示されている。
詳しくは海渡雄一編『反原発へのいやがらせ全記録―原子力ムラの品性を嗤う』(明石書店、2014年)所収の拙稿「反原発へのいやがらせ 歴史と背景を分析する」のご一読を。そうそう、原子力ムラの危機意識の現われの一つが、わけのわからぬものを送りつけたり、ニセの情報を流したりの嫌がらせだったんだ。
筆者も被害を受けている。代金引き換えで金塊が届いているという郵便局からの通知もあった。「誰それと不倫をしている」といった誹謗中傷の文書もあった。「20年前の全共闘時代の興奮を覚えておられる皆様の協力と連帯を」といったニセの年賀状も西尾の名で出された。不快だから忘れようとしてたのに、また思い出しちゃった。
◉チェレンコフ効果
難しいので「原子力百科事 ATOMICA」に説明してもらう。「高エネルギーの荷電粒子が水などの透明な物質を通過する際に、その粒子の電磁場によって物質中の原子・分子が分極して励起状態となり、その後元の安定状態に戻る際に青白い可視光線を放出する現象をいう。この光をチェレンコフ放射光又は単にチェレンコフ光と呼ぶ。1934年に旧ソ連のチェレンコフが発見したのでこのように命名された」。
本棚からひとつまみ
やっぱ、むずいわ。大丈夫そ?
それでも1987年に岐阜県神岡町の素粒子物理学実験装置カミオカンデが大マゼラン星雲で起きた超新星爆発で生じたニュートリノをチェレンコフ光で観測したこと、1999年のJCO臨界事故でチェレンコフ効果と思われる青白い光が見られたということが、それぞれ一般の人に知られる契機となったらしい。
カミオカンデのニュースを読んで衝撃を受け、池澤夏樹は中編小説『スティル・ライフ』を『中央公論』1987年10月号に発表した。タイトルにチェレンコフが使われている小説に、一條次郎『チェレンコフの眠り』(新潮社、2022年)がある。「チェレンコフ」はマフィアのボスの名前で、チェレンコフ光は出てこない。福島原発事故も出てこないが、事故後の小説であることは間違いないだろう。小山紗都子の長編『チェレンコフブルーの月』(セルバ出版、2014年)では、JCO臨界事故をモデルにした薬品工場の事故が扱われている。
高山正之著『チェレンコフの業火』(文藝春秋、1993年)という長編小説もある。天然原子炉(別項参照)が登場するのがユニークだ。
◉中間貯蔵
使用済み燃料の中間貯蔵と、福島原発事故の除去土壌などの中間貯蔵がある。前者は再処理工場に、後者は最終処分場に運ばれるまでの中間貯蔵とされる。
間尺に合わない
福井新聞は「苦肉の策」、毎日放送は「ウルトラC」、毎日新聞と産経新聞は仲良く「奇策」と見出しを付けた。エネルギーフォーラムまでが「裏技」と呼ぶ。『選択』では「詐術」だ。福井県会全員協議会では「詭弁」「強弁」といった言葉が飛び交い、自民党福井県議会会長は「覚悟を持った回答で出直しを」と求めた。
関西電力の森社長が2023年6月12日、杉本福井県知事に、高浜原発で保管中の使用済み燃料の一部をフランスに搬出する計画を示し、「福井県外に搬出されるという意味で、中間貯蔵と同等の意義がある」と強弁、「この搬出の決定によって、『2023年末を最終の期限として取り組む』としていた福井県外における中間貯蔵の計画地点の確定は達成され、2021年2月に福井県知事にご報告した約束は、ひとまず果たされた」と勝手に結論付けたこと、それを西村経済産業大臣が追認したことへの驚きと反発、批判である。
そもそも問題は大きく2つある。終わっていたはずの海外への再処理委託の再開、しかも使用済みMOX燃料の再処理という問題、それと福井県との約束違反という問題だ。
前者は5月19 日、電気事業連合会から「使用済MOX燃料の再処理実証研究について」として発表されている。6月12日に使用済燃料再処理機構の運営委員会で了承され、正式決定となった。「実証研究」と称する使用済 MOX燃料再処理技術の知見獲得を電力会社が日本原燃と日本原子力研究開発機構に委託、さらに仏オラノ社に再委託する。実際の再処理等は再処理機構がオラノ社に委託するというややこしい仕組み。仏への使用済み燃料の輸送、再処理、回収プルトニウムのMOX燃料加工と日本への輸送、回収ウランや放射性廃棄物の保管と日本への輸送と、危険の国際的ばらまきだ。
関西電力の計画は「約200トンの使用済み燃料を2020年代後半に仏国に搬出するという役割」(うち使用済み MOX 燃料は約10トン)と、あたかも受け身のようだが、6年前に県に約束しながらずるずると引き延ばしてきた中間貯蔵計画地点の確定が「できるまでの間、美浜3号機、高浜1・2号機の運転は実施しない」と後がなくなっていたことからの「裏技」だというのは確かだろう。それにしても、2000トン規模の中間貯蔵と1ケタ小さい200トンで後の計画なしの海外搬出が「同等」とは、詭弁としても成立しない。
経済産業省は使用済み MOX燃料も再処理できると宣伝したいようだが、オラノにも商業規模の実績はない。その後の高レベル廃液のガラス固化やMOX燃料製造は実績ゼロ。できるふりを続ける一時しのぎは、約束を守ったふりが見透かされている後を追うしかないっしょ。
直後とすら言える8月2日、山口県上関町の上関原発計画地に使用済み燃料中間貯蔵施設の建設が可能か調査をさせてほしいと中国電力が町に申し入れた。但し、「検討にあたっては、施設規模や経済性等を勘案する中で、当社単独での建設・運営は難しいと判断し、当社と同様に中間貯蔵施設のニーズがある関西電力株式会社との共同開発を前提に、今後、調査・検討を進めていくこととしています」という。
関西電力にとっては願ってもない話。こちらこそ約束を果たしたと胸を張っておかしくないはなしだが、なぜか関西電力は静観の構え。森望[のぞむ]社長は「『(福井県への)約束に関連して(上関町での計画に)言及する段階ではまったくない』と述べている」(10月5日付産経新聞)とか。それこそ何か奇策が隠れているのかしらん。単に中国電力が主体の計画とするほうが受けがいいと考えているだけだと見え見えもいいとこだよね。
!!!!!
