◉プルサーマル
軽水炉でプルトニウムを燃やすこと。ウランとの混合酸化物(MOX)を燃料とする。
重き馬荷に上荷打つ
プルサーマルは和製英語だという。では英語ではどう言うのか。Googleでプルサーマル・英語と検索して出てきた言葉で再検索をしても、日本のお役所で使ってる例はあれど海外での使用例が出てこない。あら、不思議。管見の限りでは、国際原子力機関(IAEA)が使っている「Plutonium Utilization in Thermal Power Reactors」が正解のようだ。日本のお役所がなぜ違う言い方にしているのかはわかりませーん。
さて、プルサーマルなんてことをなぜするのか。原子力ムラのトップスター氏に説いてもらうのがいいみたいだ。「プルサーマルは、もともと経済性が悪く、もんじゅの遅れによるプルトニウム蓄積を補填するために、進めているだけです。サイクルが回りませんので、再処理施設の意味も、廃棄物処理施設の意味が強くなります」(岡本孝司東京大学大学院原子力専攻教授――『エネルギーレビュー』16年11月号)。日本語に関しては、トップスターにほど遠いようだ。「プルトニウム蓄積を補填」ってなんじゃらほい。
つまるところプルトニウムって減ってくれた方がいい代物なのね。『日本原子力学会誌』2002年3月号では豊田正敏元東京電力副社長・元日本原燃社長が嘯く。「現状では、再処理し回収されるプルトニウムは燃やさざるを得ない。 プルサーマルが計画通り進まないと、再処理ができなくなり、使用済燃料の貯蔵も地元関係で難しいとなれば、大部分の原子力発電所が停止に追い込まれ、大停電となり、国民生活および日本経済に壊滅的打撃を与えることとなる」。まあ! たいへん。
榎本聰明東京電力顧問は『エネルギーフォーラム』2010年6月号で、「振り返ってみて、使用済み燃料の再処理ほど多くの人を巻き込み、百家争鳴の状態を引き起こした事業はない」と嘆息してた。「六ヶ所再処理工場の建設費が上昇し、立地地域との煩雑な折衝が現実化するに従い、再処理はもちろん、FBR[高速増殖炉]の開発計画の凍結を訴える声が、国、電気事業者、マスコミなどの一部から聞かれるようになった。もちろん、そうすれば、再処理によって出てくるプルトニウムの処分という重荷からも逃れられる」。プルトニウムは利用するもんじゃなくって処分するもの、そんな重荷なんですぅ。
なお、「なぜするのか」については、こんな吐露をする人も。『エネルギーフォーラム』1995年9月号所載の座談会で「A=中央紙論説委員」氏。「1974年8月にアメリカの上院・下院合同の原子力委員会でリーという女性の原子力委員長[Dexy Lee Rey]が証言をしている。1982年までに日本に完成する28基の原子力発電所のうち8基には濃縮ウランの代わりにプルトニウムを使ってもらう、という証言をしている。
なぜかというと、アメリカ原子力委員会の燃料用濃縮ウランの提供が需要に応じきれないからで、そのころ日本の2、3の電力会社は濃縮ウランの代わりにプルトニウムを使います、という文書にサインをさせられている」。
すまん、確認はとれてない。というか、ちと怪しいな。
戦々慄々
閑話休題。日本でプルサーマルを実施する前に、「MOX燃料の少数体実証計画」が行われている。沸騰水型炉では敦賀原発1号炉で1986年6月から90年2月まで、全燃料集合体数の154分の1にあたる2体で、加圧水型炉では美浜原発1号炉で1988年3月から91年12月まで30分の1の4体で。
美浜原発用MOX燃料集合体4体の全燃料棒数は21、659本。うちMOX燃料棒は358本で、4本だけ動力炉・核燃料開発事業団(現・日本原子力研究開発機構)のプルトニウム燃料第一開発室で1973年度に製造され、アメリカに送られた。
