◉輸入技術
日本の原子力開発は、技術・設備と燃料を米国から輸入する形で始まった。国会事故調(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)報告書は、「原発に関する日本の自主的な技術がほとんど皆無な中でGE社製品を丸ごと輸入したことが、その後改修を重ねたとはいえ、さまざまな形で本事故直前の耐震脆弱性として尾を引いた可能性がある」と指摘している。
継ぎ接ぎだらけのレプリカ
2011年6月11日、朝日新聞に「『地下に非常電源』米設計裏目に」と見出しの付いた山岸一生記者の記事が載った。アメリカでは「風速100メートルに達する暴風が原発に襲いかかる。周辺の大木が根こそぎ吹き飛ばされ、ミサイルのように建屋の壁を突き破り、非常用電源を破壊する」。そんなハリケーンから守るために、非常電源は地下に設置された。その設計がそのまま福島第一原発に採用されたことが事故拡大につながったんだって。そして、「東芝や日立など国産メーカーの役割が増した2号機以降の設計も、ほぼ1号機を踏襲。津波など日米の自然災害の違いをふまえて見直す余裕はなかった。旧通産省の元幹部は『米側の仕様書通りに造らないと安全を保証しないと言われ、言われるままに造った』と振り返る」。
2012年8月3日付福島民報では、東京電力元常務で福島第一原発所長も務めた二見常夫東京工業大学特任教授の述懐を載せてた。「主契約者が変わっても、基本設計はGE製を手本にしている。建設当時、津波など日米の自然災害の差は、機器の配置にまでは考慮されなかったとみられる。米国式を踏襲した結果、1~4号機の非常用ディーゼル発電機の多くが、原子炉建屋より海側に位置するタービン建屋の地下1階に置かれた。非常用発電機の電力を各機器などに分ける電源盤も同じく地下にあった。これらの機器は、東日本大震災の大津波で水没し、1~4号機は原子炉を冷却するために必要な全電源を失うという致命傷を負った」。
日本の原子力開発はアメリカのデッド・コピーだとする実話を「ある評論家」が披露していたと、田原総一朗のドキュメンタリー小説『原子力戦争』(筑摩書房、1976年)に出てくる。「あえて名前は出しませんが、ある発電所の設計図でパイプがどうにも不可解な曲がり方をしていましてねえ。発電所側がメーカーに問い合わせたけれど答えられないんです。仕方なくアメリカのメーカーにたずねたら、たまたまその設計図のオリジナルを発注したアメリカの発電所が、地形の関係でパイプを曲げざるを得なかったんですね。日本のメーカーはそれを盲目的にコピーしてしまったわけですな」。
いやいやデッドコピーも怪しいぜ。樅の木会・東京電力原子力会編『福島第一原子力発電所1号機運転開始30周年記念文集』(2002年)で池亀亮元東京電力副社長がぼやいてる。「実は、福島1号機には、スペインのニュークレールという同型炉があって、これが2年ほど先行しているので我々はニュークレールの経験を取り入れることができると考えていた。ところが、ニュークレールの建設は遅れに遅れて、いつの間にか福島1号機が同型1号炉となって、共通のトラブルもまず、我々が最初に経験することとなってしまった。
割れ鍋に綴じ蓋
そう言やあ1981年の敦賀原発放射性廃液流出事故を、4月30日付電気新聞のコラム「焦点」は、こう開き直ってた。「この米GE社製BWR原子力発電所は、早く言えば、米国直輸入、米技術のデッドコピーの代表作というべきものだ。この頃、導入した原子炉は、現時点で考えてみれば、『本当の商業炉とは言い難い』面を持つ設計になっている」。「それを『なだめ、だましだまし運転してきた』のが、原電[日本原子力発電]の技術陣である」だって。
もともとの設計が不良品だと指摘するのは、『科学史研究』58巻の舘野淳核・エネルギー問題情報センター事務局長だ。「1973 年に着工された東海 2 号機の建設記録によれば 、GE から渡された建設資料は、設計図における配管の干渉、埋め込み金具の不足、サプレッション・チェンバーの設計の遅延など、多くの問題を抱える、きわめて完成度の低いものであった」(詳しくは舘野著『廃炉時代が始まった』朝日新聞社、2000 年)。
同様のことは、元GEの菊地洋一著『原発をつくった私が、原発に反対する理由』(角川書店、2011年)などにも指摘がある。前出『福島第一原子力発電所1号機運転開始30周年記念文集』で、豊田正敏元東京電力副社長は言う。「運転開始後、種々のトラブルが発生しただけでなく、プラントも、原子物理屋[もちろん、馬鹿にしてる]が設計したとしか思えないような配置設計である部分も多く、点検、補修、取替時の作業スペースが狭く作業が困難である上に、時間がかかり、被曝線量も予想以上に大きかった」。
