◉風評被害
「風評被害問題の第一人者」と目される関谷直也東京大学大学院情報学環・学際情報学府 教授/東日本大震災・原子力災害伝承館 研究部門 上級研究員の著『風評被害―そのメカニズムを考える』(光文社新書、2011年)に「もともと学術的に、あるいは公的に定義された用語ではない」とある。にも拘らず公的機関でも広く使われている厄介な言葉。
魔法のコトバ
関谷著では次のように定義している。「ある社会問題(事件・事故・環境汚染・災害・不況)が報道されることによって、本来『安全』とされるもの(食品・商品・土地・企業)を人々が危険視し、消費、観光、取引をやめることなどによって引き起こされる経済的被害のこと」。
経済的被害に限定していることをはじめ、当然ながら批判的な論考も多い。「本来『安全』とされるもの」との規定については、著者自身の言いわけが載っている。すなわち「この『本来安全』というのは、『科学的に安全』という意味ではない。あくまで、ある立場の人にとって主観的に安全かどうかということだ」。は? そう言われてもねえ。
2021年4月17日付福島民報で福島大学の林薫平准教授は「政府と東電は、放出によって福島の漁業が低迷してしまった場合には『風評被害』だと主張するだろう。それは国民に責任を押し付け、黙らせようとする行為である」と述べていた。たちまち現実となって、近ごろじゃ「風評加害」なんぞというけったいな造語まで顔を出す。環境省のホームページにまで「風評加害を生まない」とかと堂々と載せられてるんだぜ。無責任も過ぎるというものだよ。
かくて被害者が加害者にされてしまう。とんでもないどんでん返しだ。林は『住民と自治』2023年11月号で訴える。
「風評という言葉が独り歩きし、復興を妨げるなということと対になって、原子力政策を不可侵のものにしてしまいました。これが福島の過酷な事故の後に現れた新たな現実です。ここに最大の不条理があります。
これだけ大変な災害を起こした後に、原子力事業者や推進者は、本来は猛省を迫られるのが当然なのですが、そうなってはいません。むしろ逆に、福島の復興を盾にとって、『復興のために風評加害をやめろ』といえば原発に関して何でもできるという魔法の杖を手に入れました。それでは本来の復興の道筋を守るための当たり前の声や正当な主張さえ排除されてしまいます。これは改める必要があります」。
「風評被害」という名づけ(三浦耕吉郎「風評被害のポリティクス-名づけの〈傲慢さ〉をめぐって-」、『環境社会学研究』2014年20巻)が、そこまで事態をこじらせちまった。
◉福島第一原発
東京電力が福島県大熊町と双葉町にかけて建設・運営した原子力発電所。2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に伴い1~3号機で炉心溶融のメルトダウン、1、3、4号機で水素爆発、2号機で格納容器下部の圧力抑制プール(サプレッションチェンバ)付近での破損が起きるなどして、大量の放射性物質を環境中に放出、1~4号機は12年4月19日に廃止された。比較的被害の小さかった5、6号機も14年1月31日に廃止され、全基で廃止措置が続いている。
金がもの言う
東京電力建設部の佐伯正治らが1963年暮れに現地測量を前に宿泊しているところに志賀秀正大熊町長が四斗樽をもってあいさつに来たときの話を佐伯は、樅の木会・東京電力原子力会編『福島第一原子力発電所1号機運転開始30周年記念文集』(2002年)に寄せた「当時の思い出」に書いている。「本当に東電は発電所を造ってくれるのですか」と確認を求められたんだそうな。「1時間の食事中何回も『建設してくれますか』と聞かれた」と。2年あまり前の1961年9月には、大熊・双葉両町の町長が原発誘致と事業促進の陳情書を、両町議会議員全員の誓約書を貼付して福島県と東京電力に提出していたという。