10月10日、この原稿を書き上げてほっとしたところに、今度は「発電所構内に乾式貯蔵施設の設置を検討」という話が飛び込んできた。資源エネルギー庁の山田仁・資源エネルギー政策統括調整官と関西電力の水田仁副社長(原子力事業本部長)が、関西電力の「使用済燃料対策ロードマップ」を持って福井県庁を訪れ、中村保博副知事に説明したという。締め切りがきちゃった。大急ぎで追記しよう。
水田副社長は「中間貯蔵施設の県外地点を確保し、2030年ごろに操業開始するとした県との約束を履行する」と改めて強調、そこに搬出するまでの間、円滑に搬出できるよう一時的に貯蔵する施設だとおっしゃるが、およそ信用できないことはこれまでの経緯からも自明だろう。ああそれなのにそれなのに杉本達治知事は「一歩前進」と一定評価したのだとか。
徒疎かに「県外」と釘を刺してきたのではあるまいに、実際問題どうなのよ。わけわかめ。
すじの通らぬことばかり
2022年3月末、福島県大熊町と双葉町(福島第一原発の立地町)にまたがる中間貯蔵施設への汚染土の搬入がおおむね完了した。「中間貯蔵開始後三十年以内に[すなわち2045年までに]、福島県外で最終処分を完了するために必要な措置を講ずるものとする」と中間貯蔵・環境安全事業株式会社法に明記されている。
「県は『県外搬出の約束は守られるべきだ』と主張することができます」という笠井哲也記者の問いに、信州大学の茅野恒秀准教授はこう答えた。「法律が間違っているとは言えず、県知事も自治体の首長も、45年に搬出されるとは思えなくてもポジション・トークをせざるを得ない。本音が言いにくい状況になっています」(朝日新聞デジタル、2022年4月8日)。
施設に提供した土地は約束通り返還されるのか。返還されたとして、故郷の面影を一新させた土地で暮らせるのか。なにからなにまで真っ暗闇よ。
「国は汚染土の全量最終処分は難しいとして、放射線量が1キロあたり8千ベクレル以下の汚染土を再生利用する方針です」「再生利用に法的根拠はない。県知事らが『法律に明記されているから中間貯蔵施設の汚染土は県外に搬出される』と言うなら、再生利用も議論をつくして法律にするのが筋です」という問答につながる。
奇ッ怪至極。
「政府は、再生利用する土壌は『貴重な資源』だといいます」と笠井記者。へえ、使用済み燃料の中間貯蔵で「リサイクル資源」と強弁するのといっしょじゃん。
◉中性子源
核反応により中性子を発生する物質または装置。
「始まり」を探る
原子力発電の開始時には、原子炉の中に中性子源をセットする。原子炉自体も中性子源であるなんて、めんどなりくつは脇に置いとこう。
2002年11月21日付電気新聞の記者コラム「焦点」に、こんな話が載っていた。
「1970年代、原子力開発が全盛期のころをふと思い出した。[全盛期は遠い思い出ってことね]土光敏夫経団連会長ら当時の財界首脳が発電所の視察に訪れたときのエピソードである。所内を見学し担当者の説明を一通り聞き終えた土光さんは『ところで原子力発電所のマッチはどこにあるのかね』と聞いた。火種を知らなかった」。
知らなかったのは土光さんだけじゃないよ。「担当者は意外な質問に面食らって答えに窮したそうだ。この話を聞いて電力会社や原子力研究機関に早速取材を試みたが、マッチに相当する中性子源を確認できるまでに相当の日時を要した記憶がある。原子力の世界に限らず、専門家でも知っているようで知らない話は多い」。
使用後はどうするのか東京電力に尋ねたら「その後の定期検査時等にて、取り外し、使用済燃料プールで保管しております」と回答を得た。でも、2006年7月には福島第一1号機で中性子源20戸のうち10個が使用済燃料プールでなく放射性固体廃棄物の保管プール(サイトバンカ)に入れられていたことが判明したりしてるけどね。
[© Baku Nishio]
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