◉核燃料
「原子力百科事典ATOMICA」には、次のように説明されている。「原子炉に入れたとき、核分裂反応を起こしエネルギーを発生する可能性のある物質をいう。具体的には、トリウム、ウランおよびプルトニウムの核分裂性核種を含む物質である」。日本などの原発に使われている軽水炉では、ウランを焼き固めて作ったペレットを燃料棒に詰め、燃料棒を束ねた燃料集合体として用いられる。
天然のウランにはいわゆる「燃えるウラン(核分裂しやすいウラン)」は0.7%しか含まれていない。そのまま核燃料にして用いる原子炉もあるが、軽水炉では「濃縮」して4~5%ほどにまで高めたものが燃料に加工され、原子炉で燃やされる。その熱で水を蒸気に変え、タービン・発電機を動かす。核分裂をしにくいウランの一部がプルトニウムに変わる。プルトニウムの約70%は核分裂をしやすいプルトニウムで、よく燃える。つまり原子炉の中では、はじめはウラン、後にはウランとプルトニウムが燃えることになる。
燃料中のウラン-235(いわゆる「燃えるウラン」)の原子核は92個の陽子と143個の中性子から成る。このウラン-235に中性子源というもので中性子をぶつけてやると核分裂反応が起きる。原子核は割れ、二つあるいはまれにそれ以上の別々の核種=「死の灰」となる。また、2、3個の中性子が飛び出す。それらを足し合わせても元のウラン-235にはわずかに足りず、そのわずかな差の質量が質量×光速度の二乗(E=Mc2)という巨大なエネルギーとなるらしい。不安定な死の灰は放射線を出して崩壊し、大きな熱を出す。
飛び出した中性子が次のウラン-235の原子核を分裂させ、連鎖反応が続いていくことで「燃料」の役割を果たすことになる。
3つ数えろ
って、こういう話は苦手だな。ともかく熱を出すので「燃料」と言うわけだ。
日本語だけでなく、各国の原子力用語でも「燃料」や「燃やす」「燃焼」といった言葉が使われている。そこで、「第三の火」といった言葉も生まれた。ゾロアスター教(拝火教)などにも第一、第二、第三の火という用語があるらしいが、それとは別の考えだ。とはいえ第一、第二の火の定義はいろいろまちまちで、第一の火とは、「太陽」「原始人が使い始めた火であり、木などが炎を上げて燃えること」「プロメテウスが人類にもたらした火」「石炭・石油による火」「燃料の空気中での燃焼による火」、第二の火は「電気」「電熱線の発熱などによる火」「蒸気機関」「ダイナマイト」と、こんな具合。ちょっと混乱してるよね。
さらに言えば、1957年8月27日に輸入研究炉JRR-1が臨界に達した際にラジオのアナウンサーは「我が国にも第二の火がともりました」と伝えたという。井手則雄は「第二の火 JRR-1 原子炉一号東海村にともる」を詩作した。いつ頃からか「第三の火」が原子力の火の主流になったものの、それまではもっぱら「第二の火」だったようだ。2000年代に入っても、下火とはいえ「第二の火」が散見される。
島桂次元NHK会長の著『電子の火―インターネットで世界はどう変わるか』(飛鳥新社)は、第二の火は「原子の火」、第三の火が「電子の火」と言う。核融合によるエネルギーのことを「第四の火」と呼ぶ向きもあるが、さすがにこれはいただけない。
そもそもこれらは日本独自の言い方なのか、浅学にしてわかりませーん。『森と火の環境史―近世・近代日本の焼畑と植生』(思文閣出版)で米家泰作京都大学准教授が火災史家スティーブン・パインの考えを紹介しているところによれば、第一の火は野火のような「野生の火」、第二の火は焼畑のような人間に「飼いならされた火」、第三の火は人間が火を完全に支配しようとする化石燃料以降の火となる――ずいぶん違うな。
『岸信介回顧録』(広済堂)に、こんな一文を見かけた。「原子の火を“第三の火”と呼ぶのは、第一の火が原始、人類が火を使用して人類と他の動物との区別を決定的にしたとき。第二が蒸気、内燃機関、電気の使用によって、人類の進歩に一大飛躍を画したとき、そして第三が原子力というのだそうである」。原典は不明。勢いで見てきたけれど、もともと「第三の火」に特別な思い入れがあるでなし、原典探しまではしなくていいや。
と書いたところで、日本原子力研究所の元研究者3人が共同執筆した茨城県東海村の研究用原子炉JRRの回顧録中のエピソードを思い出した。『日本原子力学会誌』2015年12月号を引っ張り出して引用しよう。