米ウエスチングハウス社の核燃料施設で製作されたMOX燃料集合体4体は、1978年12月、神戸港に到着して美浜原発に運び込まれた。その道中のこと、ペンシルベニア州ピッツバーグの施設から積み出し港のニューオーリンズ港に向け走行中のトラックが11月28日、ショットガンで銃撃されることがあった。弾丸はフロントガラスにあたったが、防弾ガラスだったためはじき飛ばされたそうな。続報はなく銃撃の意図は不明で、ミステリーのどんでん返しはない。
それとは無関係やろうけど、燃やすこと自体が怖かったんかな。試験を始める前も、でき上がった燃料は長く置きっ放しで、なかなか手を付けなかったっけ。1984年11月20日付電気新聞で、当時の小林庄一郎社長は「もしもということで踏み切りかねている」と本音を漏らしてた。
使用後のMOX燃料は、どうなったか。敦賀のものは1991年に動力炉・核燃料開発事業団大洗研究所が照射後試験施設に研究目的で少量を搬入したというが、再処理されることもなく保管が続けられている。ほかも、それぞれの原発の使用済燃料ピットで、ひたすら貯蔵、管理が続けられている。
◉フールプルーフ
操作者が誤操作をしても事故が起こらないような設計。似た言葉に「フェイルセーフ」があるが、トラブルが生じても安全が守られるような設計ということで、トラブルが生じることを前提としているところが「フールプルーフ」と違う。
間違えたって大丈夫!
「フール」は差別語だから「エラープルーフ」と呼び変えられているそうだが、知らん。英語でも日本語でも現場ではあまり使われちゃいないみたいだ。日本の工場用語としては「ポカヨケ」がある。ポカとは、囲碁将棋の世界で「考えもよらない悪手を打つこと」を意味する言葉ね。
「ポカヨケ」は、「マンガ」や「カイゼン」のように海外でも通じる日本語だそうなので、試しにググってみたら、ちゃんとPoka Yokeとあった。「ポカヨケとは、1960年代にトヨタ生産方式の一環として新郷重雄によって作られた日本語で、『ミス防止』または『うっかりミス防止』を意味する。その目的は、発生したヒューマンエラーを防止、修正、または注意を喚起することによって、製品の欠陥をなくすことである。欠陥があるのはプロセスであり、作業者ではないという原則に基づいている。責任のなすりあいをなくすのに役立つ」(Bhavya Mangla 「Error Proofing / Poka Yoke / Fool Proofing / Mistake Proofing」Medium Aug 11、 2019)。
翻訳はDeepLを使った。「世界一高度な翻訳ツール」は優秀だな。固有名詞まで正確に訳せるんだと思ってよく見たら「重夫」が「重雄」に化けていたのはポカというよりご愛敬か。
◉プール落下
核燃料が使用済み燃料プールへ落下すること。
落ちる
2004年10月18日、柏崎刈羽原発5号機で使用済み燃料プールに燃料貯蔵ラックの増量工事をしていた作業員が落下、まわりにいた作業員たちがすぐ浮輪を使って引き揚げた。
1996年6月に旧ソ連の閉鎖都市クラスノヤルスク-26の使用済み燃料プールを見学した原子力資料情報室の高木仁三郎代表は、『原子力資料情報室通信』7月号で、こう書いていた。「使用済み燃料のキャスクを貨車で運び入れてクレーンでプールに降ろす操作区域のまわりには簡単な手すりがあったが、なんとそこに救命用の浮輪が1つかけてあったのには、思わず『うーん』と言葉を失してしまった。誰かが落ちたら、浮輪で助けようというのだろうか」。
そうなんです。実は日本の原発や再処理工場の使用済み燃料プールにも浮輪があり、きわめて実用的なものなんでーす。
柏崎刈羽原発5号機の例が初めてでもない。1年前の03年9月5日には青森県に建設中の六ヶ所再処理工場で、使用済み燃料を貯蔵プールに移送する水路に作業員が転落して、浮輪とロープを使い約10分がかりで引き揚げたこともある。
