◉平和利用三原則
1954年4月の日本学術会議での声明に示された「公開、民主、自主」の原子力平和利用三原則。1955年に制定された原子力基本法第2条に取り入れられたが、順序が「自主、民主、公開」と公開が後ろに下げられ、「成果の公開」とされた。
釘をさす・糠に釘
日本学術会議の声明は1954年2月末に原子炉予算計上の動きを知ったことが直接的な引き金となった。伏見康治著『時代の証言』(同文書院、1989年)は、「政治家は何を考えているのか判らない。暴走しないように、何かたがをはめなければならない」と考えて、「原子力憲章草案」を書いたと述べている。
その「原子力憲章草案」を原子核特別委員会の朝永振一郎会長らが「三原則」に絞り込んだ。日本学術会議第17回総会は、まず原子炉予算の計上に遺憾の意を表し、対外向けの「原子兵器の廃棄と原子力の有効な国際管理の確立を望む声明」ともに、国内向けに「原子力の研究と利用に関し公開、民主、自主の原則を要求する声明」を発表した。
『原子力産業新聞』1965年7月15日号で連載が始まった「あれからもう十年」の第1回「3原則決定のころ」で伏見康治が回想してる。なかなか面白くて全文を引用したいけど、そうもいくまい。「三原則」についての注釈だけとしよう。伏見は、こう言う。
「①公開の原則は、軍事に秘密はつきものだから機密を否定する条件が、原子力兵器化への最大のとりでになると考えたのである。
実はこれは私のオリジナルではない。ちょうどそれより1年前武谷三男さんが『改造』というその後廃刊になった雑誌で、この条件をつけることによって、原子力研究を始めようと提案しているのである。ただその後原子核研究者の中で原子力研究反対の機運が盛り上ってきたときに、武谷さんはそんなことはいわなかったような顔をしただけである。
②自主の原則の自主は日本国民の自主的主体的立場をいっているのである。原子力の先生はみんな悪い先生だから(原子兵器開発から出発したという意味で)技術的知識は教えてもらうが、精神は教えてもらわないという和魂洋才主義である。
③民主の原則の民主は、草案を書いた私の腹積りでは、原子力研究所の民主的運用ということが主眼であった。[中略]しかしその後の『関西研究用原子炉』の立地問題で、私はこの『民主の原則』のために苦しめられるのである。住民の一時的興奮状態における反対に対して、私はこの原則によって自じょう自縛された」。ざまあないね。
このほかにもいろいろ勝手なことをおっしゃってます。武谷の言い分は、といくつか読んでみたところでは相応なものを見つけられなかった。手元の『武谷三男著作集 2-原子力と科学者』(勁草書房、1968年)をパラパラとめくって流し読みをしただけだから、当然か。本人に尋ねたら「○○に書いてある」と教示してくれたかな。武谷は原子力資料情報室の初代代表だが、事務所で会った記憶はない。講演を聞いたときにうなったのは、すべての質問に「そのことは私の○○に書いてある」と答えていたことだ。びっくりしたなぁ、もう。
すべての道は
ところで、そもそも「平和利用」とは何の謂いか。朝日新聞の上丸洋一編集委員は、著書『原発とメディア-新聞ジャーナリズム2度目の敗北』(朝日新聞出版、2012年)で、「思えば、原子力の『平和利用』とは、なんと悪魔的な、なんと魔術的な言葉であることか」と書いていた。「『平和的に利用せよ』というメッセージは、軍事利用を否定すると同時に、『どんな目的であれ利用しない』という選択肢をただちに、自動的に抹消した」と。
「上田市のエディターズ・ミュージアムで13日、第一回『小宮山量平の「私の大学」の講座が開かれ、作家の早乙女勝元さん(82)が『平和を探して生きる』の題で講演した』と伝える2014年4月15日付朝日新聞長野県版の記事によれば、「早乙女さんは1941年の開戦の詔勅で『平和』という文字が6回も使われていることや、原発も『平和利用』で始まり『安全神話』が言われた点などを指摘。『原発の経過は過去の日本が仕掛けた戦争と非常に類似点がある』とした」という。
