◉核管理社会
核セキュリティ対策のために人間に対する管理を厳しくする社会。
これぞまことの新人類
最も早くから核管理社会の危険性を感じ、指摘していたのが高木仁三郎だと言ってよいだろう。1976年に刊行された『プルートーンの火』(社会思想社教養文庫)の第5章「プルトニウムと社会」である。後の『市民科学者として生きる』(岩波新書、1999年)には、『プルートーンの火』の誕生の経緯が、こう書かれている。
「[プルトニウムの] 『毒性の考察』と並行して、私は問題意識を共有する何人かの人たちと『プルトニウム研究会』を組織し、プルトニウムに関する多面的な問題(安全面、社会面、経済性、高速増殖炉計画など)を議論し始めた。
とくに私が関心をもったのは、プルトニウムが危険というだけでなく、核兵器材料として容易に利用しうること、従ってその大規模利用は、極端な管理社会化(英語ではそのような管理社会をplutonium economyと呼ぶが、私は “プルトニウム社会”と呼んだ)につながるという点だった。管理社会化とそれを先取りした研究者、技術者の自主規制というのは、会社にいた時からの私の実感であった。
この時のプルトニウム研究会のメンバーには、夭折した大場英樹(当時NHKディレクター)や西尾漠(「反原発新聞」編集者)などがいた。この頃の検討を基に、私は、原子力問題について生まれて初めて本を書いた」。
一言だけ断っておけば、西尾(筆者)は、原発の危険性というより推進キャンペーンや核管理社会のおぞましさから反原発の運動に入ったには違いないが、プルトニウム研究会では「名ばかり会員」で検討には貢献していない。
と余分なことは言わなくてよいか。
「最も早くから」と書いたが、むろん他にも同じような認識を持った人は多くいたと思う。もっと早く表明していた人もいておかしくない。高木より詳細に徹底して問題点を剔抉した著に1977年刊のロベルト・ユンク『DER ATOM STAAT』(山口祐弘訳『原子力帝国』、アンヴィエル、のち社会思想社教養文庫)がある。高木は『プルトニウムの恐怖』(岩波新書、1981年)の第6章の章題にユンクの造語である「ホモ・アトミクス」を借りた。「完全に予見可能で全面的に操作しうる、さらに確実に意のままにできる<ホモ・アトミクス(原子力人間)>」だ。
「福島第一原発過酷事故から4年しか経っていない」2015年、小児科医の山田真は、親鸞仏教センターが発行する『アンジャリ』第30号に「私たちが『ホモ・アトミクス』にならないために」を書き、「今、私たち日本に住む者は、一人一人がホモ・アトミクスにされようとしている」と訴えていた。「アメリカをはじめとする世界の原子力推進派の人たちは、一方で放射能による被害も隠蔽しつつ原子力の威力を大宣伝して、原子力に関しては自分たちの意のままに操ることのできる市民=ホモ・アトミクスを大量に造り出してきたというのだ」と。
ここで話の向きを変えると、高木は一貫してplutonium economyを「極端な管理社会化」と同義に扱っているが、高木がプルトニウム問題に取り組むべく刺激を受けた「プルトニウム物語」(『Transuranium Elements』第1章)の著者グレン・シーボーグが1970 年10 月5日、米国原子力委員会委員長として「プルトニウムおよびその他のアクチニドに関する第4 回国際会議」で「Plutonium: Economy of the Future」と演説をしたのが出典とすると、むしろ「安価で豊富な原子力エネルギーという自然の贈り物」となる。ただ、この語は独り歩きして、高木のように使われたり、可能性とリスクの両面を含むものとして言及されたりもしている。「再処理価格やプルトニウム燃料加工費の高騰、高速増殖炉建設費低減の困難さ等、プルトニウム経済の成立に不利な条件が次々に明らかになってきた」(山地憲治電力中央研究所社会経済研究所主査研究員――『エネルギーフォーラム』1986年1月号)からだろうか。
山地によれば「プルトニウム経済は今はまだ夢」なのだそうな。核管理社会化のplutonium economy は進んだが、安価で豊富な原子力エネルギーのplutonium economy は夢のままだ。2023年の今もね。
ガラスの檻
1979年4月4日付電気新聞の「焦点」欄が、こんなことを書いていた。「若い社員が原発勤務と聞いて、両親と水盃で別れてきたとか、正常な子供を将来残せるだろうか、などと真剣に悩むケースがあるという。また、社員教育を徹底的にやり、現場要員の技量アップを行っても、反原発の人々を『社内』から絶滅することは無理だろう」。
そこで、続けていわく「破壊を意図する者を告発できる人的システムと、破壊されないハードウェアを創造する以外手はない。でないと原子力は文字どおり『うたかた』のエネルギーに終わってしまう」。
「反原発(というよりむしろ多くは厭原発なのだが)=破壊を意図する者」という乱暴なすりかえが行なわれているが、ともあれ、原発推進派にとってほんとうに恐ろしいのは「核ジャック」(核とハイジャックを結合した造語。最近はあまり聞くことのない言葉になった)などではなく、原発を推進すること自体が必然的に生み出さざるをえない労働者の動揺だという事実が理解されるだろう。
その動揺を抑え込むために、労働組合をも活用した人事管理と、厳重な警備体制による威圧感と、「過激派」という仮想敵を与えての思想教育とがフル動員され、労働者同士の相互スパイ網のフルイにかけて落とされた者には、徹底した差別と排除が用意される(詳しくは、電力公害研究会「職場の異分子排除と企業・国家意識の形成」--『新地平』1977年7月号)。
核セキュリティ対策では、まさに「個人の信頼性確認制度」に直結する調査が、原子力施設従業員のみならず、核燃料物質を扱う施設周辺の住民や核燃料輸送の沿道住民、さらに全国民にまでひろげられる、とロベルト・ユンクは書いていた。1977年9月7日付日本経済新聞は、原子力関連の諸施設などに警察庁が「事前チェック制による見学者の規制」を申し入れたことを報じている。ということはすなわち、事前チェックができるだけの情報がすでに蓄積されていたということなんだよね。
45年経った今は?