それでもやはりお師匠はアメリカさんなんだ。2022年9月21日の原子力規制委員会会見で、更田豊志委員長が記者の質問に答えていた。「これは規制当局側もそうなのですけど、いまだに原子力って輸入技術っていう部分を抱えていて、例えばシビアアクシデントの解析をしますが、電力各社が持ってくる解析というのは、MAAP(米国電力中央研究所が所有する過酷事故解析コード)という米国のコードです。私たちも国産のコードも持ってますけど、主に使っているのはメルコアという米国のコードです。あるいはもっと、そのコードまでいかなくても、相関式であるとか様々なものが、やっぱりウェスティングハウスであったり、GE(General Electric Company)であったりに発端するとかのものは多く使われていて、いまだにその原子力はその輸入技術的部分を抱えているので、そうですね。根っこから考えるっていうようなところは、まだ他国に学ばなきゃならないようなところはあるんだろうと思ってます」。
はい、残念。
◉リスク
リスクとは、損害保険業界から生まれた概念だという。三井住友海上のホームページは、こう説明している。「リスク(risk)は、『危険・恐れ』と訳されますが、その語源はいろいろな説があります。たとえば、イタリア語の『勇気を持って試みる』という意味 の“risicare”や、ハザードや災いを意味する“risico”、スペインでは水夫が切り立った険しい岩礁を“risco”と呼んだそうです。また、アラビア語でリスクは『明日の糧』を表す言葉として使われてきました。
つまり、リスクとは、単に危険を意味するものではなく、未来の夢を持ち挑戦する過程で危険や損失が生じる可能性という意味で使われています」。
知らぬが仏
なんだか騙されたような気になる説明だなあ。英国海上保険市場は1990年10月1日、外航貨物海上保険に適用される特別約款「放射能汚染免責約款」をパラマウント・クローズ(至上約款)として制定した。そのことを顧客に通告した大正火災海上保険の『TAISHO INFORMATION』(1991年2月28日)から引用する。
「1986年4月に発生したチェルノブイリ発電所の事故は、今日に至るまで長期かつ予想外の広範囲にわたり放射能汚染等の被害を及ぼし続けており、欧州を中心とした各国の海上保険者の間で、本リスクが算定不可能な巨大リスクであるという新たな共通の認識がなされることとなり、その結果世界の海上保険に影響のある英国保険市場が協会約款を制定し、放射能汚染損害免責を決定しました」。
各種保険用語集には「ロンドン保険業者協会が制定した外航貨物海上保険に適用される特別約款」=「協会放射能汚染免責約款」とある。
「その後、2001年9月の米国同時多発テロ事件を受けてテロ組織に利用されうる化学兵器、生物兵器、生物化学兵器、電磁兵器の免責条項が追加され、現在の形となりました」と双日インシュアランスの「海上保険用語集」。
するてえと、泣き寝入りするっきゃないのか。海上輸送じゃなくって原発事故そのもののリスクは保険でどう補填されるのか。福島原発事故では何が起きてるのか。ごめんなさい。ちょっと難しすぎて浅学菲才の手に余る。
後は野となれ
ともあれ被害については、日本の原子力損害賠償法では、原発を動かしている電力会社が全責任を負う。むろん、別途、国の責任も追及できる。とまれ電力会社は、損害賠償のためのお金を用意しておく必要があり、そのために原子力損害賠償責任保険の契約を求められている。施設そのものの損害補填のための任意の保険の他にだ。保険会社は再保険により個々のリスクを回避するべく日本原子力保険プールを1960年に設立した。
とはいえ「算定不可能な巨大リスク」をカバーするような保険金は支払えない。そのために、上限の金額が決められている。原子力損害賠償法が1961年につくられたときには50億円だったが、じょじょに引き上げられて、いまでは1200億円になった。それにしても、いったん過酷事故が起これば、とてもそんな額ではおさまらない。そもそもそんな事故の実態とは無関係に上限額は決められてた。1961年4月12日の衆議院科学技術振興対策特別委員会で、当時の科学技術庁の杠(ゆずりは)文吉原子力局長が答弁している。「50億円までは保険プールにおきましては引き受けることができるということから、50億円ということをきめたわけでございます。すなわち、保険プールの引き受け能力の限度でございます」。