保木本一郎国学院大学助教授が『ジュリスト』1972年7月1日号で、こう指摘していた。「多くの科学技術は、戦争と平和の二つの顔(Janus)を持っている。しかし巨大なエネルギーと、強烈な放射能を本質とする原子力の本領は、つねに、破壊と殺戮にあるのではないかという危惧をさえ持たせる。ほかの科学技術にはありえない『平和利用』ということばが、原子力に用いられるのは、このゆえんである」。実は今ではもう一つ、「平和利用」という言葉が用いられているものがある。「宇宙の平和利用」だ。併せて考えると、よけいに本領発揮となるだろうぜ。
原子力ムラの方々は「平和利用」をどう考えているのか。日本原子力学会で倫理規程制定に向けての取り組みが1998年11月の理事会から始まった。倫理規定制定委員会が設けられ2000年の『日本原子力学会誌』11月号の会告に倫理規程案(当時は倫理規定案としていた)を掲載するとともに、ホームページも用いて学会内外に広く意見を募集している。同誌01年4月号から議論の一部を引用しよう。
[原案への]意見:「核兵器の研究、開発、製造、取得、利用に一切参加してはならない」とあるが、基礎研究の成果は軍事にも転用できる。これを完全に守ることは不可能ではないか。
[制定委員会の]回答:基礎研究の場合、核兵器と平和利用との間の線引きが難しいことは事実です。この条文は、核兵器開発に明らかにつながる仕事には従事しないことを要求するものです。人類の破滅を招く研究か、福祉を目指す研究かの線引きは会員自身の責任です。
意見:核兵器開発への従事をあまりに厳しく規制すると知識の枯渇を招くのではないか。
回答:核兵器開発に明らかにつながる仕事への従事を禁じても新知識の枯渇を生じる恐れはないと考えます。
意見:現在原子力開発は平和利用に限ることを原子力基本法で定められているからいいが、将来原子力基本法が改正されて日本も核兵器開発に乗り出すことになったときはどうするのか。
回答:単に原子力基本法を守れと言っているのではありません。将来、原子力基本法が改悪され、我が国が法的に核兵器開発を認める恐れも皆無ではないかもしれません。そのようなことがあろうとも会員は平和利用に徹することを要求しているのが本条文であり、重い規定であることを会員は理解しなければならないのです。
2001年6月の総会で決定された倫理規程には、こうある。「会員は、自らの尊厳と名誉に基づき、核兵器の研究・開発・製造・取得・利用に一切参加しない」。
これでおしまい。
◉ベースロード電源
ベースロード(基底負荷)とは電力需要の「底」の部分で、常に使われている電力を言う。そのベースロードを負担する発電設備がベースロード電源である。
答えはどこに隠されてるの
「ベースロード電源」という言葉の名付親は、2014年4月に閣議決定された第4次エネルギー基本計画だとされている。しかし、『国会画報』1986年5月号に「高稼働のベースロード電源 四国電力西條火力発電所」と見出しがあるのを見た。「石炭転換で最適電源構成の一翼を担う」とか。第4次エネルギー基本計画が初出というわけではなさそうだ。
それはどうでもよくて、問題はその定義だ。エネルギー基本計画では「発電(運転)コストが、低廉で、安定的に発電することができ、昼夜を問わず継続的に稼働できる電源」だと説明されている。具体的には地熱、一般水力(流れ込み式)、原子力、石炭だと。
ところが2017年2月27日、電力広域的運営推進機関の広域系統整備委員会では、こんなやり取りがあった。
松島聡委員(日本風力開発常務執行役員)「ベースロード電源というのは、原子力、流れ込み水力、地熱および石炭火力の変動させるべきでない電源で、かつコストが小さいというイメージを持っているが、法律家を含めていろいろな人にベースロード電源の言葉の定義を聞いても、なかなか明確な答えがないので、広域機関としてもベースロード電源という言葉の意味について共通認識を持った方がいいと思った。また石炭火力については、変動しづらい電源であろうが、コストだけで言うと、最近では決してコストが最も安い電源でないというレポートも読んだことがあるので、その辺も正しい情報を内閣に伝えないといけないのではないかと思う」。