そんな歓迎を受けた側の意識を、『東京電力株式会社社報』1966年8月号で福島原子力建設準備事務所の佐々木豊弥次長が露骨に語っている。「双葉地区というのは。福島県でも低開発地域として指定しているところで、特別の産業がないのです。平(たいら)から原町(はらのまち)までの間に従業員30人以上の事業所が四つか五つしかないという具合で、そこに約400億円を投じて科学の最先端をいく原子力発電所ができるというのですから、まさに熱狂的な歓迎ぶりなのです」。よく言うよ。『社報』が町民の目に触れるとは思ってなかったのかな。
いや、町民はわかってた。『大熊町史 第一巻・通史』(1985年)の「第四章 電力」は指摘する。「大熊町あるいは双葉郡に言わば時代の先端をいく原子力発電所が設置されたのは、双葉郡内が福島県でも開発の遅れた地域であり、設置者の立場からすればその適地であると考えられていたからであった。しかし、それはあくまで設置者側の観点からするものであり、設置される地元との間にはあらゆる面での認識のギャップがあったことは事実である」。
『土木施工』1971年7月号に小林健三郎東京電力前原子力開発本部副本部長が寄せた「福島原子力発電所の計画に関する一考察」では、「立地費、送電線費の総合評価」によって選んだとある。あれれ、安全性は? 「過去に地震被害が少ない」? 見事なまでのコスト重視だぜ。
正体見たり
人口密度の低さも、意味を持ったようだ。『大熊町史 第一巻・通史』は、日本原子力産業会議『原子力発電所と地域社会 : 立地問題懇談会地域調査専門委員会報告書<各論>』(1970年)の報告書の記述「福島原子力発電所の立地点は、東京の北方約220キロメートル(中略)原子炉の設置地点から最寄りの人家までの距離は約1キロメートルで、周辺の人口分布も希薄であり、近接した市街地としては約8.5キロメートルに、昭和40(1965)年10月現在人口約2万3000人の浪江町がある」を引用して、こう述べている。
「東京から遠いこと、人口稠密の地域から離れていることが立地条件として考慮されていることからすれば、いかに技術的安全性が強調されようとも原子力発電所の性格なるものが如実にしめされているといわざるをえないであろう。しかも、浪江町よりも近いところに当時人口7629人の地元の大熊町、隣接の人口7117人の双葉町、人口1万1948人の富岡町があることは、この説明からすっぽりと脱落している事実に気づかなければならない。2万人以上の町なら市街地として扱うが、1万人前後の町は配慮の対象にならないという論法が、要するに原子力発電所の立地が東京からの距離の遠さを力説する形で適地の判断がなされることにつながっているのである」。
この章の執筆者は社会党町議だった浦野誠康だと50年ほど以前になるか当人から聞いたが、執筆分担では岩本由輝山形大学教授と書かれている。協力をしたということなのか。ゴーストライターだったってこたぁないだろう。とまれ熱烈な誘致から醒めた大熊町の意識が、執筆者の人選にあらわれたことは確かと思える。
いずれにせよ福島第一原発の建設地は、安全性の確保とはおよそ無縁な、あるいは最も安価な安全性確保を考えて、事故が起きても被害は小さい、東京は影響を受けないとの勝手な決めつけによって選定されたことは明白だ。
『東芝レビュー』1969年1月号で、東芝原子力技術部の一木忠治は書いている。「安全性に関する要求は、現状の経済性のある原子力発電プラントの場合、発電所敷地を、高い人口地帯からできるだけ離すことを必要とする。それがもっとも確実で、経済的解決方法である」。ざけんな!