◉核セキュリティ
IAEAは「核物質、その他の放射性物質その関連施設およびその輸送を含む関連活動を対象にした犯罪行為又は故意の違反行為の防止、検知および対応」と、核セキュリティを定義している。
以前は「核物質防護」(PP:Physical Protection)という用語があった。今でも使われていないこともないのだが、ともかくそれが「2001年9月11日に米国内で航空機等を用いた4つのテロ事件が同時多発的に発生した。航空機が使用された史上最大規模のテロ事件であり、全世界に衝撃を与えた。この事件が契機となり、これまで使用されていた『核物質防護』から『核セキュリティ』という言葉が使用されるようになった」と、核物質管理センターのホームページで説明されている。
「核物質防護では、規制の対象が核物質であったが、核セキュリティにおいては、核物質のみならず放射性廃棄物も規制の対象である。例えば、テロリストによる原子力施設への妨害破壊行為や、放射性物質を封入した爆弾(ダーティボム;汚い爆弾)により放射能汚染といった飛散行為などへの関心が高まり、核セキュリティが広く使用されるようになった。ただし、核物質に着目した場合は、核物質防護という言葉が使用される」と。
人を見たらテロリストと思え
2012年3月26~27日に韓国のソウルで、10年4月に米ワシントンで開かれたのに次ぐ第2回の「核セキュリティ・サミット」が開催された。オバマ米大統領の提唱で始まったサミットの位置付けは、「核テロは国際社会にとって最大の脅威の一つであり、各国の強固な措置や国際協力が必要」というものである。
第2回で特に焦点となったのは、福島原発事故だ。同事故では、自然災害に対する原発の脆弱さが浮き彫りとなったが、自然災害を人為に置き換えれば安上がりに核テロが起こせることをテロリストに教えてしまった、と核セキュリティを問題にする人びとは言う。『警察学論集』2013年3月号の特別鼎談「核セキュリティ~原子力施設のテロ対策」で、今やこの分野の第一人者というか売れっ子の板橋功公共政策調査会第1研究室長の曰く「3.11以降、核兵器なんか持ち込む必要がないということがわかってしまったわけです」。
事故が、現場はもとより政府機関に社会にいかに大きな混乱をもたらすかが白日の下に曝された。福島第一原発で働いていた作業員の行方がわからなくなり、その数は2011年7月1日には1295人と発表された。「その後、徐々に所在が判明し、同年12月14日に東京電力は連絡が取れない13人の作業員名を公開した。すなわち、身元不明の人間が、事故後の福島第一原子力発電所に入っていたことになるわけである」(板橋功「核セキュリティの概念と関連事案」――『治安フォーラム』2013年1月号)。
そこで改めて問題にされたのが「内部脅威対策」だ。2013年1月に原子力規制庁他13省庁+内閣官房で設置された「核セキュリティ関係省庁会議」でも重要視され、同年3月4日に原子力規制委員会の核セキュリティに関する検討会が初会合を開いた。検討会は15年10月19日に「個人の信頼性確認制度に関するワーキンググループ」のまとめを承認し、原子力施設に出入りする人の身元調査制度の導入について「詳細な検討を進めることが必要である」とした。ワーキンググループは2016年年3月8日に第7回を開き、「原子力施設における信頼性の確認の実施に係る運用ガイド(案)」などについて議論したというが、その後どうなったかは闇の中。核管理社会の怖さだね。
内部脅威については、前出の『警察学論集』の特別鼎談では日本放送協会報道局科学・文化部の大崎要一郎記者がこう抵抗していたんだけど。「アメリカのいろいろな調査研究などでも、テロリストを類型化してみると、信頼性確認で除外している人ほど実はテロリストになりやすいみたいなデータがあるとか、本当の意味でその実効性というものをどう考えるのか」。
すべて世は事もなし
2021年1月23日に、柏崎刈羽原発の所員が他人のIDカードで中央制御室に入室していたことが報じられて以来、立ち入り制限区域内への不正入域や侵入検知設備の損傷放置など数々の核セキュリティ問題が同原発をはじめとして次々と明るみに出た。同年4月14日には原子力規制員会が柏崎刈羽発電所に核燃料の移動を禁じる(実質的に再稼働禁止)に至っている。
東北電力は2020年10月14日の女川原発の9月分定期報告で、2号機の管理区域内に古いたばこの吸殻を発見したと明らかにした。仙台原子力問題研究グループは同月21日、「『吸殻1本』から見えた『テロ対策』の困難性」で「今回の『吸殻の主』を『テロリスト』に置き換えたら」と、「完全な『社員・作業員管理』(個人の信頼性確認)』=『テロ対策』が実現不可能であることを示すものと考えるべき」ことを指摘した。それで問題なしと思っているのが日本らしい。
原発構内に山菜採りやタケノコ掘りの業者や住民がフェンスを越えて侵入する事件は、たびたび起きている。原子力関連施設が林立する茨城県東海村の松林はマツタケの宝庫なんだとか。
電力会社が核セキュリティを切実に考えていない長閑さも悪くないのかもと、ついつい思いそうになるなあ。不謹慎だって? うっせえわ。
[© Baku Nishio]
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