事務局「ベースロード電源が何かというのは定義しづらいが、今回、[広域系統長期方針の策定での]シミュレーションでベースロード電源と設定したのは、原子力と水力。石炭火力については、太陽光の調整力として使っている。それを長期エネルギー需給見通しのアワーに合わせて設定したということであり、出力変動させないという意味では、原子力と水力を今回設定している。今回のシミュレーションにおいては、『長期エネルギー需給見通し小委員会に対する発電コスト等の検証に関する報告』を前提として実施しており、石炭火力が他の火力に比べて特段に安いわけではなく、CO2対策費も含めるとLNGと遜色ないレベルの発電単価で設定している」。
あれれ。なお「変動させるべきでない」はちょっとおかしい。原子力は変動させづらい、一般水力は変動を制御できないとするのが正しい情報というものさ
ごくろうさま
ま、それもどうでもいいとして、原子力が「安全性の確保を大前提に、エネルギー需給構造の安定性に寄与する重要なベースロード電源である」というのは如何なものか。毎日新聞の大高和雄論説委員が、『租税研究』2014年5月号で「難産だったエネルギー基本計画」と書いている。
「政府は当初、1月中に基本計画を閣議決定する予定だった。しかし、審議会の素案が原発を『基盤となる重要なベース電源』と位置づけていたことに対して、原発ゼロを公約とする公明党が強硬に反発した。[中略]そこで閣議決定どころか政府原案の策定も都知事選後に先送りされた。
そして、懸案の『基盤となる重要なベース電源』という原発の位置づけは、政府原案の段階で『重要なベースロード電源』に変わった。この『推敲』の過程に、経産官僚の苦労の跡が忍ばれる」。
それもどうでもいいかと言いながら、さらに前段階の話を付け加えると2013年12月13日付日本経済新聞に「原発の位置付けに『基盤』追加」とあるんだよね。「経済産業省がまとめるエネルギー基本計画案で、原発の位置付けを『重要なベース電源』から『基盤となる重要なベース電源』に修正することが13日、わかった。基本政策分科会の委員から「(ベースという)カタカナ表現はわかりづらく、重要な基盤の表現が適切」(西川一誠福井県知事)との意見が出ていたことを反映して、原発の必要性をより明確に示した」って。まさに苦労が偲ばれるなあ。
消えるコトバ
「ベースロードという従来の電力系統運用上の概念に対して懐疑的な論文や記事は、海外文献では比較的容易に見つけることができます。例えば、ドイツのエネルギーコンサルタントAGORAの報告書では2022年にドイツで予測される電力系統の運用について分析されていますが、ここでは『ベースロードはもはや消え去っている (“Base-Load” power plants disappear altogether)』と明言されています」と明言するのは、安田陽京都大学大学院経済学研究科再生可能エネルギー経済学講座特任教授(環境エネルギー政策研究所編集のWebメディアEnergy Democracy、2015年5月25日)。原子力も石炭もしぶとく消え去っていないのが残念やけど、それも時間の問題やね。
自然エネルギー財団ホームページの連載コラム「ドイツエネルギー便り」では2015年6月18日、ドイツ再生可能エネルギー・エージェンシーに勤務する梶村良太郎が、「ベースロード電源は邪魔になる」と揚言している。「まず、太陽光と風力による発電を最優先で利用して、可能な限り需要を満たす。もちろん、それだけで発電と消費の同時同量を達成できるケースは稀だ。太陽光と風力による発電が需要を時には下回り、時には上回ることになるが、その差を『残余需要(residual load)』と呼ぶ。言い換えれば残余需要とは、システムの総電力需要(正味需要 net load)から太陽光と風力による発電を引いたものである。この残余需要に対応することが、将来のドイツでは給電の中心作業となる」。
◉ベント