あれれ、いつもの調子じゃないぞ。硬くなっちまったなァ。面目次第もございません。
◉「ふげん」「もんじゅ」
「ふげん」は新型転換炉、「もんじゅ」は高速増殖炉の原型炉。原子炉の開発段階は、一般に実験炉または研究炉、原型炉、実証炉、実用炉と進んでいく。新型転換炉は実験炉無しに、まず原型炉が建設された。高速増殖炉は実験炉「常陽」から開発が始まった。新型転換炉も高速増殖炉も実証炉には進めていない。
罰当たりのバラッド
「ふげん」と「もんじゅ」の名は、釈迦如来の左右の脇士、知恵をつかさどる文殊菩薩と慈悲を象徴する普賢菩薩から命名された。『週刊仏教タイムス』2011年11月17日号に「レポート もんじゅ・ふげん 命名に僧侶は関わったのか?」が掲載されている。
「今月2日、曹洞宗大本山永平寺の『禅を学ぶ会』がシンポジウム『いのちを慈しむ―原発を選ばない生き方』を開いた。マスコミの関心も高く、各紙で報じられた。
シンポ開会にあたり、松原徹心監院が高速増殖炉『もんじゅ』と新型転換炉『ふげん』の命名について永平寺との関わりを述べた。
〈発案者である動力炉・核燃料開発事業団(当時)の清成迪氏(故人)が『文殊の智慧、普賢の慈悲をいただき、理想的な原子炉ができるよう願った』とし、『時の永平寺禅師様に伝えたところ「それはいいことだ」と仰られたと聞いている』と説明した。〉」。
記事は「もんじゅとふげんの命名に僧侶が直接関係したような形跡はない」とする。1970年6月6日付け同紙に清成が寄稿した「原子力と仏教 文殊普賢と命名」にそうした記述がないことを示すべく全文を再掲していた。
他方、信頼できるものかは確かじゃないが『エネルギーいんふぉめいしょん』2010年12月号に載った「エネルギーを考える会勉強会」の講演録では、伊原義徳元原子力委員会委員長代理が「非常に熱心な在家仏教徒だった清成さんが、仏教関係の宮本正尊師、土岐善麿先生と相談して命名されました」と二人の名を挙げていた。宮本正尊師って東本願寺の最高顧問だった人じゃね。
どう正式に名付けたかというと、当時の井上五郎動力炉・核燃料開発事業団理事長が内部募集した時のことを、『エネルギーフォーラム』1984年6月号の「回想 『どうねん』の歩みと共に」で瀬川正男相談役が明かしている。
「清成さんが自分自身で応募しないで、自分の秘書か何かに……(笑)。“清き一票”の中に『ふげん』『もんじゅ』があった(笑)。選考会で清成さんが『断然、これだ』と。あとで調べたら清成さんが……(笑)」。
1970年4月8日のことというから、はじめからお釈迦様に縁のある日を選んでいたのか。なるへそ。
「もんじゅ」の前の実験炉「常陽」の名付け親も清成だという。前掲「原子力と仏教 文殊普賢と命名」で説く。「高速増殖実験炉の『常陽』は、その設置場所の茨城県=常陸の国を江戸時代『常陽』とよんでおり、大洗はまさしくその名にふさわしい、わが国最東端の明るく雄大な地形にある。またここには常陽明治記念館があって、明治天皇の尊像をはじめ、維新回天の大業をなしとげた志士たちの遺墨が多数展示されている。ちなみに、その思想の中心となった水戸学は決して偏狭な国粋主義ではなく、物に対して心を中心とした人間としての学問であって、その意味からも、ここに『常陽』の名を冠することによって、科学万能の風潮に対する大いなる警鐘としたいと思う」。
いや、ひょっとしたらお釈迦様どころかその先生格の阿弥陀様の名がつけられていたかもしれない。『原子力eye』2005年5月号で日本仏教徒懇話会の関根瑛應代表世話人が、動力炉・核燃料開発事業団広報室長だったころの話として書いている。「[宮本正尊]博士から、文殊、普賢と並んで「法蔵」の名が持ち出されたことがあった。法蔵菩薩とは、阿弥陀仏が過去世に世自在王仏に侍して修行していたときの名である。この提案は、しかし、サイトの地名を重んずる『常陽』へと移行した」。南無阿弥陀仏。