原子力安全研究協会が2007年3月にまとめた「緊急被曝医療搬送の手引き」でも、使用済み燃料プールへの転落の際は、備え付けの浮輪を投げ込んで水没を防ぐと書かれてた。救出後は「溺水による低酸素血症がないかどうか判断する。その後、二次汚染、被曝軽減のため、早急に被災者の脱衣および除染をする(乾くと汚染物質が飛散しやすくなるので濡れているうちに脱衣させる)」そうだ。「外部被曝の程度に関しては、傷病者が水中のどれくらいの深さまで沈んだか、つまりどれくらい燃料に近づいたかが重要になるので詳細に聴取する」とか。
汚染水の吸飲による「内部被曝があるため、三次被曝医療機関への転送治療が妥当」であるぞ。
◉文献調査
高レベル放射性廃棄物の処分場選定の入り口にあたる調査。処分実施主体である原子力発電環境整備機構(NUMO)のパンフレット『地層処分に関する文献調査について』によれば、「地層処分事業に関心を示していただけた地域に、事業をさらに深く知っていただくとともに、更なる調査(概要調査)を実施するかどうかを検討していただくための材料を集める、事前調査的な位置付け」とされる。
でもねそれって嘘でしょ?
調査といっても、NUMOパンフレットが言うように「地質図や学術論文などの文献・データをもとにした机上調査」だ。調査を受け入れた市町村のどこかの机の上で、そこでしか入手できない文献を調査するのかと思ってしまうが、「評価に用いる主要な文献・データ」のリストを見れば、東京の本部の机上にあると知れる。じゃあ、受け入れ現地では何をするのか。パンフレットには、こう書かれている。「文献調査の実施地域に拠点を設置し、『対話の場』などを通じて、地域と継続的な対話を進め、地層処分事業に関する広報、文献調査の進捗説明、地域の発展ビジョンの具体化など、核となる機能を果たしていきます」と。おかしくね?
経済産業省資源エネルギー庁のホームページや自治体の質問への回答文書では、「いわば対話活動の一環です」とされている。「『文献調査』を通じて、市町村内で、この事業やこの事業が地域にあたえる影響などについて、議論を深めていく。その結果、仮に、次のステップである現地での「概要調査(ボーリング調査)」に進もうとする場合には、法律に基づき、地元の意見を聴く場が設けられます」というのだ。つまり「調査」とは名ばかりで、実のところは処分地選定の次の段階である「概要調査」に進ませるための地元への働きかけが「文献調査」の正体だね。その後は「精密調査」に続き、「最終処分場」が決められるという仕組みである。先に進めば進むほど、いよいよ引き返すのが難しくなることは言うまでもない。
棚からぼた餅
「文献調査」を受け入れるのは、市町村とされている。都道府県は、「概要調査」に進もうとする際に意見を表明できるけど、「文献調査」には法令上の関与はできない。市町村が自ら応募する場合と、国からの申し入れを市町村が受諾する場合があり、2002年12月の公募開始以来初めて北海道寿都(すっつ)町と神恵内(かもえない)村が20年10月に「文献調査」実施を受け入れた。寿都町は自ら応募、神恵内村は国の申し入れを受諾する形だった。
「文献調査地区」には、1年あたり10億円が、調査期間を2年間として20億円を限度に「電源立地地域対策交付金」が交付される。「ボーリングなどの現地作業は行いません」と、NUMOのパンフレットは明言している。環境に与える影響はゼロなのだから、何のための交付金か。よくわからない交付金だから、寿都町の片岡春雄町長のように、ユニークな受け取り方もできてしまう。「議論をテーブルに載せ、二番手、三番手が手を挙げやすくなる。お礼が20億、いいじゃない」(2020年8月24日付『福島民報』)。
さてそれでは「文献調査」だけで抜けられるか。肝心の「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」は、第4条の5ではっきりと答を出している。「経済産業大臣は、第二項第三号に掲げる概要調査地区等の所在地を定めようとするときは、当該概要調査地区等の所在地を管轄する都道府県知事及び市町村長の意見を聴き、これを十分に尊重してしなければならない」。