Weblio国語辞典によれば、ventとは「(空気・液体などを抜いたり入れたりする)穴、抜け口、口、通気孔、(鳥類・爬虫類・魚類などの)肛門(こうもん)、ベンツ、スリット」をいう。原子力発電所では、原子炉格納容器の中の圧力が高くなって破損するのを避けるため、容器内の気体を外部に排出して圧力を下げること、また、そのための抜け口をベントと名付けている。当然ながら排出される気体は放射性物質を含んでいる。
砦に風穴
福島原発などの沸騰水型原発(BWR)には、事故で発生した大量の水蒸気を冷やして水に変え、原子炉圧力容器内の蒸気圧が高まるのを防ぐサプレッションチェンバが下部にあるので、その水中を通してベントをすれば一定程度の放射性物質は水に吸着されるという。このウェットベントができず格納容器上部から排出するドライベントでは、もちろん、大量の放射性物質がそのまま放出されることになる。他方、加圧水型原発(PWR)は格納容器体積が大きく圧力が上がりにくいとしてベント設備は不要とされてきた。福島原発事故後、想定を超えた状態も考慮しなくてはならないとして、BWRにもPWRにもすべて放射性物質をろ過する機能を設けたフィルタ付ベント装置を設けることになった。
でもね、元原発設計技術者の後藤政志は、フィルタ付ベント装置は大掛かりで複雑な設備のため信頼性に欠けることを力説している。そもそも「放射性物質を閉じ込める最後の砦」とされる格納容器が自ら放射性物質を放出するのは「格納容器の自殺」だ、そうしなくてすむように格納容器の設計を見直すべきじゃないかとも。
やってらんねぇ
福島原発事故では1、3号機ではベントに成功、2号機では失敗したとされている。成功したといっても、すんなり実施されたわけじゃない。ホントに成功したかどうかも藪の中だ。ベントの必要はなかったと論じる人もいる。なにせ世界で初めてのことなんだものね。
東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(政府事故調査委員会)が関係者にヒアリングをした記録が、内閣府のホームページに残っている。2011年8月16日の吉田昌郎福島第一原子力発電所長「聴取結果書」では、1号機のベントについて質問者が問う。「手順書を拝見させていただきますと、要するに、中央捜査室の方からスイッチでやっていけば、弁が開いていうことができますけれども、今回、それができないわけですね。それは、当然電源であったり、コンプレッサーであったり、そういうところが必要になってくるということになったわけですね」。
吉田所長の返答の前に政府事故調査委員会中間報告書のまとめを読んでもらうといいかもしれない。一部略で引用しよう。
「全交流電源及び直流電源が喪失したため、1/2 号中央制御室にある制御盤において原子炉格納容器ベントに必要な弁の開操作を実施できず、現場において、手動で開操作を実施するしかなかった。そして、当直や発電所対策本部発電班においては、あらかじめ定められたAM[アクシデントマネジメント]用の事故時運転操作手順書には制御盤上の操作手順しか記載がなかったことから、開操作を必要とする弁の特定、弁の設置場所、手動開操作が可能な構造か否か等について、一つ一つ確認する必要があった。
さらに、同月12日未明以降、特に同日4時から同日5時にかけての頃、1号機R/B[原子炉建屋]内の放射線量が異常上昇し、同日5時頃には1/2号中央制御室1号機側にとどまることさえ困難であり、ましてや1号機R/B内に立ち入るには、正に生命を賭する覚悟が必要であった。また、その頃、余震が繰り返し発生しており、これが更なる作業上の障害となった。
同日9時4分頃以降、当直は、生命の危険と隣り合わせの中で原子炉格納容器ベント実施に向けた現場作業に従事した。さらに、S/C[サプレッションチェンバ]ベント弁(AO 弁)小弁の現場における開操作が困難であると判明するや、発電所対策本部でも可搬式コンプレッサーの設置・接続等の検討・調達等を行い、原子炉格納容器ベントの実施に向けて懸命な作業を行った」。