ことのついでに、他の高速増殖炉の名前も見とくか。アメリカの実験炉「クレメンタイン」は、映画『荒野の決闘』の原題ともなったフォークソングの「いとしのクレメンタイン」から名づけられた。原子番号94、質量数239のプルトニウム‐239を仲間内で「forty nine」と、原子番号、質量数それぞれの最後の一桁を並べて呼んでいた研究者たちが、自らを1849年のゴールドラッシュのときの移住者である「forty niner」に見立て、その娘のクレメンタインの名を我が子と言うべき世界初の高速増殖実験炉につけたのだとか。原型炉「クリンチリバー」は、建設地の横を流れる川の名前。テネシー河の上流にあり、オークリッジ核研究開発センターのあるところだ。フランスの実験炉「ラプソディー」は、当時の熱狂にあやかっての命名か。原型炉「フェニックス」の名は、その不死を願ってつけられた。世界で唯一の大型の高速増殖炉だった実証炉「スーパーフェニックス」は、超不死の過大な期待がたたってか、事故つづきでほとんど満足に動かず早々に絶命し蘇ることはなかった。アーメン。
◉負の遺産
ここでは「次世代に押しつけられる未解決の問題」を「負の遺産」と呼ぶ。
有口無行
1998年9月9日、北陸電力志賀原発建設差止請求訴訟の控訴審で、名古屋高裁金沢支部の判決文に「負の遺産」という言葉が使われた。曰く「我が国においても前認定(原判示)あるいは後記認定のとおり多数の事故あるいは問題事象が発生していて国民の原子力発電所の安全性に対する信頼は揺らいでいること、その他核燃料の再処理問題、将来の廃炉問題など未解決の問題点を残すことは控訴人らの指摘のとおりであって、原子力発電所がその意味において人類の『負の遺産』の部分を持つこと自体は否定しえないところである」。
ところがどっこい判決は続けて言いわけを述べる。「いずれにしても」って、なんじゃそりゃ。
「今後原子力発電を推進するか廃止すべきかは、単にその経済性のみならず、地球資源、地球環境問題を含めた長期的、総合的な展望に立ったエネルギー政策のなかで、多量の電力消費に慣れた生活水準の見直しをも含めて、適切な情報公開のもとに、人類(日本国民)が選択すべき事項であって、本件原子力発電所についてその運転を差し止めるに足りる具体的な危険があるか否かが争点である本件訴訟において、当裁判所が判断すべき事項ではない」とさ。
結論では住民の訴えを退けながら、ちょっとしたリップサービスをしてみせる判決が、なぜかこの時期に多く見られた。1999年2月22日、北海道電力泊原発建設・操業差止請求訴訟の札幌地裁判決も、「負の遺産」という言葉は使わないものの、それに見合った記述をしている。「原子力発電を続けるのであれば、放射性廃棄物、とりわけ使用済み燃料の再処理過程で生じる高レベル放射性廃棄物の処理問題は、避けては通れない課題である。使用済み燃料の施設内での一時的貯蔵には、程なく限界が来る。再処理をしたとして、最終的に高レベル放射性廃棄物をどのように処分するのか、中間貯蔵施設や最終処分場がはたして準備できるものなのかなど、問題は未解決のままである」。
ふむふむ。四半世紀が経った今も、「負の遺産」のままだ。然るにこの判決も、原子力発電を推進するのも中止するのも選択肢だとして「多方面からの議論を尽くし、英知を集めて、賢明な選択をしなければならない」と御託宣をくださるだけ。はい、ごもっとも。
さらに続く3月31日、東北電力女川原発運転差止請求訴訟控訴審の仙台高裁判決。「核燃料サイクルに関して、現在、控訴人ら指摘のような問題点が大きく浮上してきていることは否定し難く、長期的・将来的には、それが本件原子力発電所の運転に影響を及ぼす可能性があり、特に、廃棄物処理に関しては、高レベル廃棄物の処分の見通しが立たない状況が続けば、いきおい、本件原子力発電所をはじめとする各地の原子力発電所の使用済核燃料について、行き場のない状況が深刻化し、周辺住民の差止訴訟をまたずとも、実際上、原子力発電所が稼働を停止ないし縮小せざるを得ない事態も想定される」。
でもやっぱし「しかし」なのね。「この点の問題性への対処は、原子力発電所の必要性と国民一人一人の子孫に残す環境を含めた現在及び将来における生活の在り方を見すえた上での社会的な決断と選択にゆだねざるを得ないというべきである」と。
ああしんど。
[© Baku Nishio]
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