これを国会での政府答弁に翻訳すれば、2000年5月10日の衆議院商工委員会で当時の河野博文資源エネルギー庁長官がこう答えている。「私どもといたしましては、こういった処分方針あるいは処分計画に即しまして、またそれまでに行われた調査に即しまして、地元の御理解と御協力を得るべく最大限努力をさせていただくつもりでございます。しかし、それでもなお、地元の御意見をいただくということでございますから、さまざまな御意見があれば、これを極めて重く受けとめて、国が決定するということでございます」。
むろん国が強引に、都道府県知事及び市町村長の意見に反して決定することはできゃしない。でも、都道府県知事や市町村長の意見を変えてもらうことはできるというこったろう。片岡町長の言う二番手、三番手が続くなら、「ほら、抜けられるでしょ」と宣伝するために、抜けさせてくれるかもしれん。とはいえ、必ず抜けられるほど甘くはない。
もともとの資源エネルギー庁・NUMOの皮算用では、文献調査地区は5ヵ所程度、概要調査地区は2ヵ所、精密調査地区は1ヵ所とされていた。すなわち抜けさせていい数と何が何でも逃がしてはならない数は、あらかじめ決まっているんだナ。
逃げるが勝ち
2024年5月10日、佐賀県玄海町の脇山伸太郎町長が文献調査の受け入れを表明した。1日に国から実施申入れがあり、それに応えたものだ。前回国が申し入れた神恵内村は経済産業省が作成した「科学的特性マップ」で火山・火成活動による「好ましくない特性があると推定される地域」が大半で、鉱物資源に関する「好ましくない特性があると推定される地域」もある。玄海町はほぼ全域が鉱物資源に関する「好ましくない特性があると推定される地域」だ。全国には1700余を数える市町村がある。「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い地域」で「輸送面でも好ましい地域」も多々あると「マップ」は示している。好ましいなんてこたあないけどさ。
ともかく、よりによって自身がつくった基準で好ましくないとされるようなところにしか申し入れできていないのさ。神恵内村長に経産相名の申し入れ文書を手交した資源エネルギー庁の幹部は「村議会で請願が採択されるなど、一定の理解活動が広がっており、申し入れのタイミングだと思った」と報道陣に語っていた。けっきょく受け入れてくれるところが「適地」なのね。とは言い条、処分場の「適地」じゃないな。それは後回しで「文献調査の適地」か。まさしく文献調査の正体見たりさね。
受け入れ表明後の記者会見で、町長は、「文献調査で適地と結果が出たら、最終処分地を受け入れる考えは」との問いには「受け入れしませんよとこの場で言える話でもない」。「現時点で最終処分場を受け入れる考えは」と再度訊かれても「受け入れないとここで言うのはなかなか難しい」。5月11日付朝日新聞は「処分場設置には否定的」と小見出しをつけていた。
はて面妖な。処分地は受け入れるつもりはさらさらないのに文献調査は受け入れますって、おかしいっしょ。憚りながら、そうすることを経産省が奨めているのさ。経産相名の申し入れ文書いわく「文献調査は処分地選定に直結するものではなく、議論を深めていただくためのもの」「文献調査だけを実施する場合でも今後の理解活動の促進や技術的ノウハウ蓄積の観点から非常に意義がある」。国にとっても、それでいいということだよね。要は処分事業が進んでいるふりさえできればいいらしい。いつまでそんなことを続けるんだろう。
[© Baku Nishio]
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