で、福島第一原発の緊急対策室から現場を指揮した吉田所長の返答。「この時点で、私もこの事象に初めて直面しているので、はっきりいってわからないんですよ。細かい現場の状況が、要するに、この辺、まだ本店[電力会社では「本社」でなく「本店」と呼ぶ]と近い部分があって、要するに計器が見えていないし、中操[中央操作室]の状況の電源、真っ暗だとか、主要計器が消えているというのはあるんですけれども、だからベントしろというとできそうな雰囲気になっているんですね。思い込みなんだけれども、要するに電源とか空気源がないけれども、要するにベントなんて極端に言うと、バルブを開くだけなので、バルブ開けばできるんじゃないのというような感じなんですよ、この辺は。その後でいろいろ入ってくると、AO弁[空気操作]のエアーがない、勿論、MO弁[電動]は駄目だと。手動でどうなんだというと、線量が高いから入れないという状況がここから入ってきて、そんなに大変なのかという認識がやっとでき上がる、その辺がまた本店なり、東京に連絡しても、その辺は伝わらないですから、ベントの大変さみたいなものは、この時点では、早くやれ、早くやれというだけの話です。そこが本当の現場、中操という現場と、準現場の緊対室、現場から遠く離れている本店と認識の差が歴然とできてしまっている」。
気安く成功だ失敗だなんぞと言ってくれるな、だ。
◉放射能
ネット上の原子力百科辞典ATOMICAによれば、放射能とは「放射性物質が自発的に壊変して放射線を放出する能力をいう」。「日本語では放射性物質と概念的に混同されることが多く、しばしば同義に使用される」。
コトバは化け物
そう、放射性物質と同義に使用されることがしばしばなんだよ。誤用だとして認めないのは頑迷固陋旧套墨守保守退嬰ってもんだろう。保健物理の論文にだって「放射性物質」と同義に「放射能」が使われる例はすぐと見つかる。
ネットで見つけたQ&Aを紹介しよう。
Q:「放射能」とは、放射線を出す能力のことですが なぜか、「放射性物質」や「放射線」のことを指す場合もありますよね。 これは明らかに誤用ですよね。 でもニュースとかでもそういういいまわしをする習慣があるようです。 どうしてそういう言い方をするようになったのでしょうか?
A:ゴジラという怪獣は放射能を吐きます。 とは言うがゴジラは放射性物質を吐きます。 とは言わないからでは?
うーん、「放射性物質を吐きます」は言うかもしれない。けど、「放射能漏れ」を「放射性物質漏れ」と言うのは(頑固にそう言う人もいそうだが)そうとうおマヌケだよね。はい、ふつうは「放射能漏れ」と申します。
原子力安全システム研究所(1991年2月に起きた関西電力美浜原発2号機の蒸気発生器細管破断事故をきっかけとして翌92年3月に発足した同電力の子会社)の「原子力用語解説集」から説明を抜き書きでお借りしておこう。
「・一般には、放射性物質が原子力施設などから漏れたことを『放射能漏れ」と言ったり、原子力発電所事故などで放射性物質に汚染されることを『放射能汚染』と言ったりする。
・上記のような『放射能』という言葉で放射性物質を意味するようになるのは、日常語としては自然な意味変化であり、一般に使われているこうした用法をことさら正そうとすることが無益な場合や、そこに注意を払うことで、説明全体がわかりにくくなってしまう場合も多い。その区別が必要になるとき以外は、この誤用は気にしないようにするのもよい。
・しかしながら、原子核や原子力発電のしくみを正しく理解してもらいたい場合や、ベクレルとシーベルトの違いを認識してもらいたい場合など、『放射性物質』『放射能』『放射線』の区別が重要になるときは、日常語とは違う専門用語としての『放射能』の意味を、明確に説明する必要がある。その際、上記のような用法が専門的には誤用であることを強調することが、理解を深めるのに役立つ場合もある」。
さすがの説得力。ナットク。
[© Baku Nishio]
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