「JRR-4のトピックスとしては、1974年に茨城県で国民体育大会が開かれたとき、茨城県ゆかりの場所から採火する検討が行われ、炬火として『第一の火』である筑波山頂で集光された太陽光、『第二の火』である鹿島神宮で長年燃え続けてきた灯明、そして原子力の村として発展してきた東海村で原子力エネルギーから『科学の火』の三つを合わせたいという要望が出され、工夫して採火した経験があった。このときは熱を取り出す工夫として炉心タンクの外側に熱電対素子を用いた採火装置を設置し、実験を重ねた後、無事に採火できたことはJRR-4ならでの特徴を生かした面白い経験であった」。
茨城県の『県だより』では、それぞれ「自然の火」「伝統の火」「科学の火」と説明されている。重ねた実験、ごくろうさま。でも、「年譜」にそれくらいしか書くことがなく研究炉としてさしたる成果もなしに2013年には廃止が決定したのは残念ですね。そういえば前掲『日本原子力学会誌』の回顧録では、「国産技術育成に貢献したJRR-3」と並べて、「遮蔽研究等を目指したJRR-4」と見出しに掲げていたっけ。「違いがわかる」でしょ。
◉核燃料サイクル
核燃料をつくったり発電に使った後の始末をしたりという工程の全体が「核燃料サイクル」で、燃料となるウランを採掘するところから始まる。鉱石からウランを抽出し、軽水炉では「核分裂しやすいウラン-235」を濃縮し、燃料に加工する。原子炉で燃やしたものが使用済み燃料で、使用済み燃料の中には、燃料としてまだつかえるウランの燃え残りと、燃料の中に新しく生まれたプルトニウムの燃え残りがふくまれている。このプルトニウムとウランを「死の灰」と分けて取り出すのが再処理である。
もっとも、世界的には再処理をせず、使用済み燃料をそのまま高レベルの放射性廃棄物とする「直接処分」のほうが主流だ。再処理をする場合は、「死の灰」はガラスと混ぜて容器に固めて高レベル放射性廃棄物となる。
再処理により取り出されたプルトニウム核燃料にして高速増殖炉で燃やすことで初めて核燃料サイクルの輪がつながる(「サイクルを閉じる」と言う)わけだが、「直接処分」のようにつながらないものも「核燃料サイクル」と呼んでいる。
核燃料サイクルのすべての工程からは、さまざまな放射性廃棄物が発生する。それらの後始末も含めて「核燃料サイクル」と呼ぶ。呼ぶべきである。
ともあれそんな核燃料サイクルが、「破綻した」の枕詞を冠されて久しい。それでもエネルギー基本計画などにしっかり「核燃料サイクルの確立」としっかり謳われている。「結局、誰も責任を取りたくない。核燃サイクルが『責任転嫁サイクル』と言われるゆえん」と、2004年11月24日付新潟日報に経済産業省幹部の嘆きが報じられていた。
頭隠して尻隠さず
核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団などでは、「核燃サイクル」と略している(マスメディアでも、たまに見かけるけど)。厳密にいえば「核燃料サイクル施設設置阻止」だ。
1984年7月27日、青森県六ヶ所村への「核燃料サイクル施設」の立地が、電気事業連合会(電力会社の連合体)の小林庄一郎会長から青森県、六ヶ所村に要請された。否、小林会長によれば「原子燃料サイクル施設」だ。「原子力平和利用に対する正しい理解をいただくために」核兵器を連想させる言葉を追放したい、とどこかに書いてあった(どこか探したけど見つからない)。1ヵ月前に発足したばかりの「核燃料サイクル立地推進連絡会議」は名称を変更、電力各社も「核燃料部」などの衣替えを決めた。今も各社のプレスリリースなどでは「原子燃料」で、メディアは「核燃料」と言い換えて報じている。日本原子力産業会議発行の原子力産業新聞まで、「原子燃料サイクル施設」立地申し入れの時から「核燃料」に言い換えていた。電力派と原子力派で考えが違うのかな。
六ヶ所核燃料サイクル施設を運営する日本原燃の「原燃」は、むろん原子燃料の略である。同社は「再処理」の語感も嫌って「再生産」と言い換えていた(これも、どこでだったか)。
逆に、原子燃料を核燃料と言い換えたのが、かつての「どうねん」だ。前身は1956年設立の原子燃料公社。原子爆弾を想起させるとして1967年、「動力炉・核燃料開発事業団」と、「原子」を「核」に変えて発足した。
濃縮からは高濃縮ウランがつくれるし、再処理からはプルトニウムが取り出される。原子爆弾や核兵器とはしょせん腐れ縁だ。「軍事利用」を産みの親とする血筋は争えない。ことさらに「平和利用」と呼ばせるゆえんだろう。
英語でも「atomic fuel」と「nuclear fuel」がどちらも使われているが、それぞれどんな思いで使っているのかまでは調べられなかった。いや、英語は苦手なので調べなかったんだ。
[© Baku Nishio]
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