おまけに原子力損害賠償責任保険では、地震、噴火、津波の自然災害による原子力損害等は免責とされている。その場合は原子力事業者と政府との間の補償契約により、国が電力会社に上限額までの賠償費用を補償する。その代わり電力会社は、保険料に当たる補償料を納付している。つまり、国が一種の保険会社になるわけね。上限額をこえた被害の賠償についても、電力会社には責任がある。ただし、そのぶんの資金を用意しておく義務はなく、困ったら国が援助をする、と法律には書かれている。また、「その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない」。その時は国が被害を救うために必要なことを行なうという。
電力会社に全責任があるというにしては、ずいぶんと甘いよね。「算定不能な巨大リスク」をかかえた電力会社が存続できる秘密が、ここにある。原子力損害賠償法というのは、危険評価のプロである保険会社が逃げ出さないような条件をつくることで、電力会社を保護する法律と言っていいんじゃない。おかげで電力会社は、安い保険料を負担するだけで、安心して原発を動かすことができるってわけ。
同舟相救う
と、以上は福島原発事故が起こる前の話。福島原発事故の後、電力業界は「異常に巨大な天災地変」だから責任なしを政府に要望したけど、聞き入れられることはなかった。あったり前でしょ。そんなことじゃなくって、迅速かつ適切な原子力損害賠償を実施するとして、2011年8月に原子力損害賠償支援機構(のち廃炉等支援が加わって原子力損害賠償・廃炉等支援機構)が設立された。「原子力損害の賠償の迅速かつ適切な実施の確保等の機構の業務に必要な費用に充てるため」として原子力事業者から負担金を出させ、損害賠償のための資金援助をする。
2023年度で見れば、10電力会社と日本原燃が計1947億円弱を一般負担金として、事故を起こした東京電力は別に特別負担金2300億円を納付した。他方、東京電力への資金援助は1兆5800億円だとか。それだというのに東京電力は損害補償を出し渋り、事故で拡散された放射性物質が誰の所有でもない『無主物』だと言い張ったり(朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠―明かされなかった福島原発事故の真実』学研パブリッシング2012年)、焼身自殺した避難者に「個体の脆弱性」を持ち出して争ったり(『プロメテウスの罠 9 この国に本当に原発は必要なのか!?』2015年)した。
あれれ、どんどん脱線してる。脱線リスクというのも物書きあるあるかしら。
◉立地
一般的な「立地」の説明を当てはめれば、原発を建設するのに適した土地を選び決めること。また、そこに原発をつくること。
思い起こせば
立地にまつわる発言を拾ってみた。
立地が相次いで、開発が進むというのも善しあしです。開発はその地域の地縁血縁をズタズタにすることもあるんです。(小牧正二郎・東京電力常務--東京新聞1985・5・29)
立地地域に発電所がきて幸せになったかというと、必ずしもそうではない面もあるのではないか。特に福島、新潟は東京電力の供給区域の外にありますから、なおさらそういうことが起こるんでしょうが、発電所の発展と町の発展が今のところ直接の関係がない、という状況にあります。(那須野太・資源エネルギー庁核燃料サイクル産業課課長補佐--『エネルギーいんふぉめいしょん』2002・1)
立地担当者も悩んでいるのね。
それはそれとして、1963年から75年にかけて、当時の通商産業省による原子力発電所立地調査がおこなわれた。気象観測は気象協会が実施。地質調査のボーリングは国が道県と委託契約を結び、道県の経費で国の指示に従って実施している。以下に調査地点を当時の市町村名で記録しておこう。青森県東通村のように村内3ヵ所を別地点として調査されたところもある。もちろん、電力会社などは別途、それぞれ立地調査をおこなっている。
北海道:泊村、島牧村、北桧山町、稚内市、松前町
青森県:東通村、市浦村、六ヶ所村、平舘村
岩手県:久慈市、田野畑村、田老町
宮城県:女川町
秋田県:能代市
山形県:鶴岡市
新潟県:柏崎市
石川県:富来町、内浦町、珠洲市
島根県:益田市、江津市
徳島県:日和佐町、海南町
山口県:長門市、田万川町
福岡県:糸島市
佐賀県:玄海町
熊本県:天草町
大分県:蒲江市
宮崎県:砂土原町
鹿児島県:川内市、内之浦町
[© Baku Nishio]
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